コンビニへ猫
愛などは月の無常と猫走る
「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。
オッサンは生きている。
推敲して別の形にしたものと、投句しなかったもの。
令和3年10月9日(土) じたばた句会席題 #jtbt
今夜は「酒」に関する御句をお願いします。もちろん「酒」の字はあってもなくてもよく、バー・グラス・肴・下戸・杉玉などなど、酒関係ならなんでも可。新酒や古酒や屠蘇、甘酒、ビール、暑気払いなどの季語もいいですね。さあ、レッツ・ジタバタ!
— SatoToshio (@SatoToshio) October 9, 2021
「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」で、ボツにした自吟です。
うっかりしていて、十三夜が過ぎてしまった。
天文学上の「望」は今夜だが、月見、なかんづく「
忘れていた。
昔の人は仲秋の名月だけを楽しんで後の月を見ないのを「
確か金曜日の夜は台風が近づいていて、良い天気とは言えなかったがチラホラ月が見え隠れしていたのではなかったかと思う。だが、接近する巨大台風19号に気を取られ、とてものことに月を見ようかという気はしなかった。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
「後の月」は一昨日、旧暦九月の十五夜は今日、天文学上の満月は明日の昼。
夕べは旧暦九月十三夜、つまり「後の月」であった。
実は、旧暦九月十三日は今日だとばかり思い込んでいた。今朝になって暦を見、今日は旧十四日だと気付いた。
昔の人は旧暦八月十五夜の「仲秋の名月」だけでなく、九月十三夜の「後の月」でも月見をしないと、「片月見」になる、と言って嫌ったものである。
昨夜、晴れていたから月が綺麗で、夜空を見上げて「そう言やァ、明晩は後の月だな、片月見にならないようにしないとな」などと、日にちを間違ったまま考えていた。
ともかく、曲がりなりにも昨夜の月だけは見た、と言うことで、片月見の縁起担ぎはこれでよしと心中で強弁する。
国会図書館へ調べものに来た。
そのついでに、旧陸軍・二式複戦「屠龍」のパイロットであった樫出勇大尉の書いたものがないか探した。
「陸軍戦闘機隊―私は愛機と共に青春を賭して戦った!」というのが見つかった。多くのパイロットの戦記集成だ。その中に樫出大尉の文章が収載されていたのでそれを読む。
読んだのは6年ほど前のことだ。当時、Amazonのレビューに読後感を書いたが、今日はそのことを思い出し、他に樫出大尉の文章があればと思って探してみたのだ。
内容は光人社文庫とだいたい同じで、どちらかをもとに推敲して使ったものと思われる。
今日も蕎麦を手繰る。砂場蕎麦の名店「室町砂場 赤坂店」は国会図書館から歩いて行ける。
14時過ぎあたり、そろそろ空いたかなという頃合いを見計らって行ったのだが、
とりあえず菊正宗を一合。通しものは浅蜊の時雨煮だ。薄味の出汁で煮てあり、旨い。
いつもは肴に焼海苔をとるが、今日は「梅くらげ」を頼んでみた。以前、室町砂場の日本橋本店で通しものに出され、旨いなあ、と思っていたからだ。菊正宗によく合う。
いつものとおり、まだ盃に一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。
旨い。やめられない。
梅くらげ | 350円 |
菊正宗 | 750円 |
もり | 600円 |
合計 | 1,700円 |
しかも、「砂場蕎麦」は、虎ノ門にしても室町にしても、結構安いのである。
砂場蕎麦を出てうろつくうち、赤坂
その脇に由来書きなどの案内看板がいくつかある。読むと、そのうちの一つに、「ここがかの大力士、雷電為右衛門の墓所だ」と言う意味のものがあった。
これが墓石なのかどうかはわからないが、手形を刻んだ自然石がある。
