ICHI

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 流感(インフルエンザ)による風邪籠(かぜごもり)である。節々が痛く、熱も高熱で、しんどい。だが、静かに横臥していると、もともと所謂(いわゆる)「寝腰」のひどい私は、腰痛のためにたびたび起き上がらざるを得ない。

 しんどいのに、暇だ。

 家族が感染を用心しているため、リビングに出ていけない。寝室でPCでも見ているか、読書ぐらいしかすることがない。

 そこで、前から見たいなあと思いつつ見そびれていた映画をAmazon Prime Videoで見る。綾瀬はるか主演の「ICHI」。もう10年も前の映画だ。

 公開時にこれが「座頭市」へのオマージュ映画だということを、私は全く気付かなかった。なので、見なかった。最初から知っていたら見に行ったのに、と残念でならない。と言って、DVDなどを買って見るのも、高いので二の足を踏んでしまう。

 しかし、Amazon Prime Videoだと、Prime会員特典で見ることができる。

 面白かった。「座頭市」へのオマージュがふんだんに盛り込まれ、また、あの「泥まぶれ、血まみれ」の世界観もキッチリ踏襲していて、良かった。

 勝新太郎にせよビートたけしにせよ、主人公座頭市をややコミカルな人物として描きかつ演じている。しかし、「ICHI」ではコミカルな部分は助演の大沢たかおが受け持ちである。

 「あの人」というような扱いで、主人公が少女の頃の父代わりのような人物として、「座頭市らしき人」が出てくる。これがまた、味があって面白い。

 宿場町、賭場、イカサマ、博徒(やくざ)野伏(のぶせり)との対立、危機(ピンチ)、クライマックスでの対決など、もう、これほど忠実な座頭市映画もあるまい。毎週放映の「水戸黄門」を見るような安心感の中にも、座頭市を若い女に置き換えるという新たな設定が光る。いい仕事しているなあ、脚本家。

 ネットの評判はいろいろとあるようだが、座頭市が好きな私は、当然映画も好きだな。

 クレジット・ロールに、原作は子母澤寛の「座頭市物語」と出るが、これはわずかに誤りである。なんとなれば、「座頭市物語」で子母澤寛の書籍を探しても、ないからだ。あるのは童門冬二の「新・座頭市」か、子母澤寛の座頭市物語を含めたアンソロジーものである。座頭市物語は正確には子母澤寛の「ふところ手帖」の中にたった6ページほどしか出てこない短編なのである。勝新太郎の座頭市シリーズでも、作品によって「ふところ手帖」とクレジット・ロールに出る場合があったように記憶する。

子母澤(しもざわ)(かん)→蕎麦屋→聖書→カポーティ

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子母澤寛

 子母澤寛の「ふところ手帖」を読みに国会図書館へ行った。

 なんで今更、子母澤寛の「ふところ手帖」なのか。

 実は30年くらい前から読みたい読みたいと思っていたのだが、いつか読もう、今度読もうと思っては忘れてしまう。忘れるたびに先延ばしになっているうち、30年も経ってしまったのだ。

 そうこうするうち、Amazonなどが出来て、古い本でも気楽に手に入るようにはなったが、値段が高いのでどうしても買うのを躊躇する。そんなことで、読んでいなかった。それがずっと気になっていたのである。

 この本を読みたかった理由は、勝新太郎の「座頭市シリーズ」が大好きだからだ。実は30年前の頃でも、座頭市は既に古い作品群であったが、私はこれをビデオレンタルで借りては見ていたのである。

 で、その「座頭市」の原作が、子母澤寛の「ふところ手帖」なのである。

 30年ほど前、既に旧作となっていた座頭市を勝新太郎が久しぶりにリメイクし、新作として撮ったら、撮影中に勝新太郎の息子の奥村雄大(たけひろ)が過失致死事件を起こし、それが騒ぎになってしまい、そのせいもあってか興業があまり上手くいかなかったというような、そんなこともあった。

 ところが、あれほど長大な映画シリーズになり、後年にはビートたけしも取り組み、また別作に綾瀬はるか主演の「ICHI」も制作されるなどするほどなのに、子母澤寛の原作は、この「ふところ手帖」の中に、「座頭市物語」という題で、たった6ページしかないのである。

