仕事が早く引けたので、皇居の西側、千鳥ヶ淵あたりから半蔵門、最高裁あたりまで、桜など見に行く。折から天気は良くなかったが、そこそこ咲いている。椿も美しい。国立劇場の前の桜は満開。
そのまま歩いて赤坂へ行き、室町砂場・赤坂店で一杯。
帰り途、北千住の東急ハンズへ寄り、五勺の
オッサンは生きている。
図書館でおとなしく過ごす。
国会図書館は、漫画も読める。しかも普通に出版されているものであれば、法律上1部必ず国会図書館に納めなければならないことになっているから、古今の漫画が全部読めるわけである。
館内では飲み食いこそ自由にはできないが、閲覧室には机もあり、のんびりと座を占めて読める。ちょっと前までは情報機器の持ち込みは禁止だったが、今はパソコンの持ち込みもOKで、無料でWiFi(5GHzもあり)も使い放題、快適そのものだ。
そこで今日は話題作のマンガを読む。この前1巻はKindleで無料だったので、続きの2・3・4・5巻。
第1巻はわりと普通な面白さだったが、2・3・4・5巻は次第に大人のドロドロ感が出てくる。
図書館ではほかに、以前
既に春一番も吹いたという。風も暖かく、春の匂いがそこはかとなく混じる気がする。さなきだに、植栽の梅が満開である。
いつもどおり、室町砂場・赤坂店へ行く。
子母澤寛の「ふところ手帖」を読みに国会図書館へ行った。
なんで今更、子母澤寛の「ふところ手帖」なのか。
実は30年くらい前から読みたい読みたいと思っていたのだが、いつか読もう、今度読もうと思っては忘れてしまう。忘れるたびに先延ばしになっているうち、30年も経ってしまったのだ。
そうこうするうち、Amazonなどが出来て、古い本でも気楽に手に入るようにはなったが、値段が高いのでどうしても買うのを躊躇する。そんなことで、読んでいなかった。それがずっと気になっていたのである。
この本を読みたかった理由は、勝新太郎の「座頭市シリーズ」が大好きだからだ。実は30年前の頃でも、座頭市は既に古い作品群であったが、私はこれをビデオレンタルで借りては見ていたのである。
で、その「座頭市」の原作が、子母澤寛の「ふところ手帖」なのである。
30年ほど前、既に旧作となっていた座頭市を勝新太郎が久しぶりにリメイクし、新作として撮ったら、撮影中に勝新太郎の息子の奥村
ところが、あれほど長大な映画シリーズになり、後年にはビートたけしも取り組み、また別作に綾瀬はるか主演の「ICHI」も制作されるなどするほどなのに、子母澤寛の原作は、この「ふところ手帖」の中に、「座頭市物語」という題で、たった6ページしかないのである。
そのことは以前から映画評論などで読んで知っていたが、実際に読んだことがなかったのだ。
それをはじめて、やっと読めたというわけである。
実に面白かった。
勝新太郎があのたった6ページの短編から、どうしてあれほど構想を膨らまたせかもよくわかった。ふところ手帖の「座頭市物語」では、居合抜きの名人、
ただ、原作では座頭市には女房がおり、その女房と出奔するのであるが、勝新太郎の座頭市シリーズには女房は出てこない。そのかわりに、行く先々で色々ロマンスめく、というふうになっている。
さておき。
子母澤寛は古い作家だから、青空文庫あたりで読めないかな、とも思った。しかし、確かめてみると亡くなったのは昭和43年(1968)だ。著作権切れまでにはまだあと2年ほどある。
もしそうでなければ、たった6ページほどの分量だから、図書館で本を見ながら全部入力して、ここに載せてしまうところだった。法律上そうはいかない。「引用」と明記して載せる手もあるが、それはやりすぎというものだろう。
国会図書館にいくと、帰りはやっぱり蕎麦を
一緒に天婦羅蕎麦を頼むと、店員さんがちゃーんと「ちょっと間をあけて……」奥へ注文を通してくれる。
海老や貝柱がたくさん入ったかき揚げで、実にうまい。これに葱と山葵を少しづつ乗せながら啜る。
少し手繰っては、
ああ、やめられない。
私はキリスト教徒ではないから、クリスマスの本義とするところには無関係である。いや、もっとはっきり言えば、キリスト教なんか嫌いだ。
だが、そうはいうものの、
それにしてもしかし、日本社会一般のクリスマスの扱い方は、イエス・キリストの生誕をコケにしているとしか思えない。
もし、こうした日本でのクリスマスの実情を、ありのままにわかりやすくヨーロッパやアメリカのキリスト教徒に説明すれば、彼らは多分、自分たちが大切にしているものを汚されたと思って、「黄禍を今こそ絶ってくれよう」なぞと、例のヴィルヘルム2世の漫画を押し立てて、核戦争の火蓋を切るかも知れない。ああ、おそろしや。
そういうことがないようにするには、「理解をすること」、それができなければ「理解をしようと努力すること」、これだろうと思う。
クリスマスには、私の家もこれまでは子供たちが小さかったこともこれあり、楽しませてやろうとて、飾りをしたり、私が腕をふるって洋菓子を拵えたり、キリスト教の話をしてやったりもしてきたのであるが、最近は子供たちも大きくなってきたから、もっぱら私自身が「キリスト教を理解する努力をする日」ということに、自分ではしている。
今日も、愛蔵の古びた聖書を出してくる。私の持っているのは文語訳のこの一冊だけだ。
イエス・キリスト生誕の節は、一説だけではなく、「マタイ
これらはとうに著作権も消滅していることだから、以下に書き写しておこうと思う。
イエス・キリストの誕生は
