時事散誌

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 近所のドラッグ・ストアではニュースで報じられているのと同じく、トイレットペーパーが払底している。

 我々は全く、浅はかなものだ。

 私はというと、コロナウイルス騒ぎも、もはや、飽きてきた。どうでもいい、こんなの。

 ほっとけばそのうち、医学者が特効薬でも作るだろう。ペストだろうと天然痘だろうと結核だろうと、はたまたチフス、炭疽病、梅毒、黄熱病、その他あらゆる微生物病を、人類はそうやって克服してきたのだ。

 何?そんな悠長なこと言ってる間にお前自身がコロナウイルスに感染して死んだらどうするんだって?

 そりゃあ、(いさぎよ)く死ぬか、運よく治るか、二者任天、ありのままの人生を受け入れるしかない。

 さておき。

しかしよく考えると

 確かに、ポテトチップスを(つま)んで食べると、手に油がついてそこらじゅうを汚してしまう。

 しかしまあ、それはとりもなおさず、「あれほど大量の油を摂取してしまう食べ物も他にない」ということを言ってもおり、この点からポテトチップスというと「デブの素」の代表格食品であるというのは定説でもある。

 これだと一袋くらいあっという間に腹に収まってしまい、どんどん肥満してしまうに違いない。

 しかし、よく考えると、この「飲み口」みたいな奴がなくても、袋の角っこを三角に切り取れば、同じ喰い方ができるのではなかろうか。

し、四天王寺、て……(絶句)

 世界一古い企業は日本にあるのだという。それは「金剛組」という建築会社だそうだ。

 創業は西暦578年というから、遠く飛鳥時代にまで(さかのぼ)る。これは和暦だと敏達天皇七年、……と言ってもピンと来ないが、これは有名な女帝の推古天皇、と言って分からなければ聖徳太子の時代の少し前の時代、ええい、と言って分からなければ更にこう言おう、厩戸皇子(うまやどのみこ)の時代よりもまだ少し前の時代である。百済(くだら)からの渡来人で、四天王寺を建てたのが彼らだそうだ。今でも宮大工、つまり寺社建築を主とする職人団であるようだ。

ついにアンチも出る始末

 なんだか、クスッと笑ってしまった。……いや、失敬、失敬。要するに、「アッチの右翼」ですな、これは。

老朽テレビ業界も、やっとここまで来たか

 よくよく考えると地上波デジタルの前に、堀江何某が「そんなの既存のテレビをネットにつなげばいいだけじゃん」なぞと、「お前、それを言っちゃあ身も蓋もねェじゃん」みたいなことを言い放ったものだが、あれからハテ、かれこれ10年ほども経ったろうか。

 作ったコンテンツをネットに放流することなぞ、技術上は大した話ではない。そんなこと、(つたな)いながらも既に素人がYouTubeなどでバンバンやっている。だが、テレビ業界も大きな業界で、しかも老朽化したカチコチの業界だから、動くのにやっぱりこれくらいの時間はかかった、ということなのだろう。

 しかしこうして、結局はテレビもネットも、ダラダラと融合していくより他にないのだ。

 昔、SGIの創業者のジム・クラークは、インタラクティブ・テレビこそが次世代のメディア(媒体)を制する、と考えてSGIを退社し、創業しようとした。ところが、ティム・バーナーズ・リーの「WWW」とマーク・アンドリーセンの「NCSA Mosaic」を見て「これぞ私の考えていた次世代メディアだ」と考えを改め、即マーク・アンドリーセンにメールで接触を図ったという。二人がNetscape Navigatorを売りまくってから後の経緯は、誰しも知るところだ。

 そういう誰が(たく)んだわけでもない流れの中に、全部のメディアは乗っている。新聞だって雑誌だって、みんなそうだろ。本だってそう、漫画だってそう、音楽だってそう、写真だってそうだ。仏教用語で「耳鼻舌身意(じびぜっしんに)」なぞと言うが、これに沿って考えると、今やネットから流れてこない情報は、「香り」「味」ぐらいなものである。

 受信料がどうとか陰謀だとか何とかは、そんなことどうだっていい。

一口坂(いもあらいざか)

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 昨日、九段・一口坂のあられ舗「さかぐち」で買ったあられと茶で朝食がわり。

 ここのあられはとても旨い。辛口の醤油の味がよく染みていて、緑茶に合う。

 このあられ舗のある「一口坂」を、「いもあらいざか」とも()む、ということを先日初めて知った。お茶の水の聖橋のたもとに、古い古い稲荷社の跡があり、そこに社の縁起が書かれてあったのだが、その縁起の中で、京都に一口(いもあらい)稲荷という稲荷社があって、その効験は化膿性の病にあらたかであるという。「ゐも」という古語があり、これは「うみ」と同じ意味であるそうで、「ゐも洗ひ」と「うみ洗ひ」は同じ意味だそうである。

 その縁起書によれば、往古は天然痘のことを「ゐもがさ」と呼んだそうで、上の意味からすると、病気の見たまま、そのままである。

 一口稲荷の霊験は、この天然痘によく効いたという。

 「一口坂」という地名は各地にあり、どれも大概は「いもあらいざか」と訓み、その由来もだいたい同じで、疱瘡などへの神仏の霊験に由来するようである。九段の一口坂に限っては、かつては「いもあらいざか」と呼んだが、今は「ひとくちざか」が一般化しているようだ。

 天然痘と一口稲荷の伝説も全国に残っており、「いもあらい」という古語の由来もだいたい同じようだ。

 ただし、なぜ「いもあらい」の和語に「一口(ひとくち)」の漢字を当てるのかは、諸説があるようではっきりしない。

 京都の一口稲荷に関しては、膿を洗って効験あらたかな社傍の池への入り口が一つしかなく、ために「一口」となったという説、あるいは、唱え(ごと)をたった一口(ひとくち)奉るだけで効験が現れたから、などの説があるようだ。

 九段の一口坂に関しては、「一口(いちぐち)氏」という山城国の豪族がここに住していたのが由来である、という説がある。

読書

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 「雪の花」を読み終わる。150ページくらいの中編だ。

 この小説は、もとは「めっちゃ医者伝」という題で出版されたものだ。一旦出版後、主人公の笠原良策の子孫から多くの資料が提供されたことをきっかけに、作者の吉村昭が大幅に加筆修正して「雪の花」と改題して再度出版された。

 「めっちゃ医者伝」の「めっちゃ」とは、福井の方言で天然痘による痘痕(あばた)顔、転じて天然痘そのものをも指すという。

 種痘の普及に命懸けとなり、私財をなげうって邁進した江戸時代の町医の生涯を描いている。

 吉村昭の他の小説と同じく、実話を題材とし、丹念な取材に基づいて書かれたものである。冷静で抑制のきいた筆致なのに、美しい風景と厳しい疫病の落差、人々の哀歓などが躍動的に描き込まれてもいて、いつものとおり、期待を裏切らない。

 引き続き別の本を読む。こちらも図書館で借りたもの。