 そのことは以前から映画評論などで読んで知っていたが、実際に読んだことがなかったのだ。

 それをはじめて、やっと読めたというわけである。

 実に面白かった。

 勝新太郎があのたった6ページの短編から、どうしてあれほど構想を膨らまたせかもよくわかった。ふところ手帖の「座頭市物語」では、居合抜きの名人、(めくら)の座頭市は自分の親分の不任侠に怒り、女房を連れて出奔し、行方不明になってしまうのだ。だから、勝新太郎の座頭市シリーズは、そうやって旅に出た座頭市が、行く先々で巻き込まれる事件を描いているのである。

 ただ、原作では座頭市には女房がおり、その女房と出奔するのであるが、勝新太郎の座頭市シリーズには女房は出てこない。そのかわりに、行く先々で色々ロマンスめく、というふうになっている。

 さておき。

 子母澤寛は古い作家だから、青空文庫あたりで読めないかな、とも思った。しかし、確かめてみると亡くなったのは昭和43年(1968)だ。著作権切れまでにはまだあと2年ほどある。

 もしそうでなければ、たった6ページほどの分量だから、図書館で本を見ながら全部入力して、ここに載せてしまうところだった。法律上そうはいかない。「引用」と明記して載せる手もあるが、それはやりすぎというものだろう。

室町砂場・赤坂店

 国会図書館にいくと、帰りはやっぱり蕎麦を手繰(たぐ)りたくなる。寒いし、歳の暮れなんだし、今日はひとつ、天婦羅蕎麦を食べてみよう、と最初から決めていた。

 まず、通しものの浅蜊の炊いたのを肴に、ぬる燗で一杯。

 一緒に天婦羅蕎麦を頼むと、店員さんがちゃーんと「ちょっと間をあけて……」奥へ注文を通してくれる。

 海老や貝柱がたくさん入ったかき揚げで、実にうまい。これに葱と山葵を少しづつ乗せながら啜る。

 少し手繰っては、交々(こもごも)酒を飲む。

 ああ、やめられない。

クリスマス・イブなので

 私はキリスト教徒ではないから、クリスマスの本義とするところには無関係である。いや、もっとはっきり言えば、キリスト教なんか嫌いだ。

 だが、そうはいうものの、八百万(やおよろず)の神を(おろが)む日本人として、ヨーロッパやアメリカの大多数の人々が大切にしているものを罵ってないがしろにしようというような気持ちは毛頭ない。アッチが大切にしているのであれば、ならば、もともと何でも拝む習慣のあるコッチなのだから、アッチのものも大切にしてやろう、というのが好ましい姿勢だと思うのだ。

 それにしてもしかし、日本社会一般のクリスマスの扱い方は、イエス・キリストの生誕をコケにしているとしか思えない。如何(いか)に日本中に歪められた形で広く流布した習慣であろうと、キリスト教圏のひとびとが大切にしている宗教的節目をないがしろに汚し、大の大人がセックス三昧に(ふけ)る日であるなどと曲解している近代日本の風俗は、断固不可であると言う他はない。そんな過ごし方をするくらいなら、家で阿呆(アホ)マスコミの手になるテレビか新聞でも見ている方がまだマシというものである。

 もし、こうした日本でのクリスマスの実情を、ありのままにわかりやすくヨーロッパやアメリカのキリスト教徒に説明すれば、彼らは多分、自分たちが大切にしているものを汚されたと思って、「黄禍を今こそ絶ってくれよう」なぞと、例のヴィルヘルム2世の漫画を押し立てて、核戦争の火蓋を切るかも知れない。ああ、おそろしや。

 そういうことがないようにするには、「理解をすること」、それができなければ「理解をしようと努力すること」、これだろうと思う。

 クリスマスには、私の家もこれまでは子供たちが小さかったこともこれあり、楽しませてやろうとて、飾りをしたり、私が腕をふるって洋菓子を拵えたり、キリスト教の話をしてやったりもしてきたのであるが、最近は子供たちも大きくなってきたから、もっぱら私自身が「キリスト教を理解する努力をする日」ということに、自分ではしている。