左 のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁 したるのみにて、未だ偕 にならざりしに、聖靈によりて孕 り、その孕りたること顯 れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私 に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ囘 らしをるとき、視 よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納 るる事を恐るな。その胎 に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己 が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女 みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱 へられん』之を釋 けば、神われらと偕に在 すといふ意なり。ヨセフ寐 より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、
何處 に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來 れり』ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ質 す。かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、「ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長たちの中にて最 小 き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを牧 せん」と録 されたるなり』ここにヘロデ
密 に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒 のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ寶 の匣 をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物 を献げたり。かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告 を蒙 り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで
彼處 に留 れ。 ヘロデ幼兒を索 めて亡 さんとするなり』ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。ここにヘロデ、博士たちに
賺 されたりと悟りて、甚だしく憤 ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細 にせし時を計り、ベツレヘム及び凡 てその邊 の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、『聲 ラマにありて聞 ゆ、慟哭なり、いとどしき悲哀なり。ラケル己が子らを歎 き、子等のなき故に慰めらるるを厭 ふ』ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを
治 むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退 き、ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。
その六月めに、
御使 ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女 のもとに、神より遣 さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁 せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の許 にきたりて言ふ『めでたし、惠 まるる者よ、主なんぢと偕 に在 せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯 る挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻 らしたるに、御使いふ『マリヤよ、懼 るな、汝は神の御前 に惠を得たり。視 よ、なんぢ孕 りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と稱 へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者 の能力 なんぢを被 はん。此 の故 に汝 が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女 といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。それ神の言には能 はぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女 なり。汝の言 のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。
その頃、天下の人を戸籍に
著 かすべき詔令 、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初 のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に歸 る。ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出 でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處 に到りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子 をうみ、之を布に包みて馬槽 に臥 させたり。旅舍 にをる處なかりし故なり。この地に野宿して夜、群を守りをる
