東寺展

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 先日から東京国立博物館で「特別展 国宝 東寺――空海と仏像曼荼羅」というのをやっていて、(かね)てから見たいなあ、と思っていた。丁度上野は花見時だ。今年の東京の桜は、今週の火曜頃に満開になりだしたところである。

 しかし、花冷えで天気はもうひとつ、行こうかどうしようか、と逡巡しないでもなかった。

 そんな(おり)、旧知のI君が、「佐藤さん東寺展を見に行く予定は?」とメッセージして来た。

 I君は私と同年配で、凝り性の趣味人だ。最近は仏像に非常に()かれるようになったという。そこで、こりゃもう、行きましょう、と私も勢いが付き、一緒に見ることになった。おっさん二人で仏像デートという、なかなかシヴい行楽である。

 朝から上野へ行き、I君と待ち合わせをした。

 上野公園は満開の桜で、朝の8時過ぎからたくさんの人がブルーシートを広げて花見の場所取りをしていた。今日の東京の朝の気温は7℃、曇天で日も差さず、夜からは雨もぱらつこうかという天気で、大変寒かった。震えながら鼻水を垂らして場所取りをしている人が少し気の毒でもある。

 そんな花見客を横目に上野公園を通り抜け、国立博物館へ行った。

 「東寺」は言わずと知れた世界文化遺産で、数々の国宝を蔵する大伽藍である。入唐(にっとう)・帰朝した弘法大師空海が嵯峨天皇から賜った国立の戒壇(かいだん)院であり、高野山が空海の拠りどころとするなら、東寺は空海の役所とでも言えるだろうか。

 今回の特別展では、その東寺から、国宝11、重要文化財4、あわせて15もの至宝至尊の他、数々の名宝が展示された。

 私としては「風信帖」「伝真言院曼荼羅」などに非常に興味がある。このうち「風信帖」など空海の真筆については、7年前の平成23年(2011)に一度、「空海と密教美術展」というのが同じ国立博物館で開催されたことがあって、その展示で見たことがある。だが、「伝真言院曼荼羅」については見たことがなく、予々(かねがね)見たいものだと思っていたのだが、念願(かな)って今日はその実物を拝することができた。

 I君は最近仏像趣味が昂じてきているので、是非とも東寺展は見なければならぬ、と思ったのだという。そんなI君が喜んでくれるのではないかと思い、若い頃買った「梵字の書き方」という釈家向けの教科書を携えていった。

 「(しゅ)()曼荼羅」という、尊像の代わりに梵字を配した曼荼羅があるが、これを見る時にこの教科書を交々(こもごも)引きながら見ると、興味興趣が倍増するというわけである。

 仏像では国宝の「帝釈天(たいしゃくてん)騎象(きぞう)像」がポスターなどで話題になっており、また、この仏像は撮影が許可されている。私も愛用のコンデジで、男前の横顔を撮ることができた。左の写真がそれだ。

 I君とお互いに蘊蓄(うんちく)を交換しつつ、たっぷりと拝観することができた。

 帰りは新橋まで行って、「虎ノ門・大坂屋砂場」で蕎麦前を一杯やり、趣味のことなど語っては天婦羅蕎麦を手繰ったことだった。

 誠に眼福・口福の土曜日であった。

天気もよく

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 梅雨の前触れか、このところ土日には天気がぐずつくことも多かったが、今日は久しぶりに真っ青な空が広がった。空気も澄み、涼しい朝である。

 ぶらりと散歩に出る。花皐月の花季ももう終わろうとしている。コーヒー屋で本を読んだりする。

 昼過ぎ、新橋に出かける。中央線秋葉原までは定期で行けるので、秋葉原から山手線で4駅だ。行き先は言わずと知れた「虎ノ門・大坂屋砂場」である。

 珍しく1階奥の席に通される。

 武原はん女の句であろうか、扇面色紙に「舞ふ人のはやも()寿の春なりし」とある。

 いつものように焼海苔で「澤乃井」を一合。今日はなんだか気分が良く、もう一合飲む。

 それから「もり」を手繰る。

 日比谷公園の方にブラブラ歩いて行って見ると、なんだか「ビール祭り」のようなことをしている。数えきれないくらい様々な銘柄のビールの露店が出ていて、老若男女が大きなグラスやジョッキで楽しんでいる。

 後で調べてみたら、「オクトーバーフェスト」という催しで、本場ドイツと提携して本格的にやっているようだ。

 私も交じって、青天白日の下、「ヴァイエンシュテファン」のピルスナーを一杯。

 公園北側にある元公園事務所の茶寮で結婚披露宴をしている新婚夫婦がいた。いい天気で、花嫁のドレスが青空に映えていて、美しかった。へえ、ここでこういうこともできるんだな、と知った。

 もう終わりかけではあったが、薔薇園の薔薇を眺めて帰る。

東京の砂場と新島繁

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img_4565 昨日、たまたま成り行きでだが、東京・三ノ輪にある蕎麦店「砂場総本家」へ行った。

 街の蕎麦屋さんの雰囲気で、静かに蕎麦を楽しむことができ、満足した。

 店内は面白おかしく雑然としていた。私は入って右奥の椅子卓席に座を占め、蕎麦味噌で剣菱を飲み、「もり」を一枚手繰(たぐ)った。

 席の表通り側の窓下にはガラスケースがあり、その中に古物が並べられ、上は本棚になっていた。蕎麦屋らしく、蕎麦に関する本が多く並んでいる。

img_4571 その中に、カバーがセロテープで修繕され、背綴じがバラバラに外れかかった新書版の本が一冊あった。題に「新撰 蕎麦事典 新島繁 編」とある。付箋が打たれて、書き込みや傍線が引いてあった。

 手に取って付箋のあるページをめくってみると、それは「さ」行の「す」項、「砂場蕎麦」の項目であった。大坂屋砂場の来歴由来が記されており、「糀町七丁目砂場藤吉」の記述のところに傍線が引いてあって、「当店です」と鉛筆の書き込みがある。

 こういう本は一度見失うと再び出会えないので、ISBNを控えた。「4879931011」である。

 ところが、帰宅してAmazonあたりにこのISBNを入力しても出てこない。昭和40年代頃の、ISBN普及期の本の中にはこういうことがよくある。

 著者の新島繁と言う人は、ふた昔ほど前の蕎麦マニア筆頭の人であるらしい。往時は非常に読まれたようで、「蕎麦Web」というサイトに、著書やその業績が紹介されている。平成13年に逝去されたそうである。蕎麦の知見に関する集成・整理は、この人なくしては語れないものであるようだ。

 上記サイトの情報から推測するに、どうやら、この本の新装改訂は左掲の本であるらしい。

 この本、ちょっと入手したい感じだが、うーん、どうしようかねえ……。