変人落想

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 このところ、よくアニメや漫画を見たり読んだりするようになった。若い頃は活字だけでなく漫画もよく読んでいたが、ここ数十年は活字にばかり親しんでいたので、60歳を前にしてまたずいぶん変わったものだと我ながら思う。

 アニメや漫画は楽しい。

 このところ楽しんでいるのは、「異世界おじさん」「葬送のフリーレン」「薬屋のひとりごと」だ。「薬屋のひとりごと」は単行本は買っていないが、「異世界おじさん」と「葬送のフリーレン」は単行本も全部買って読んだ。

 これら3作品のうち、「異世界おじさん」と「葬送のフリーレン」には、「旅」が共通項としてあるが、「薬屋のひとりごと」に旅の要素はない。他方、これら3作品に共通しているのは、いずれも「主人公が相当な変人 “変人落想” の続きを読む

日本ITストラテジスト協会関東支部オープンフォーラム2019

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 今日は日本ITストラテジスト協会関東支部主催「オープンフォーラム2019」に参席した。

 最近数年の会場は決まって「秋葉原UDX」(旧青果市場辺りの大きなビル)だったが、今年は「一橋大学の一橋講堂」で行われた。

 私はチラシの「一橋大学」を瞥見(べっけん)して、それだけを頭に入れ、エイヤッと国立市まで行った。駅前でノンビリと昼飯など喰った。

 文教都市を標榜する街で、すばらしく幅広い並木通りをノンビリと歩き、一橋大のキャンパスに入った。

 案内板を見たのだが、一橋講堂というものはなく、最も近い名前のものは「兼松講堂」である。時間は12時ちょっと過ぎであった。

 ハテ……というので、門内の守衛さんに「あのう、すみません、一橋講堂っていうのは、どこでしょうか?」と聞いてみたら、

「ハァ!?一橋講堂!?……いや、ありませんよコチラには。そういうのはちょっと……こちらにあるのは『兼松講堂』ですしねえ……」

「えっ、私、もしかしてとんでもない方に来たのかしら?」と私。

 守衛さんはちょっと考えて、パッと表情を改め、

「あっ、そうだ、わかる。一橋講堂ってのは聞いたことがありますよ、ちょっと待ってくださいよ、どこに書いてあったっけ……」

と、守衛所内に備え付けてある「マップル」をバラバラッと繰ってくれた。

「あ、ここだここだ。千代田区一ツ橋……これはあれですよ、水道橋の向こうの、アッチのほうですよ」

「ゲゲッ!……私、全然違う方に来たんですねえ、こりゃまいった、守衛さん、どうもありがとうございました」

「いえいえ、慌てずお気をつけて」

……というようなわけで、中央線の快速特快で急遽神田まで引き返し、十数分ほど遅れて着いたという塩梅式であった。

 東京の各大学のキャンパスは、アッチコッチにバラバラにあるからヤヤコシイ。

 高等教育に縁のない私は、今日という今日まで知らなかったが、一橋大学はかつて東京の一ツ橋、すなわち、現在の学士会館のあたり、今日のオープンフォーラムの会場付近に所在したが、関東大震災の被害をしおに国立市に移転したのだそうである。

 親戚のニイチャンが一橋大だったが、どこに通っていたのかも今日まで知らなんだ(笑)。

 多少遅れたものの、聞きたかった特別講演はだいたい全部聞くことができた。

特別講演1:『今、日本に必要なデジタルトランスフォーメーションとは?』 ~ 「所有」から「利用」へ、デジタル化がもたらす新しいビジネスモデル サブスクリプションが普及する背景

 江端浩人事務所代表・江端浩人氏による講演であった。

 江端浩人氏は日本マイクロソフト・日本コカ・コーラ等大企業のCIOを歴任し、デジタルで経営を牽引してきた斯界の第一人者であり、その手腕については堀江貴文氏やDeNA創業者の南場智子氏らと並び称される人物である。

 DX(デジタル・トランスフォーメーション)という観点からは、氏は過去にもDXにかかわってきており、Windows95のエンタープライズへの導入やiPhone、クラウドなど、多くの事例で活躍してきている。

 氏は最近、「サブスクリプション・モデル」に着目しこれに注力している。

 サブスクリプション・モデルとは、例えば「Microsoft Windows」のライセンス形態の一部に見られるように、「使用権を賃貸する」業態である。最近はWindowsのようなソフトウェアだけでなく、スマホの定額通信や定額制の動画配信サービス、Amazon Kindleの読み放題など、デジタル業界では既に定着しているが、他にも自動車のシェアリングやスターバックス・コーヒーの定額サービスなどにも見られ、最近では月額定額の「ラーメン食べ放題」や、女性向けの定額の美容院、「定額住み放題の住居」などまで登場している。

 このモデルは利用者側から見ると「気に入ったブランドを気にすることなく安定して利用でき、割安感があり無駄な所有をしなくてすむ」利点があり、提供者側から見ると「収益を先取りして安定させ、多くの場合増収になる」という利点がある。

 江端氏自身も「動画広告を作成するサービス」をサブスクリプション・モデルで立ち上げ、取り組んでいる。

 実は、昔から富山の薬売りや牛乳配達など、日本には昔からサブスクリプション・モデルがあったが、現在のサブスクリプション・モデルとはインターネットをはじめとする電子的な仕組みが介在するか否かが大きく異なる。電子的な仕組みにより、提供者側と利用者側の情報格差の解消などがかつてとは異なる状況となっているように思われる。

 サブスクリプション・モデルの普及には条件があると氏は考えている。すなわち、単なる定額ではなく「付加価値」「出会い」例えば新しいファッション、いつも一流の美容室、BtoB、日本に非常に合ったモデル(おもてなしなど)、常連さん文化、お小遣い制、顧客の手間を省く(リコメンド)等々である。