 今日も、愛蔵の古びた聖書を出してくる。私の持っているのは文語訳のこの一冊だけだ。

 イエス・キリスト生誕の節は、一説だけではなく、「マタイ(でん)福音(ふくいん)書」「ルカ傳福音書」の2書に分けて収められている。

 これらはとうに著作権も消滅していることだから、以下に書き写しておこうと思う。

イエス・キリスト降誕(「マタイ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 イエス・キリストの誕生は()のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、未だ(とも)にならざりしに、聖靈によりて(みごも)り、その孕りたること(あらわ)れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、(ひそか)に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ(めぐ)らしをるとき、()よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを()るる事を恐るな。その(はら)に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 (おの)が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと(とな)へられん』之を()けば、神われらと偕に(いま)すといふ意なり。ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。

 イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處(いずこ)に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために(きた)れり』ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ(ただ)す。かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、「ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長たちの中にて(いと)(ちいさ)き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを(ぼく)せん」と(しる)されたるなり』

 ここにヘロデ(ひそか)に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒(おさなご)のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ(たから)(はこ)をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物(れいもつ)を献げたり。かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告(みつげ)(こうむ)り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。

 その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで彼處(かしこ)(とどま)れ。 ヘロデ幼兒を(もと)めて(ほろぼ)さんとするなり』ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

 ここにヘロデ、博士たちに(すか)されたりと悟りて、甚だしく(いきど)ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細(つまびらか)にせし時を計り、ベツレヘム及び(すべ)てその(ほとり)の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、『(こえ)ラマにありて(きこ)ゆ、慟哭なり、いとどしき悲哀なり。ラケル己が子らを(なげ)き、子等のなき故に慰めらるるを(いと)ふ』

 ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを(おさ)むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退()き、ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。

イエス・キリスト降誕(「ルカ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 その六月めに、御使(みつかい)ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女(おとめ)のもとに、神より(つかわ)さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁(いいなづけ)せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の(もと)にきたりて言ふ『めでたし、(めぐ)まるる者よ、主なんぢと(とも)(いま)せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、(かか)る挨拶は如何なる事ぞと思ひ(めぐ)らしたるに、御使いふ『マリヤよ、(おそ)るな、汝は神の御前(みまえ)に惠を得たり。()よ、なんぢ(みごも)りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と(とな)へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者(いとたかきもの)能力(ちから)なんぢを(おお)はん。()(ゆえ)(なんじ)が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女(うまずめ)といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。それ神の言には(あた)はぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女(はしため)なり。汝の(ことば)のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。

 その頃、天下の人を戸籍に()かすべき詔令(みことのり)、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし(はじめ)のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に(かえ)る。ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを()でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ(ところ)に到りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子(ういご)をうみ、之を布に包みて馬槽(うまぶね)()させたり。旅舍(はたごや)にをる處なかりし故なり。

 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者(ひつじかい)ありしが、主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、(いた)(おそ)る。御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜(よろこび)音信(おとづれ)を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主(すくいぬし)うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒(みどりご)を見ん、(これ)その(しるし)なり』(たちま)ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使(たち)さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』(すなわ)ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。(しか)してマリヤは(すべ)て此等のことを心に留めて思ひ(まわ)せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞(みきき)せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ(かえ)れり。

 八日みちて幼兒(おさなご)割禮(かつれい)を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。

 モーセの律法(おきて)に定めたる(きよめ)の日滿()ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と(とな)へらるべし』と(しる)されたる如く、幼兒を主に献げ、また主の律法に『山鳩 一對(ひとつがい)あるひは家鴿(いえばと)の雛二羽』と云ひたるに(したが)ひて、犧牲(いけにえ)(そな)へん爲なり。()よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は()かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に(いま)す。また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、()のとき御靈(みたま)に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を()めて言ふ、『主よ、今こそ御言(みことば)(したが)ひて、(しもべ)を安らかに()かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人をてらす光、御民(みたみ)イスラエルの榮光なり』かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の(あるい)は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ(さから)ひを受くる(しるし)のために置かる。――(つるぎ)なんぢの心をも刺し(つらぬ)くべし――これは多くの人の心の念の(あらわ)れん爲なり』