雷電為右衛門と言うと、「小田原遺恨相撲の一席」などという題で、講談や浪曲、また河内音頭などにもなっているくらいで、伝説は数多い。
生涯326試合中254勝、預かりや引き分けを除くと黒星はわずか10敗という驚愕の戦歴を誇る。勝率にすると96%だ。因みにレジェンド・千代の富士の勝率が71%、白鳳でも89%だから、これと比べても雷電がどれほど異様な強さを誇っていたかがわかる。格闘家中の格闘家だ。
また、文武両道で頭もよく、多くの文章を書き残しており、その日記(『諸国相撲控帳』(俗に『雷電日記』)、『
今日は旧九月の十五夜で、天文学上の望ではないがすばらしく大きな月が出た。
今年はたまたま、先月と今月の日付が旧暦も新暦も同じなので、わかりやすい。旧九月十五日は新10月15日である。
「後の月」は旧九月十三夜なので、一昨夜にあたる。昔の人は仲秋の名月(旧暦八月十五夜、先月)だけ月見をして、この「後の月」を見ないことを「片月見」と言い、縁起が悪いとして嫌った。今年は、先月(旧八月、新9月)の間、次々と台風が襲来したこともあって天気が悪く、無月であった。どうしたって片月見である。
仲秋の名月の事を「
妻が出かけているので、娘二人連れて近所の焼肉屋で晩飯にする。
多少食い足りない程度で焼き肉を切り上げ、近くのラーメン屋に連れて行ってやると、娘二人大喜び。旨い旨い言って食っている。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
……そういや今週は木曜が十三夜で後の月だったな、と思い出しました。仲秋は無月だったから、晴れたって後の片月見。
秋の名物と言えば月である。しかし、「中秋の名月」が終わった途端、誰も月を見なくなってしまうのは残念なことだ。人々が三々五々祭りの喧騒から帰ってしまうような感じは、なんとしても惜しい。
最近は欧米白人の言説に惑わされてか、「月の光を浴びると狂気が生じ、犯罪が多発する」なぞと言いふらす輩が増えているが、古来日本人は四季のはっきりとした日本の風土とともに独自の文化をはぐくみ、月を美しいものとして鑑賞してきたのであって、月を見たからと言っていちいち欲情したり犯罪に走っておっては身が持たぬ。
一般ピープルは中秋の名月を見終わってサアヤレヤレ、ほなサイナラ、と月から去ってしまうが、私のような玄人(マテ(笑))は、ここからが違う。万事、「人のゆく裏に道あり花の山…」なのである。
中秋の名月にしても、私なぞ、十五夜で大騒ぎはせぬ。まず、その前日、「十四夜」で騒ぎ始める。十四夜は「
さて、そうして十五夜を迎え、人々の喧騒が去った翌夜、また私の出番(笑)となる。
十五夜の翌夜は、そのまんま「十六夜」と言う。これは
この次もまだある。中秋の名月の二日後の月を「
これくらいかというと、まだまだ月は終わらない。その翌晩の月を「
まだありますよ(笑)。十九夜、つまり四夜後の月、もうこうなってくるとだんだん下弦に近づいてくるのであるが、この月を「
これで終わりかと思ったら、まだまだ引っ張りますとも、ええ。二十夜の月を「
で、二十夜も過ぎると、見えるところに月が上がってくるのは、午後九時ほどにもなってしまう。こうなると、月のことを言っているにもかかわらず、月を指して言わずに「宵闇(よいやみ)」なぞと言ってみたりする。
さて、中秋の名月に続く夜々はこんな具合だが、まだ秋の月は終わらない。なかなかシツコイ(笑)。そのひと月後、つまり旧暦九月十五日(今年は10月19日(土)にあたる)も、当然満月である。これを「
豆や栗を供え、「中秋の名月」のように月見をする。中秋の名月にだけ月見をして、この十三夜に月見をしないと、「片月見」と言って縁起がよくないものだそうな。
なんにせよ、月は美しい。カレンダーというもののない昔の、文字の読めない人たちでも、「空にカレンダーがかかっているように」、月の満ち欠けで日にちを知ることができるという実用上の意味も月には大いにあった。妖怪や犯罪、性欲なぞ言う無粋なことはこの際置いて、かぐや姫のおとぎの居所を眺めてしみじみしたいものである。