 また、サブスクリプション・モデルは原価が低い商材(すなわちデジタル情報など)に合ったモデルであり、原価が高く供給量が少ないものは合わない。

 これからのサブスクリプションモデルを含め、企業の経営全体を俯瞰すると、社会的な意義をもたない会社やブランドは支持されなくなる。単純なCSR活動だけでは不十分であり、世界的なSDGsの広がりが背景にあることを踏まえ、これらにも注力することが必要であると氏は言う。また、氏はブランドアクティブズム、ダイバーシティなど、改めて取り組むべき課題は多くあるはずであると指摘している。

 氏はデジタル・トランスフォーメーションの視座からサブスクリプション・モデルをとらえて活動中であるが、これと「デジタル人材育成」をもライフワークとして取り組み中とのことであり、「一番自分の身になるのが人に教えることと思う」として講演を締めくくった。

 聴講者からは、「利用者から見て『所有をしない』ことは有利なことのように思えるが、その一方、GAFAなどデジタル経営の成功企業は、例えばGoogleが検索により取得した情報を独占していることに見られるように、『所有』の利点を最大限に生かしている。この『所有』と『非所有』の相克を如何にとらえるべきか」との質問もなされ、この点でさらに整理が必要かとも思われた。

特別講演2:『POST2020に向けたITヘルスケアサービス/ウェアラブル技術を活用した生体情報センシングの研究とビジネス化』

 WINフロンティア株式会社CAO (Chief Algorithm Officer)・芝浦工業大学客員准教授・駒澤真人氏による講演であった。

 WINフロンティア株式会社は、ウェアラブル技術を使用した人間情報を扱う会社である。

 特に最近は心拍数の測定による感情の変化などを定量評価することに成功しつつあり、多くの応用を広げている。

 単に心拍を測定することであれば、従来から医療機器の長時間心電図採取などが利用されているが、最近はセンサの小型化、また周辺機器、特に記録の高密度・高容量化(SDカードなど)、スマホとの連携による通信、ひいてはクラウド・リソースの活用などにより、コンシューマー・レベルで気軽に心拍を測定することができるようになった。

 かつては記録に限界があったために、長期間の測定が必要な感情の変化などのモデルに当てはめづらかったが、現在はクラウドのストレージの利用などにより、ビッグデータを参照して心拍から感情の変化を検知し、個人のメンタルチェックを行うことができるようになった。

 これによって「自律神経の活動」を測定し、メンタルヘルスの管理に有用な製品が得られるようになったという。

 氏の会社では、指先の血流量をスマホのカメラで測定することのできるスマホアプリ「COCOLOLO」を開発し、産業医のカウンセリングにこれを活用するなどしており、「働き方改革」への応用なども提案している。

 今後の注力領域として、一般に心拍数は継続して測定してもらうことが難しいため、「ヘルスゲーミフィケーション」、すなわち、健康状態取得活動をゲーム化して面白くし、熱中してもらうことなどを試みており、既にそのようなゲームもリリースしている。また、「ヘルスリテラシ」、すなわち健康へのリテラシ向上、健康教育、知識の普及を図りたい、としている。

 他に、感情を分析した製品開発、製品のリラックス効果を定量的に評価するなども試みており、例えばユニクロのジーンズのリラックス度の評価をセンサを使用して計測して定量評価し、他社製品と比較するなどといった業務にも成果を収めつつある。

 POST2020において氏は「ストレスマネジメントの総合プラットフォーム」を目指す、とし、今後さらに皮膚の下にインプラント型センサを埋め込んで詳細なバイタル・データを計ることなどを試みたいとした。

 「ゆっくり生きると自律神経が整う」ゆっくりよく噛んで食べることなど、何事も意識してゆっくり行動してみると、自律神経のコントロールに有用である、と結語した。

特別講演3:『あらゆるモノに知性を与える「エッジディープラーニング」の可能性』

 LeapMind株式会社CEO・松田総一氏による講演であった。

 社会では既にAIの応用が浸透し、各所で実用されている。一方、更にAIを活用するには、太い通信帯域やリソースにコストのかかるクラウドのみの利用に頼らず、情報発生源に近い「エッジ」においてAIによる高速な前処理を行うことが有利であることはかねて指摘されているところである。

 松田氏の会社は、この「エッジ」領域でのディープラーニング・ハードウェア開発で成長している。

 氏によると、日本におけるAIは、既に遠く米国・中国の後塵を拝する状況であり、世界をリードしようとするにはもはや手遅れの状況にあるという。しかし、唯一、「組み込み」ドメインでは米・中に勝るものがあると氏は見ており、その所以からエッジでのディープ・ラーニングにチャレンジし、成功しつつある。

 現在、AI~ディープラーニング界は急激に増大する「原データ」「ビッグデータ」と格闘しつつある。今後、スマホをはじめ、IoTデバイスが増えることでデータ量が爆発し、必ず「エッジ処理」が必要になる。

 クラウドはインターネットが必須、レスポンスが遅い、利用料金が高い。一方、ローカルに置かれたGPUはデバイス単価が高く、消費電力が大きい

 ところが、組み込み向けのFPGA・ASICは、ネット常時接続が不要であり、デバイス単価が安く、レスポンスも早くて消費電力が小さい。

 こうしたことから、ASICはテレビ、カメラ、電子レンジ、冷蔵庫などに応用され、FPGAは電車、フォークリフト、監視カメラ、ドローン等に応用されている。 

 これらはセグメンテーション・ノイズリダクション・姿勢推定、超解像、物体検出などに使用されている。

 世界の趨勢に眼を転じると、最近Google PIXEL4が発売され、美しい写真が撮れるカメラが話題になっている。既に光学的な技術については、カメラは限界に達していて、機械的・工学的に美しい写真を追及することはもはやできない状況にあるが、PIXEL4は撮影された生画像データを機械学習・ディープラーニングによる画像レタッチによって美しく加工しているのである。つまり、ソフトエアによるハードウェアの性能引き上げが常態化しており、この点でPIXEL4は時代の象徴的な製品であると言える。