牧者 ありしが、主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、甚 く懼 る。御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜 の音信 を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主 うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒 を見ん、是 その徴 なり』忽 ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使等 さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』乃 ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。而 してマリヤは凡 て此等のことを心に留めて思ひ囘 せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞 せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸 れり。八日みちて
幼兒 に割禮 を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。モーセの
律法 に定めたる潔 の日滿 ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と稱 へらるべし』と録 されたる如く、幼兒を主に献げ、また主の律法に『山鳩一對 あるひは家鴿 の雛二羽』と云ひたるに遵 ひて、犧牲 を供 へん爲なり。視 よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義 かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在 す。また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、此 のとき御靈 に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を讃 めて言ふ、『主よ、今こそ御言 に循 ひて、僕 を安らかに逝 かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人をてらす光、御民 イスラエルの榮光なり』かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或 は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆 ひを受くる徴 のために置かる。――劍 なんぢの心をも刺し貫 くべし――これは多くの人の心の念の顯 れん爲なり』ここにアセルの
族 パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女 のとき、夫に適 きて七年ともに居り、八十四年寡婦 たり。宮を離れず、夜も晝 も斷食と祈祷とを爲して神に事 ふ。この時すすみ寄りて神に感謝し、また凡 てエルサレムの拯贖 を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。さて主の
律法 に遵 ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。幼兒は
漸 に成長して健かになり、智慧 みち、かつ神の惠 その上にありき。
いつもこのように聖書を書き写すなどしていて思うのだが、言ってみればおとぎ話みたいな荒唐無稽な話、例えばマリアが処女にもかかわらず神の威力で妊娠する、といった話の合間合間に、突然、夫のヨセフが「世間体から言って具合がわるいので、離婚しようと思った」とか、原文のままに書けば「ヨセフ
そんなことを小難しく考え込んだり書いたりしつつ、しかし夜に鶏肉を食ったりワインを飲んだりケーキを食ったりする。
キリスト教嫌いだとか言っておいて支離滅裂やなアンタ、と言われそうだが、そんなこと別にどうだっていいのである。
妻と話していて、どうしてだったか、ふとトルーマン・カポーティのことが話題にのぼる。それで、「おお、そういえば……」と、カポーティの「クリスマスの思い出」という作品の事を思い出す。
私の家にある本はわりと新しいめの本で、友達に薦められて買った村上春樹の訳のものだ。「クリスマスの思い出」は、「ティファニーで朝食を」の文庫に一緒に収められているのだ。
で、読んだ当時、「ティファニーで朝食を」よりも、この「クリスマスの思い出」のほうが深く心に染み入り、気に入ったものだ。カポーティが子供の頃に一緒に暮らした、スックという年の離れたいとこの女性の思い出だ。
妻はこれを読んだことがないという。そこで、二人でテーブルに並んで座り、一緒にページを繰った。何度読んでもいい話である。村上春樹の翻訳がいいというのも、効果があるのだろう。