 ここにアセルの(やから)パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女(おとめ)のとき、夫に()きて七年ともに居り、八十四年寡婦(やもめ)たり。宮を離れず、夜も(ひる)も斷食と祈祷とを爲して神に(つか)ふ。この時すすみ寄りて神に感謝し、また(すべ)てエルサレムの拯贖(あがない)を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。

 さて主の律法(おきて)(したが)ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。

 幼兒は(やや)に成長して健かになり、智慧(ちえ)みち、かつ神の(めぐみ)その上にありき。

 いつもこのように聖書を書き写すなどしていて思うのだが、言ってみればおとぎ話みたいな荒唐無稽な話、例えばマリアが処女にもかかわらず神の威力で妊娠する、といった話の合間合間に、突然、夫のヨセフが「世間体から言って具合がわるいので、離婚しようと思った」とか、原文のままに書けば「ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を()れたり。されど子の(うま)るるまでは、相知(あいし)る事なかりき。」とかいったような、ミョーに人間臭い現実の反応がくっついていたりするところが大好きである。

カポーティ

 そんなことを小難しく考え込んだり書いたりしつつ、しかし夜に鶏肉を食ったりワインを飲んだりケーキを食ったりする。

 キリスト教嫌いだとか言っておいて支離滅裂やなアンタ、と言われそうだが、そんなこと別にどうだっていいのである。

 妻と話していて、どうしてだったか、ふとトルーマン・カポーティのことが話題にのぼる。それで、「おお、そういえば……」と、カポーティの「クリスマスの思い出」という作品の事を思い出す。

 私の家にある本はわりと新しいめの本で、友達に薦められて買った村上春樹の訳のものだ。「クリスマスの思い出」は、「ティファニーで朝食を」の文庫に一緒に収められているのだ。

 で、読んだ当時、「ティファニーで朝食を」よりも、この「クリスマスの思い出」のほうが深く心に染み入り、気に入ったものだ。カポーティが子供の頃に一緒に暮らした、スックという年の離れたいとこの女性の思い出だ。

 妻はこれを読んだことがないという。そこで、二人でテーブルに並んで座り、一緒にページを繰った。何度読んでもいい話である。村上春樹の翻訳がいいというのも、効果があるのだろう。

 この作品は、アメリカでは教科書に取り上げられたり、クリスマス時期にテレビやラジオで朗読されたり、あるいは朗読会が開かれたりする定番であるそうな。そういう理由もあってか、英文だと、アメリカのサイトなどにけっこう沢山貼り付けられたりしている。

 ただ、米国法では著作権保護没後70年だったはずで、カポーティが亡くなったのは昭和59年(1984)だからまだ30年余りしか経っておらず、それをこんなにばんばん貼り付けるのは、多分、無断でやってるっぽい。

 このスックという女性の写真は、「capote sook」あたりでググると、彼らが並んで写ったものを簡単に見つけることができる。ネットで多くヒットするこの写真こそ、実は作品の中に取り上げられている、通りすがりの若夫婦が撮ってくれたというカポーティとスックの唯一の写真である。

徘徊

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 徘徊する。

 と言って、今日は徘徊するつもりでもなかった。子母澤寛の「ふところ手帖」を読みたかったから、図書館に行って、いつものように赤坂の砂場で蕎麦でも、と思っていた。

 その前に、床屋に寄る。正月用に調髪するにはまだ早いが、如何(いかん)せん髪が伸びすぎている。

 行きつけの床屋さん「ファミリーカットサロンE.T 南越谷店」の、顔見知りの理容師の女性は私よりうんと若い人だ。明るい美女で、よく話しかけてくれる。今日はひとつ話題でも、と思い、自分の薄くなってきた頭髪をネタに、

「抜け毛、ハゲというものは、これは俳句の季語になってましてね、『木の葉髪(このはがみ)』と言って、冬の季語なんですよ。有名な俳人、中村草田男の句に、『木葉髪(このはがみ)文芸長く(あざむ)きぬ』なんてのがありましてね」