 他にもエッジにおけるディープラーニング活用は応用が幅広く、自動車、製造業での異物・不良品検出、宇宙での応用、セキュリティカメラでの混雑状況検出、ドローンの自律操縦などで着々と成果を得ている。

 氏は今後更に低消費電力化・低システムコスト化を図って成長を狙いたい、として講演を締めくくった。 

JISTA会員による公開パネルディスカッション「POST2020における課題」

 モデレーターは富田良治氏、パネラーは赤沼直子氏、仲尾健氏、満川一彦氏、諸葛隆太郎氏の4方であった。

 「POST2020」における課題が世の中においても議論されている。いわく、「オリンピック後に景気が落ち込む」「2025年に団塊世代が75歳に」「労働人口が2000年から2025年に400万人減少する」……等である。

 また、経産省が先頃出した「DX(デジタル・トランスフォーメーション)レポート」も話題となっている。これにいわく、「2025年の崖」「既存システムの老朽化、複雑化、ブラックボックス化、データを有効に活用できない」……等である。

 こうした現状認識の下、斯界の中核を担う日本ITストラテジスト協会の正会員4名が討論を行った。

 経営陣におけるデジタルに関する現状認識と、技術陣におけるそれにはやはり乖離なしとせず、ここにおいて「ITストラテジストの存在意義」があろう、というコンセサスが概ね討論の結論となったように感じた。

 また、「意外と経営側の人は足元が見えず、社内にどういう技能を持った人がいるかがわかっていないことが多い、社内にこういう人がいて、足りない人はこういう人ですよ、とか、そういう当然のことが提案でき、把握して報告できる、そういうこともITストラテジストの職能の一つではないか?」との意見もあり、自分の職場にも人材育成上そういうところがあるな、と感じて参考になった。

秋期情報処理技術者試験とITストラテジスト

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 昨日(10月第3日曜日、今年は10月20日日曜日)は秋期情報処理技術者試験の日であった。

 私は「ITストラテジスト」のキーワードでこのブログに記事を書いていることもあり、毎年秋のこの時期と、合格発表のある、2か月先の12月~年明け頃になると「ITストラテジスト」のキーワードでの検索アクセスが増える。

 「ITストラテジスト」はなかなか歯応えのあるテストだが、経験を積み、勉強をすれば必ずしも合格不可能と言う事はなく、それよりもなお、なかなか役に立つ資格であるから、興味のある向きは奮って受験してみては如何。

DVD・徘徊

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 十数年以上前に流行(はや)った漫画「のだめカンタービレ」を、ゴールデンウィークに全部一気に読んだ。面白かった。

 妻もゆっくりと読んでいる。妻はメディアミックスでないと面白くないらしく、ドラマのDVDをツタヤで借りてくるので、それも一緒に見ている。

 昨夜DVDの3巻・4巻を一緒に借りに行った。その時、この前Amazon Prime Videoで見ようと思ったのに見ることができなくなっていた杉浦日向子原作のアニメ「百日紅」を見てみようと思い、それも借りた。

 今日は日本ITストラテジスト協会関東支部の月例会があるのだが、今日のイベントは「商談会」である。立場上私は商談には参加できないので、参加してもどうにもならぬ。傍観していたところで人の役にも立たず、面白くもないから、欠席した。


 今日の昼めしは虎ノ門の大坂屋砂場でとった。通しもの三点盛で蕎麦前をゆっくりと飲み、牛蒡(ごぼう)のかき揚げの天せいろを手繰った。

 西新橋から環2通りへ出て、汐留へ行き、シオサイトの空中回廊を(そぞ)ろ歩く。ローマ風大理石彫刻のレプリカが飾られた「イタリア公園」などというのがあった。

 海が近い。薫風が袖口から入る。もう今週を最後に散るかな、という頃合いの花皐月があちこちの植栽で鮮やかに紅い。

 シオサイトの回廊を歩き終わると、突き当りに芝離宮がある。150円払って入ってみた。大きな池に微風がわたっている。広々と気持ちがよく、庭園の造形が渋い。ちょうど額紫陽花(がくあじさい)が青く咲いている。

 庭園を出て海に向かう通りを東へ歩いていくと、なんだかよくわからないが人だかりがしている。近づいて行ってみると、伊豆諸島の観光イベントをやっているようだった。

 くさやの干物などもあるようで、お土産に買いたかったが、妻と子供は嫌がるだろうなあ、とも思い、買わなかった。

 日の出埠頭までのろのろと歩き、水上バスで帰ることにしたが、気が向いたので反対向きのお台場向きへ乗った。

 今日は何か花火が上がるらしく、お台場の船着き場はあちこちに立ち入り制限がしてあって面白くなかった。すぐに浅草行きへ乗って引き返した。

 船の屋上で風にあたりながらヘッドフォンで音楽を聴いていると、吾妻橋のあたりだったか、船員が駆け上がってきて、大きな声で乗客に何かを指示した。私はヘッドフォンをかけていたので、何を言っているのかわからなかったのだが、立っていた乗客たちが皆てんでにしゃがみこんだ。私も驚いてしゃがんだ。今日は満潮が近くて川の水位が上がり、船の屋上がぎりぎり橋の下を通れるくらいだかららしい。実際、橋の底がしゃがんだ乗客たちの頭上をきわどくかすめ過ぎていき、「ゲゲッ、危ないじゃねえか!」と思うくらいであった。