この作品は、アメリカでは教科書に取り上げられたり、クリスマス時期にテレビやラジオで朗読されたり、あるいは朗読会が開かれたりする定番であるそうな。そういう理由もあってか、英文だと、アメリカのサイトなどにけっこう沢山貼り付けられたりしている。
ただ、米国法では著作権保護没後70年だったはずで、カポーティが亡くなったのは昭和59年(1984)だからまだ30年余りしか経っておらず、それをこんなにばんばん貼り付けるのは、多分、無断でやってるっぽい。
このスックという女性の写真は、「capote sook」あたりでググると、彼らが並んで写ったものを簡単に見つけることができる。ネットで多くヒットするこの写真こそ、実は作品の中に取り上げられている、通りすがりの若夫婦が撮ってくれたというカポーティとスックの唯一の写真である。
国会図書館へ調べものに来た。
そのついでに、旧陸軍・二式複戦「屠龍」のパイロットであった樫出勇大尉の書いたものがないか探した。
「陸軍戦闘機隊―私は愛機と共に青春を賭して戦った!」というのが見つかった。多くのパイロットの戦記集成だ。その中に樫出大尉の文章が収載されていたのでそれを読む。
読んだのは6年ほど前のことだ。当時、Amazonのレビューに読後感を書いたが、今日はそのことを思い出し、他に樫出大尉の文章があればと思って探してみたのだ。
内容は光人社文庫とだいたい同じで、どちらかをもとに推敲して使ったものと思われる。
今日も蕎麦を手繰る。砂場蕎麦の名店「室町砂場 赤坂店」は国会図書館から歩いて行ける。
14時過ぎあたり、そろそろ空いたかなという頃合いを見計らって行ったのだが、
とりあえず菊正宗を一合。通しものは浅蜊の時雨煮だ。薄味の出汁で煮てあり、旨い。
いつもは肴に焼海苔をとるが、今日は「梅くらげ」を頼んでみた。以前、室町砂場の日本橋本店で通しものに出され、旨いなあ、と思っていたからだ。菊正宗によく合う。
いつものとおり、まだ盃に一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。
旨い。やめられない。
梅くらげ | 350円 |
菊正宗 | 750円 |
もり | 600円 |
合計 | 1,700円 |
しかも、「砂場蕎麦」は、虎ノ門にしても室町にしても、結構安いのである。
砂場蕎麦を出てうろつくうち、赤坂
その脇に由来書きなどの案内看板がいくつかある。読むと、そのうちの一つに、「ここがかの大力士、雷電為右衛門の墓所だ」と言う意味のものがあった。
これが墓石なのかどうかはわからないが、手形を刻んだ自然石がある。
雷電為右衛門と言うと、「小田原遺恨相撲の一席」などという題で、講談や浪曲、また河内音頭などにもなっているくらいで、伝説は数多い。
生涯326試合中254勝、預かりや引き分けを除くと黒星はわずか10敗という驚愕の戦歴を誇る。勝率にすると96%だ。因みにレジェンド・千代の富士の勝率が71%、白鳳でも89%だから、これと比べても雷電がどれほど異様な強さを誇っていたかがわかる。格闘家中の格闘家だ。
また、文武両道で頭もよく、多くの文章を書き残しており、その日記(『諸国相撲控帳』(俗に『雷電日記』)、『
今日は旧九月の十五夜で、天文学上の望ではないがすばらしく大きな月が出た。
今年はたまたま、先月と今月の日付が旧暦も新暦も同じなので、わかりやすい。旧九月十五日は新10月15日である。
「後の月」は旧九月十三夜なので、一昨夜にあたる。昔の人は仲秋の名月(旧暦八月十五夜、先月)だけ月見をして、この「後の月」を見ないことを「片月見」と言い、縁起が悪いとして嫌った。今年は、先月(旧八月、新9月)の間、次々と台風が襲来したこともあって天気が悪く、無月であった。どうしたって片月見である。
仲秋の名月の事を「
妻が出かけているので、娘二人連れて近所の焼肉屋で晩飯にする。
多少食い足りない程度で焼き肉を切り上げ、近くのラーメン屋に連れて行ってやると、娘二人大喜び。旨い旨い言って食っている。
国会図書館へ「太平記」「梅松論」その他千早赤阪城の闘いに関するものを読みに行った。
その後、今日も蕎麦を手繰ろうということで、国会図書館から歩いて行ける最も近い名店、標記「室町砂場 赤坂店」へ行った。
「室町砂場 赤坂店」は、国会図書館からは15分ほどで歩いて行ける距離にある。国会議事堂の前を通って、首相官邸の裏へまわり、溜池山王から
店は小さく、数寄屋造りの渋い2階建てで、赤坂とはいえ裏通りの静かなところにある。
空いていると踏んだ土曜の午後の遅い時間、臆せず暖簾をくぐる。
先客は二組ほどで、妙齢の白人女性と日本人女性が卵焼きなんかをつつきながら低声の英語で話し込んでいたりした。
私はまず酒を冷やで一合、それから焼海苔を頼む。なんだかこれが蕎麦屋での習慣のようになってしまった。
酒は菊正宗だ。海苔は蕎麦屋でよくある炭櫃入りではなく、「神田・まつや」と同じように小さい海苔箱に入れてくるが、言うまでもなくよく乾いており、厚手の上等の海苔で、がっしりと旨い。それに、他所より多く入っている。
通しものは浅蜊と針生姜を
いつものとおり、一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。
他の砂場と同じく黒からず白からず、それでいて歯応えのある、しっかりした蕎麦が出てきた。
蕎麦湯は濃い目に蕎麦粉が溶け込み、飲み応えがあってうまかった。
菊正宗 1合 | 750円 |
焼海苔 | 350円 |
もり | 600円 |
合計 | 1,700円 |
全部で1700円ちょうどだ。それほど高くなく、あっさりと楽しい飲み食いであった。
このところ毎週蕎麦ばかり手繰っているが、面白いし旨いので、やめられない。
「東京蕎麦名店マップ」を更新し、この店の写真も載せておく。
酒臭い息では信心の上でどうかとも思ったが、