……などと、無駄な知識を押し付けて差し上げる。……理容師さんには意味が解らなかったかも知れないが、まあ、理容師さんという職業上、髪の毛ネタというのは多い方がよかろうと思ったようなわけである。

 新越谷の自宅からは、半蔵門線に乗っていけば国会図書館のある永田町まで直通一本なのだが、通勤定期で市ヶ谷まで行けばそこから永田町まではふた駅で、この方が安くつく。それで、平日の通勤と同じように日比谷線経由で遠回りしていく。

 日比谷線の上野まで来てふと、床屋に行って頭もスースーするし、そうだ、この前愛用のカスケット無くしたんだった、同じようなやつをアメ横の同じ店で買おう、と思った。

 アメ横と言う所は、意外に店の入れ替わりが激しい。無くしたカスケットを買った店に行ってみたら、とうに別の、何か中華料理屋みたいな店に代わってしまっていた。

 おっさん向けの帽子を置いているところというのは少ない。しかたなしに他の帽子店を探して入ってみたのだが、どうも、1万円とかいう値札が付いていて手が出ない。贅沢をして1万円の帽子なんかかぶったら、もったいなさのために頭皮がかぶれ、ツルッパゲになる恐れがある。

 帽子を買うのをあきらめて、さてどうしようか、と思う。時間も中途半端である。昼近くなってしまったので、今から図書館へ行っても、文庫本1冊全部は読めないし……。

 神田へ行って「やぶ」か「まつや」に行こう、と思い立った。上野から神田はすぐである。秋葉原で降りれば(ふた)駅だ。

 ところが、いざ「やぶ」の前へ行くと、いつも以上の長蛇の列だ。辟易して、並ぶのをあきらめる。それでは、というので「まつや」に行って見たが、「やぶ」以上の行列で、更に気持ちが萎えてしまう。

 うーん、どうしよう。目先を変えて、日本橋のあたりまで出て、虎ノ門・大坂屋砂場へ行って見ようか、と考えを変える。

 新橋の駅で降りて、通りを歩いていく。烏森(からすもり)口というところから出たのだが、大坂屋砂場に向かってしばらく行くと、右手に色とりどりの(のぼり)が並び立っていて、その奥の方に、なにやら鳥居と燈明がゆかしげに鎮座している。

 覗いてみると、「烏森神社」とある。幟には「心願色みくじ」と書いてあって、なんなんだろう、と惹かれた。

 さほどゆかしいところでもないように見えたが、その実、創建縁起を辿(たど)ると、遠く平安時代に遡る古社で、祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だという。倉稲魂命というのは俗に言う「お稲荷(いなり)さん」のことだが、普通の稲荷社とはたたずまいが少し違っている。普通の稲荷社は赤い鳥居が何重にもなっていたり、狐の使者(おつかい)が殊更に赤い前掛けをして狛犬(こまいぬ)座に据えられていたりするものだが、全然そういうことがない。

 沢山の人が参拝していたので、寄ってみた。

 さっそく名物らしい「心願色みくじ」というのへ初穂料を納める。神職さんの説明によると、祈願したいジャンルごとに色分けされた御神籤(おみくじ)をひくというものだ。ではひとつ、今日は金運を祈願してみようと思いつき、それをお願いする。金運は黄色の御神籤だ。

 「中吉」をひきあてた。頂いた(くじ)には、心願をジャンルと同じ色のペンで書き込んで、奉納するのである。私は金運祈願であるから、黄色いペンで願いを書き入れ、奉納処へ結びつける。ヒッヒッヒ、儲かるといいなあ。

 さて、そんなことなどありつつ。

 そのまま通りをまっすぐ西へ行けば、数分で東京屈指の蕎麦(みせ)、虎ノ門・大坂屋砂場に着くのだが、着いてみて残念、休みであった。良く確かめずに来たもんなあ。

 一度蕎麦に決まった口腹の欲求はなかなかひっこめられない。ではというので、スマートフォンでGoogle Mapsにアクセスして、すぐ近所の「巴町・砂場」を検索したら、これがまた、Google Mapsの優秀さ、「今から行っても閉まっています」と即座に警告してくれる。