 それが2回くらいあった。動画は多分、永代橋の下を通るところじゃないかと思う。

 だが、面白かった。

 浅草で降りて、浅草寺の二天門から仲見世通りへ入り、新仲見世をちょっと見た。神谷バーで電気ブランでも、と思って覗いてみたが、ものすごい混みっぷりで、いつも陣取る壁際のスタンドカウンターまでいっぱいだったので、やめてしまった。


 東武線で家に帰る。帰りに市立図書館の南部分室へ立ち寄り、本を2冊借りる。なんとなく手に取った文庫の古本、林望の「イギリスはおいしい」と辰巳芳子の「味覚日乗」。

 家でもう少し飲んでから晩御飯を食べた。それから、妻と一緒に昨日借りた「のだめカンタービレ」を見た。続けて「百日紅」を見たが、10分くらい見たところで眠くなり、そのまま朝まで眠ってしまった。

日本ITストラテジスト協会関東支部月例会

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 今日は昨日までの雨模様もどこへやら、早朝は料峭(りょうしょう)、青空が広がり、花も七分咲きの()で頃、日が高くなるに従い暖かとなる好日中の好日であった。

 そんな一日、標記の会合に参加した。会場の文京区民センターは水道橋・東京ドームの(そば)にある。プロ野球の開幕戦見物で賑わう人出の中をかき分けかき分け出かけた。

 実は長いことITストラテジスト協会関東支部の月例会には出ておらず、久しぶりの参加である。ほぼ3年半ぶりであろうか。

 会は支部の活動に関する連絡や有志によるライトニングトーク等のあと、恒例のテーマ別ディスカッションとなる。

 本日のテーマ別ディスカッションは、「プレゼンに役立つ エンジニアのための理論でわかるデザイン入門」と題し、アートディレクターとして高名な伊藤博臣先生をお招きしての特別講義であった。

 伊藤先生は「Think IT」のサイトで連載をされ、その連載内容を中心にまとめられた「エンジニアのための理論でわかるデザイン入門」という著書を出しておられる。

 今日の講演はこの著書の内容に沿って進められた。実践的なデザインの基礎を学ぶ内容だ。

 デザインは芸術的な感性や才能の所産である、などと我々凡百の者は思いがちであるが、伊藤先生によればこれは誤りであり、デザインは目的や設計と言った明確な「コンセプト」の所産であるという。多少は才能や感性によるところもなくはないものの、ほとんど関係ないのだそうである。これには非常に考えを改めさせられるものがあった。

 よくあることだが、見づらい文書やスライドショーを見て、「センスがないなあ」などという感想を持つことがある。しかし、これはセンスや才能が足りないのではなく、伊藤先生によれば「分析が足りない」ということなのである。

 講義を聞くと、なるほど、その通りだな、と納得できた。

 その見方のもと、分析的なコンセプトの作り方、フォントの選び方、画面の構成の仕方、さまざまな要素の配置の仕方、色彩の選び方などを御教授下さった。非常に勉強になった。

 今日は支部の月例会としては過去最大人数の70人以上が集まったそうで、盛会であった。

 その後、近傍で行われた懇親会に参加した。懇親会も40名を超える大人数であった。私はだいぶご無沙汰していたので、あらためて多くの方々に挨拶させていただいた。

 春燈おぼろに煙る中、良い気持ちで帰宅した。盛会にしてくださったJISTA関東支部スタッフの皆さんに感謝申し上げたい。

特に(こだわ)りもないが

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 平成18年頃からブログに読書記録を付けていた。使っていたブログサービス(OCNの『ブログ人』)が提供していたリスト化機能を使ったものだった。いつだったか、その機能のサービスが終了してしまうことになった。末端の一ユーザからは是非など言うべくもない。

 そのため、折角つけた記録が無くなってしまうことになってしまった。記録は100や200くらいはあったので、 “特に(こだわ)りもないが” の続きを読む

日本ITストラテジスト協会オープンフォーラム2017

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 今日は日本ITストラテジスト協会関東支部の「オープンフォーラム2017」に参加した。毎年開かれており、ITストラテジストが秋葉原に集合する。

 私も毎年参加させていただいている。数年前まで定例会にもよく参加していたので、オープンフォーラムでもスタッフとして末席を汚していた。最近他の事に取り紛れて定例会に行っていないので、去年に続き今年も無役で参加する。

 今年のテーマは「AIとビッグデータをIT戦略に生かすための方策」である。

 ビッグデータの活用については近年、あらゆるところで相当に取沙汰されており、一時の幻滅期を経て、これを活用できるところはすっかり波に乗って活用しており、もはや当たり前となって騒ぐほどの事ではなくなったように見受けられる。だが、波に乗り切れなかったところでは、何事も起こっていないかのように感じられる。

 一方のAIについては、昔から言われてきたことではあるものの、近年に至ってようやく大きな注目を集めはじめた。将棋やチェスなどの象徴的なものは勿論だが、これらは何らかの生産をもたらすものではなく、表徴的なものに過ぎなかった。ところが、生産や経営と言った実質上のことがらに応用ができるようになってきた。

 そこでJISTAでもこれらを社会に生かすため、ITストラテジストとして何ができるかと言う観点からこうしたテーマを挙げているのである。

 実行委員長の挨拶に引き続き、プログラムは早速基調講演1に移る。今回は楽天株式会社執行役員兼楽天技術研究所代表の森正弥氏から、「ECにおける『個別化』後の人工知能活用と協創の世界」と題しての講演であった。

