ブラウンバッグ・ミーティング

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 某時某所にて、「ブラウンバッグ・セミナー」という言葉を耳にした。

 意味が分からず、調べたら、「弁当を持ち寄って食いながら仕事の話をする」のを、米国では「ブラウンバッグ・ミーティング」などと言うそうな。今度の場合は「セミナー」だから、弁当持参で食いながら講義を聞こうというわけである。

PHM11_0189 言葉の由来は、アメリカ人の昼めしの、ハンバーガーとかフライドポテトの入った紙袋が茶色の素気もないやつで、この茶色の紙袋のことを「ブラウン・バッグ」というからだそうだ。それを持ってきて、ムシャムシャやりながら仕事の調整や議論をする、と。

 まあ、さすがは仕事熱心な米国人だなあ。私なぞ、昼飯時に仕事の話なんかすることはめったにないから、尚のことそう思う。そういう行動に名前がついている、ってのも、ずいぶん不健康だなあ、と思う。昼めしぐらい落ち着いて食えよ、と思うし、落ち着いて食わせてやれよ、とも思うし、落ち着いて食わせてくれよ、とも思う。

調える方も真剣なら

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 十数年来、妻が作る弁当を持って仕事に通っている。

 私の姑は梅干を拵えるのが上手で、これがなんとも言えず旨い。変な味付けなどしないのがコツらしく、塩と紫蘇だけで純然無垢に漬けてあるのだが、これがかえって複雑な味わいを生み、口に含めば含むほど不可思議の刺激があって旨いのだ。日光に当てた時に、塩分とあいまって、玄妙なる微生物の働きが生じるようだ。

 それをいつもたくさん貰う。そのため、愛妻弁当は、卵焼き程度のおかずをいくつか添えはするものの、私が喜ぶこともこれあり、めしの中心は「日の丸」にしてあることが多いのである。さすがは我が妻だ!俺という男を真髄までよく知り抜いている!日本万歳!!

 さて、この日の丸のめしには食いかたというものがある。

 単純に、梅干をつついてはこれを御菜にして、めしを規則正しく端から食っていくのも整然と筋道が通っていてよいが、これでは単なる及第点だ。なんとなら、この方法による場合、めしを半分まで食った時にちょうど梅干しが半分となり、梅干の下側の、梅酢が程よくしみた飯の処理に迷いを生じて、これを梅肉とともに食ってしまうことにつながり、この部分の味わいを無駄にしてしまうことになるのである(図1)。

図1 梅肉とともに梅干の下の飯を喫食した場合
梅干の下の飯がムダ

 梅干の下のめしは旨いから、これは決して無駄にしてはならぬ。

 したがって、弁当を食い始めるときに、この部分については単独で味わうべく、あらかじめ梅干を取り外すというやりかたがある(図2)

図2 あらかじめ梅干を退避する場合
梅干をよける

 だが、図中に示す如く、この喫食方法では、梅干本体の喫食経過配分を、梅干の下の飯の部分の量だけとりのけて食い進める必要があり、計算量がやや多く、快適に進捗することは困難である。

 そこで、次善の策として、梅干本体を解体し、あらかじめ飯にまぶしてしまうという方法が考えられる(図3)。

図3 梅干をあらかじめ解体して配分する要領
まぶした梅干

 しかし、図でもわかる通り、この食い方は汚らしい。子供がカレーを食うとき、あらかじめ全部混ぜてしまうようなもので、これでは大人とは言えず、姑が文字通り手塩にかけて熟成させた梅干に相対する姿勢として、果たして正しいやり方なのかどうかと思わず自省してしまわざるを得ない。

 そこで、私が採用しているのが、梅干本体をあらかじめ退避させる方法にアレンジを加えた、「対角配分喫食技法」である(図4)。

図4 対角配分喫食技法
幾何配分

 この方法は、まず、梅干を弁当箱の手前直下に退避させて梅干の下の味の染みためしの保全を図る。次いで、梅干を図に示す如く8つの対角領域に区切る。そうしておいてから、その区域をそれぞれ、弁当箱の左右の領域に対角線を想定し、梅肉の分量をめしに割り当て、規則正しく喫食する方法である。

 この方法は非常に優れており、きわめて美しく弁当を食うことができるが、唯一難点があり、それは「種」の処理である。

 だが、この欠点さえ補えば、現在のところはもっともすぐれた喫食技法と言えよう。

 何?「めんどくさいこと考えて弁当食ってるなあ」だって!?

 何を言う。妻が毎朝早起きして真剣に拵える弁当なのだ!調える方も真剣なら、食う方も真剣そのものなのである。また、姑がこの梅干にかける手間暇を思うと、とてものことにおろそかにはできないのだ!

 毎昼、日の丸弁当を前に悩み抜くことこそ、私と妻との昼ごとの、遠隔での魂の真剣勝負なのである。ああ、日の丸弁当万歳!