 うーん。

 そうだ、浅草に行くと、仲見世に帽子専門店が何軒かあったなあ、と思い出す。それなら帽子を買って、それから浅草の並木で蕎麦を手繰(たぐ)ればいいじゃないか、と思いつく。都営浅草線で一本、数駅だ。

 着いてみると浅草は相変わらずの混雑っぷりだ。外国人の多いこと多いこと。紺碧の空にスカイツリーの屹立、そりゃあ観光にもってこいだ。

 人をかき分けて新仲見世通りを歩いていくと、「銀座トラヤ帽子店」の浅草店があった。

 こういう帽子専門店は値段が高い。だから立ち寄ってもダメかな、うーん、どうかな、と思ったのだが、年末らしく表に「2千円から」の札の出たワゴンがあって、形の古いものなどがたくさんある。二~三ひっくり返してみると、下のほうから軽くて黒いカスケットが出てきた。思いがけずなかなかいい品物で、縫製も布もしっかりしている。

 カスケット(キャスケットとも)というのは、ハンチングの一種だ。普通のハンチングは前後にまっすぐ縫い目が通り、「3枚はぎ合わせ」が普通だ。ところが、この「カスケット」と呼ばれる帽子は、中心から放射状に6枚はぎ合わせになっているのが特徴だ。戦前の公務員などがよくかぶっていたこと、また、有名なところでは「レーニン」がカスケット好きで、これをかぶった写真が多く残っている。

 乃木将軍と東郷提督が二人でカスケットをかぶった写真も有名だ。

 で、おお、これこれ、こういうのが欲しいんだよな、と手に取っていたら、店員さんが出てきて、「お客さん、掘り出しましたねえ。これ、処分品なんですけど、カシミヤで、なかなか出てない帽子なんですよ。お安くなってますから、いかがでしょう?」と薦めてくる。もとより、これは大変気に入ったので、即決、3千円で買う。かぶって帰る旨伝えると、きちんと値札を切り取り、袋をつけずに手渡してくれる。

 所詮(しょせん)、飛び込みでヒョイと買った安物だ、と気楽な気持ちでいたのだが、後でタグをひっくり返して見たら、この帽子は大掘り出し物だった。「ボルサリーノ」の銘品なのである。

 この帽子の型番は「BS249」というのだが、後でネットで検索したら、なんと1万6千円である。これはまったく、掘り出したものだ。

 ボルサリーノのカシミヤのカスケットが3千円というのは安かった。

 それから、並木通りの方へ出て、「並木藪蕎麦」へ行ったのだが、もう14時過ぎにもなろうというのに、(みせ)前は行列である。驚いた。

 それでも、15分ほど並んでいたら入ることができた。

 ぬる燗で酒を一本。ここの通しものは固く練った蕎麦味噌で、辛口の菊正宗によく合って、うまい。

 いつもなら蕎麦屋の酒は一合くらいにしておくのだが、なんだか(あきた)りない感じがして、焼海苔でもう一合。ここの焼海苔も火の(おこ)った炭櫃(すみびつ)で出してくれ、ホカホカのパリパリに乾いていて旨い。

 一杯ほど酒の残っている頃おいに、「ざる」を一枚。並木藪蕎麦独特の塩辛い蕎麦(つゆ)は、何度来ても飽きないおいしさだ。

 蕎麦湯をたくさん飲んで、ホカホカに温まって舗を出る。今日は冬麗(とうれい)にも拘わらず気温が低いが、それすら快く感じるほどの酔い心地と温まり方である。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足す。

 せっかく浅草にきたのだから、と神谷バーに寄る。

 電気ブランを一杯。肴に枝豆を頼んだら、店員さんが「すみません、今日枝豆ないんです」と珍しいことを言う。仕方なしに、たまたま目についた「公魚(わかさぎ)の天婦羅」を頼む。単に安いから頼んだだけだったのだが、これがなかなか大ヒットの旨さで、よく揚がっているし、種も美味しく、思いがけない口福が得られたことであった。

 酔っ払って帰宅。