 楽天での様々な実例を踏まえた豊富な知見からなされる、非常に耳新しい講演であった。

 森氏の「シニアはITにせよAIにせよ、それが『ツールである』という言い方、発想をよくする。これではうまくいかない。若い人はITやAIを中心に据えて考え、それで何ができるか、というふうに考え、それをもとに全体を作り直そうとする。そうするとうまくいく」という冒頭の指摘には、考えさせられるところ極めて大であった。また、従来のビッグデータの常識では、データ分析をする際、データの前処理に8割の労力が割かれたものだが、AIによるビッグデータ分析では、前処理したデータを使用すると分析の精度が劣るようになる、AIというものの処理の仕方を知ればそれは自明のことなのだが、そこは盲点である、というお話についても、(もう)(ひら)かれるところがあった。

 プログラムの二つ目は国立情報学研究所情報社会相関研究系准教授の水野貴之氏からの講演で、「企業経営に役立つビッグデータ分析」との題である。

 水野氏は「ビッグデータ分析は、何かしたいという目的や欲求に合わせて『このデータを合目的的に集めよう』としても、うまくいかない。『この料理を作ろう』と献立を決めて、必要な材料を買いに出かけるのに似ている。材料を買いに行ってみたら店にはその材料がなく、結果、料理全体が作れない、ということはままある。データも同じで、目的に合わせてデータを取得しようとすると、経済的な問題などからそのデータが得られない、集められない、だから結果として何もできない、というような問題に直面する。他方、うまくいくビッグデータ分析は、『冷蔵庫の中の残り物を見て何が作れるか献立を決める』ようなやり方に似ている。入手できるデータに何があるかをまず見極め、それを使って何ができるかを考えるのである」という。なるほど腑に落ちる説であり、さもあろうと思われた。

 また、「価格.com」における、比較的高価な値段付けにもかかわらず売り上げのある店についての分析に、アダム・スミスの「神の見えざる手」や近代経済学、情報の偏在などをとり入れた修正市場理論にいたる経済学説を突き合せた考察には瞠目させられた。

 基調講演の次は、講演者のお二方とJISTA会員による恒例のパネルディスカッションである。今年のパネルディスカッションのテーマは「データ活用相談室『最新技術をどうするの?』」との題で、会員からビッグデータ活用上の相談テーマを募り、これについて議論し、アドバイスするというものだ。寄せられる疑問などに共感を覚えるものも多く、興味深く聞くことができた。

 最後に日本ITストラテジスト協会関東支部の活動報告と関東支部長からのご挨拶があり、今年のオープンフォーラムは終了した。

 やや雨模様の秋葉原であったが、今年も非常に勉強になるオープンフォーラムであった。盛会裡に催しを実行したスタッフの皆さんに感謝を申し上げたい。

立春の丸一日の散歩

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 旧正月も節分も過ぎた。まだまだ寒さ厳しい折柄とは言え、暦の上では新春、しかも今日は既に立春である。近所の日当りのいいお宅の庭では、そろそろふくらみはじめている梅の蕾もある。

 時節、であろうか。

 なにやら物の気配に誘われるような、そぞろ落ち着かぬ気持ちもしていたところ、日本ITストラテジスト協会で知り合いになったHさんからお声がかかる。ひとつ今度の休日を共に散歩でもして楽しもうではないか、とのお誘いである。Hさんは同郷の先輩でもある。

 興が乗り、二人して数週間前から何をしようかと相談した。

 Hさんは「池波正太郎的な世界観の散歩をしようよ」とおっしゃる。なるほど、よしきた、合点というものだ。私も池波作品については鬼平犯科帳から仕掛人梅安から剣客商売から、多少ほどは読んでおりますからね、ええ、ええ。

 Hさんが「これは外せない」とする要素は、「池波正太郎」「舟」「蕎麦」「風呂」だという。

 はて、「池波正太郎」「蕎麦」はよしとして、「舟」「風呂」はどうしたものかな、と考えあぐんでいると、Hさんが「今回はひとつ、噂に聞く『矢切の渡し』に乗ってみようよ」と言った。

 なるほど、江戸のむかしから矢切の渡しというものは伝えられているが……。しかし、今でもあるのだろうか。……と、そんな風に不審を覚えるのは取り過ごしで、これが実は、まだあるのだ。江戸時代から伝えられたそのままの姿で、今も()()ぐ川船で江戸川を渡している。

 Hさんと交々(こもごも)相談し、散歩コースを決める。

 それで、今日、2月4日の土曜日に散歩しようと言う事になった。

「野菊の墓」文学碑

 今日の散歩のスタートは「矢切の渡し」である。矢切の渡しというと、時代劇や細川たかしの演歌でも知られるが、知る人ぞ知るのは名作文学「野菊の墓」の舞台であることだ。

 私は「野菊の墓」の題名は知っているが、実は恥ずかしながら読んだことがなかった。映画では、最も近いところで若い頃の松田聖子が主演したり、それ以前にも何作か別の女優で制作されていたことも知ってはいるが、これがまた、どれも見ていないのである。テレビドラマでは山口百恵主演のものをはじめ、他にも何作かあったように思うが、やはりどれも見ていない。

 原作を読まなくっちゃいけないでしょう、こうなれば。

 で、作者の伊藤佐千夫は没後長く経つので、既に著作権は切れており、青空文庫で読むことができる。無料だ。

 青空文庫はKindleでも読める。そこで、Kindleで0円購入してこれを読みつつ、家を出発する。短編だから、2時間ほどもあれば読み終わるだろうとばかり、Hさんと落ち合う約束の10時に先立ち、8時に家を出、読みながら電車に乗る。

(伊藤佐千夫「野菊の墓」冒頭から引用・昭和38年(1963)日本法著作権消滅)

 のちの月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、むしろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味をむさぼって居る事が多い。そんな訣から一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。

 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりわたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈かいわいでの旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るようなしいの樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森いもりで村じゅうからうらやましがられて居る。昔から何ほど暴風あらしが吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根をがれたことはただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまたすすやらあかやらで何の木か見別けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いとこでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目もくめも判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠くぎかくしなども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きいがんであった。勿論もちろん一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。

 僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに自慢されていた。その頃母は血の道で久しくわずらって居られ、黒塗的な奥の一間がいつも母の病褥びょうじょくとなって居た。その次の十畳の間の南隅みなみすみに、二畳の小座敷がある。僕が居ない時は機織場はたおりばで、僕が居る内は僕の読書室にしていた。手摺窓てすりまどの障子を明けて頭を出すと、椎の枝が青空をさえぎって北をおおうている。

 母が永らくぶらぶらして居たから、市川の親類で僕には縁の従妹いとこになって居る、民子という女の児が仕事の手伝やら母の看護やらに来て居った。僕が今忘れることが出来ないというのは、その民子と僕との関係である。その関係と云っても、僕は民子と下劣な関係をしたのではない。

 僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、民子は十七だけれどそれも生れがおそいから、十五と少しにしかならない。せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味あかみをおんだ、誠に光沢つやの好い児であった。いつでも活々いきいきとして元気がよく、その癖気は弱くて憎気の少しもない児であった。

 さすが、夏目漱石をして「何百編よんでもよろしい」と激賞されたというだけのことがある美しい文章である。少年と少女の清純な恋情を美しく、精密に、それでいて簡潔に描き出したすばらしい小説であり、泣ける。

 さて、矢切の渡しの最寄り駅は北総線の「矢切」駅で、渡し場は駅から歩いて3~40分というところだ。

 駅前でHさんを待つ間、野菊の墓を読み耽る。9割ほど読み終わり、物語の山場で感極まって涙目になっているところへ、丁度待ち合わせ時間の10時きっかり、Hさんが到着する。

 挨拶もそこそこに「HさんHさん、渡し場に行く途中に『野菊の墓』の文学碑がありますから、是非寄って行きましょう」と誘い、Hさんも文学碑が気になっていたとのことで、さっそく出発する。

 庚申(こうしん)塚と(やしろ)のある曲がり角が目印で、そこから丘に続く道をたどる。

 江戸川を西に見下ろす高台に文学碑があり、先に挙げた「野菊の墓」の冒頭の一節、「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりわたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。」という書き出しを刻んだ石碑がある。

 この石碑の建つ場所は眺めが非常によく、遠く富士が望め、小説の中に登場する通り、上野・浅草のあたりまでが霞んで見える。今は東京スカイツリーが屹立しており、浅草・業平橋の方向はすぐにそれとわかる。

矢切の渡し

 「野菊の墓文学碑」の丘を西に下り、地元の名物「矢切(ねぎ)」の畑の間の長閑(のどか)な道を15分ほども歩けば、江戸川の岸に出る。

 「矢切の渡し」は高い旗が目印になっていて、すぐにそれとわかる。

 江戸時代、川に橋を架けることや、勝手に渡しを営むことは主として軍事上の理由から幕府によって厳格に禁じられ、これを破る者は「関所破り」として厳罰に処せられた。しかし、川のそばで生活を営む農民たちが、営農のために小舟で細々と往来するようなものまで禁じられていたわけではなく、何か所かは渡し場が許されていた。これを「農民渡船」という。さもあろう、幕府の収入はすべて農業から得られており、ならばこそ農民を武士に次ぐ地位と位置づけていたのだ。営農を妨げることは自らの収入を制約することにもつながるのであるから、このようなものが許されていたのであろう。

簡素な渡し場の乗り合い口

 明治維新後、架橋がなされたり鉄道が開通したりする中、渡し舟は不要となって(すた)れていったが、この「矢切の渡し」だけは地元民の足として、また今では柴又~矢切の間のなくてはならない観光名物として唯一現存しているのだ。

 矢切側の乗り合い口には簡素な甘味品の露店があり、飲み物や焼き芋など売っている。

 舟の運航はおおらかで、何分おきというようなものではなく、客がほどほどに乗れば随時出してくれる方式だ。手漕ぎの()舟で、渡し賃は一人200円だ。

 船頭さんは若く見える人だったが、静かな口調で、多少の観光案内などもしてくれつつ、のんびりと()を操る。

 立春らしい陽気の下、まことにゆるゆると舟は対岸に漕ぎ進められていく。

ご一緒したHさんと私

 僅々(きんきん)5分ほど、すぐ対岸の柴又に着く。

柴又見物

 柴又見物をする。

 そりゃもう、「寅さん」「帝釈天」「門前で買い食い」、これでしょう。

有名な山本亭

 帝釈天では燈明を上げ、唱えごとなどもモゴモゴと口ごもっておく。

 通称「柴又帝釈天」は日蓮宗の寺で、本当の山号寺名は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)という。庚申に縁が深く、この地域一帯にも庚申塚などが多くあるようだ。

煎餅買い喰い

団子買い喰い

高木屋老舗でおでんにビール

 「とらや」で団子を立ち食いし、「高木屋」でおでんにビールなんかをとる。

 この「とらや」は、元は「柴又屋」という名前だったが、「フーテンの寅さん」の最初の方でロケ地に使われたので、それにあやかろうとてか、「とらや」という屋号に改名したのだそうな。そのせいか、映画の中では、寅さんの家の団子屋ははじめは「とらや」という名前だったのに、途中から「くるまや」に変わったという。屋号をめぐっての争いを避けるためだったのか、どうだか。

青天白日と寅さんと私

 そして、現在の「とらや」でロケをしなくなってからは、その向かいにある「高木屋」をモデルにした撮影所のセットを使って映画が撮られたそうだ。そのため、二つの店がどちらも「フーテンの寅さんの団子屋はこちら」と言っているようだ。

亀有公園

 柴又門前を抜け、京成柴又駅まで歩いて寅さんの銅像など写真に撮る。京成に乗って次に行こうかという時、Hさんが「ここはひとつ、『こち亀』を探訪しようよ。亀有公園へ行って見よう」と言う。

 なるほど、これは面白そうである。

 柴又から亀有公園までは3キロほどある。40分か50分程度、変哲もない街道沿いを西へ西へ進み、中川を渡って環七通りまで歩けば着く。常磐線葛飾駅の近くである。

 亀有公園は取り立てて特別なこともない公園で、子供たちが元気いっぱいに走り回っている。ああ、日本にはまだまだ子供がいてよかった、などとも思う。

 しかし、入ってみると、やはりゆかりということで、「両さん」の銅像なんかがベンチにドッカと座っている。

 走り回る子供たちに入り混じり、「ひとつ『リア充写真』でも撮っておこうか」とでもいう風情の観光客が、てんでに撮影したりスマホを操作していたりするのも、いとをかし、である。……私たちもその例に漏れないが(笑)。

 私も一応「お(しるし)」ということで、写真なんか撮る。

駅の北側の派出所

 漫画の舞台は「公園前派出所」だが、実際には公園前に派出所はない。その代わり、駅の南北両方に派出所がある。さして大きい駅でもないのに、2か所派出所があるというのは珍しい。

 駅の南側には両さん一同の等身大フィギュアなどがあって、観光客が嬉々と写真など撮っている。

神田連雀(れんじゃく)

 さて、柴又~亀有の散歩から、電車に乗って河岸を変える。常磐線亀有から電車に乗って西日暮里まで行き、山手線に乗り換え、秋葉原で降りる。秋葉原の喧騒を通り抜けて、神田連雀(れんじゃく)町へは万世橋を渡ってすぐである。

 神田連雀町、とは言うが、連雀町という地名を地図で探しても見つからない。今は「須田町」「淡路町」と言う一画が、昔は連雀町と呼ばれていたのだ。背負子の肩掛けの「連尺」を作る職人がこの一画に住み着いていたところから、字を変えて「連雀町」と呼ぶようになったという。

 「かんだやぶそば」は惜しくも数年前の火災で建て替わり、昔の古い建物ではなくなってしまったが、それでも、戦災で焼けなかった古い建物や店が連雀町にはまだいくつか残り、今も営業中であることは池波ファンならずとも知るところだ。これらの店を池波正太郎はこよなく愛した。
 
 花野さんを「かんだやぶそば」をはじめ、「いせ源」「竹むら」「ぼたん」などの文化財建屋に案内する。

 それから靖国通りへ回り、池波正太郎が愛したとっておきの蕎麦(みせ)「まつや」へ行く。

 まつやの通しものは固練りの蕎麦味噌だ。器の縁に塗って出してくれる。まずはそれを舐めつつ、焼き海苔に板わさでぬる燗を一合。

 盃一杯ほど酒の残っている頃おい、「もり」を頼む。

 いつもはあまり大きなものは頼まない私なのだが、少し歩いて腹も減ったので、今日は「大もり」を頼んだ。蕎麦の香りのいい、まつや独特の蕎麦を堪能する。

 手繰(たぐ)り終わって、蕎麦湯をたっぷり飲む。

稲荷湯

 Hさんは「シビれるような熱い銭湯にヤセ我慢で入る、これがやりたいなあ」と言う。

 神田連雀町付近で銭湯を探すと、「神田アクアハウス 江戸遊」というのが見つかる。銭湯で、入浴料も公定料金の460円だ。連雀町からはすぐである。

 ところが、Hさんは「どうも小奇麗っぽくて情緒のないのがいかん。やはり『銭湯らしいところ』がいいかなあ」と言うのである。

 そこでさらに探すと、10分ほど歩いた先に稲荷神社があり、そのそばに「稲荷湯」という銭湯がある。

 稲荷湯は浴場内の「富士のペンキ絵」もなかなかそれらしく、「銭湯銭湯している……」ようなので、そっちへ行くことになった。

 皇居に近いせいか、最近流行の「皇居ラン」の帰りにスポーツウェア姿でひと風呂浴びていく人が多いらしく、今日もちらほらそういう人の姿が見られた。

 Hさんの希望通り、「なかなかシビれるような熱い湯」で、我慢して入るうち、ホカホカに温まるのであった。

鳥鍋「ぼたん」

 稲荷湯を出て、神田連雀町へ引き返す。

 もとは「池波正太郎的には、鬼平犯科帳に出てくる名物軍鶏鍋『五鉄』のモデルを探してそこへ行くべきだろう」というアイデアだった。「五鉄」のモデルは「玉ひで」という実在の店だ。だが、日本橋の方なので、ちょっと遠い。

 そこで、池波正太郎が同じく愛した連雀町の老舗、「ぼたん」で鳥鍋をつつくことにしておいたのだ。

 「ぼたん」の看板の品書きは「鳥すき」だ。一人前7,300円(税込)で、「ちょっと高い」ようにも思えるが、「払えぬというほどでもない」値段で、それよりもなによりも風情があって、一度は行かなくてはならない店の一つである。

 実は私こと佐藤、連雀町の店は「竹むら」にも「いせ源」にも、「まつや」や、焼ける前の「かんだやぶそば」にも、何度も入ったことがあるのだが、この「ぼたん」だけは入ったことがなかった。なぜかというと、「お一人様はご遠慮ください」という店だからだ。さりとて、職場がらみの人を誘おうとすると、少し高いので値段が折り合わない。妻を連れて来ようとすると、妻は主婦の経済観念で「高いなあ」がまず出てしまうから興醒めである。そんなわけで一緒に来てくれる人がなかなかいない。

 しかし今日は、「池波正太郎的な世界観」がテーマで二人は一致しているから、私もHさんを引きずり込むのに躊躇がない(笑)。

 「二人なんですが、かまいませんか」と玄関を入ると、下足番の人が愛想よく招じ入れ、すぐに和装の仲居さんが出てきて案内してくれる。

 静かな奥の方の座敷に通される。腰を下ろして、鳥すきを2人前にビールを頼む。風呂上がりのビールがうまい。街全体が広大な温泉旅館として楽しめるところであるような気がする。

 銅板で葺いた炭櫃によく(おこ)った炭火が入って出てくる。仲居さんがそこへ鉄鍋を乗せて油をひき、(かしわ)の正肉、もつ、葱、豆腐、白滝などを手際よく盛って調えてくれる。

 煮えるのにほどよく時間がかかるから、ゆっくりとつつきながら話したり飲んだりするのにちょうどよい。

 しっかりした濃い味付けで、溶き卵によく馴染んでうまい。

「卵とじ」を作ってもらったところ

 最後にお(ひつ)に入ったご飯と香の物が出てきて、雑炊が楽しめる。また、仲居さんに頼むと、鍋の残りを卵とじにして、ご飯にそれをかけまわして「親子丼」のようにして食べることもできる。

 そこで私たちも、卵を二つずつ、たっぷりととじて貰って、お櫃のご飯を全部平らげた。

 水菓子(みずがし)がついて来る。冬なので、大粒の蜜柑(みかん)が出た。二人とも満腹である。

 ちょっぴり高いが、払えぬという程でもなく、意外に分量もあり、堪能できる。

神谷バー

 Hさんは「電気ブラン」は是非飲まねばならぬ、と言う。

 電気ブランと言えば「浅草・神谷バー」で、神田からは少し離れているが、ここは再び河岸を変え、浅草まで電車に乗る。

 神谷バーはいつもながら大変な混雑だが、人を掻き分け掻き分け、席を取って、「電気ブラン」を4杯、5杯。
 

夜の仲見世~浅草寺

 以前に一度、物知りの人が「夜の浅草寺」を案内してくれたことがある。仲見世通りの商店が閉まってシャッターが閉じた後に行くと、開いている昼間には見られない「シャッターのペンキ絵」が見られるのだ。このペンキ絵は季節ごとに()き変えていて、その時季その時季の行事の絵などになるのだ。

 これをぜひHさんにも見てもらおうと、神谷バーを出て案内した。

 季節らしく、火消しの(まとい)梯子(はしご)乗りの絵などが見られた。写真は「神輿を取り巻く群像」である。

 それから、ライトアップされた伽藍を一回り見物する。

 本堂はとうに閉まった後だが、いちおう賽銭を寄進して、少しばかり拝む。

「並木藪蕎麦」と「駒形どぜう」の場所だけ

 もう、自分が知っているだけのものを総(さら)えで案内したようなことだった。

 最後に、やはりこの名店だけはHさんに把握していただきたい、とばかり、「並木藪蕎麦」と「駒形どぜう」の場所をご案内した。

 もとより、老舗の店仕舞いは意外に早く、両店とも既に閉まっているが、どちらも建物が味わい深く、外から見るだけでも面白いのだ。

 この2店をご案内したところで、もう上弦の月が西へ傾きはじめ、はや22時を過ぎる時間にもなった。

 昼は早春らしい(うらら)かさ、夜は都会にもかかわらず星空に恵まれた今日一日のことを謝しつつ振り返り、Hさんとお別れした。

 飲み食いに散歩に、面白い一日を過ごすことができた。

日本ITストラテジスト協会関東支部 オープンフォーラム2016

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 私は情報処理技術者の資格を幾つか持っている。そのうちの一つ、「ITストラテジスト」は「高度な知識・技能」というものに区分されており、合格するのはなかなか難しい。

 この資格の関係で、関連団体の「日本ITストラテジスト協会」(JISTA)というところに参加している。

 日本ITストラテジスト協会は、試験合格者等を中心に、所属する企業や団体の枠を超えて情報発信や人材交流による自己研鑽を行うプロフェッショナルコミュニティで、全国8個の支部に分かれて活動している。

 これら各支部のうち、「関東支部」では毎月月例会を開き、テーマ別ディスカッションなどを行って研鑽している他、年に1回、標記「オープンフォーラム」を開催している。

 今年のオープンフォーラムは来週の土曜日、11月12日の午後に開催される。

 今回のテーマは上記の通りだ。識者による基調講演や、会員によるパネルディスカッションが予定されている。

 私はこのところ仕事が多忙だったため、昨年・今年は協会の活動にほとんど参加できなかった。今年はオープンフォーラムの運営には携わることができなかったが、昨年までは2、3年ほど、当日のスタッフとして時間管理などをしていた。

 最近のIT界隈は、サイバーセキュリティに関する呼び声がかまびすしい。これは重要なことではあるが、しかし、そもそもサイバーセキュリティは、人間の諸活動を利便化・高度化するというITの本来の目的を助けるものであり、それ自体では何の役にも立たない。サイバーセキュリティという要素そのものが働いて物を作ったり何かを分析したりしてくれるわけではないのだ。この意味から、ITストラテジの分野はますます社会の基盤要素として一般化し、深く社会に組み込まれつつあるものと思われる。

 ITのプロフェッショナルを目指す向きは、是非この資格やコミュニティに興味を持たれては如何。また、オープンフォーラムは誰でも参加できるので、是非参加してみては如何。

日本ITストラテジスト協会関東支部オープンフォーラム2016

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 日本ITストラテジスト協会関東支部の、今年のオープンフォーラムの詳細が決まりつつある。