読書

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 「菜の花の沖」第4巻。

 私は司馬遼太郎作品について批評ができるほど多くは読んでいない。「坂の上の雲」と、それからこの「菜の花の沖」だけである。

 しかし、司馬遼太郎の歴史小説については「司馬史観」などと言われる批判があることは知っている。小説は読み物として楽しめなければならないから、司馬遼太郎の作品中でも、主人公たちに相対する立場の者は、どうしても批判的に描かれる。

 この「菜の花の沖」では、松前藩があまりにもケチョンケチョンに悪く書かれる。出版当時、旧松前藩関係者に悪く思われたのではないかと心配してしまう。

 さておき、この巻では、松前藩と幕府の間に大事(たいじ)出来(しゅったい)する。蝦夷地東半分を幕府が7年の有期で召し上げてしまうのだ。主人公嘉兵衛は、深間にはまった、とか、巻き込まれた、というのではなしに、(なか)ばは運命に乗り、半ばは自ら、蝦夷地経営のための幕府の御用を言いつかるようになっていく。国後(くなしり)択捉(えとろふ)両島間の難所、「国後(くなしり)水道」を渡る航路を見つけ、択捉島を大いに振興していく。幕府定御雇(じょうおやとい)船頭として船団を構築し、帯刀まで許される。

 物語の起承転結は、大きな「転」に向かって、「承」が極大まで盛り上がっていく感じだろうか。主人公嘉兵衛のサクセス・ストーリーを追っていく読書は、快い。

 こうしたことの他、かつての北辺の領土政策に関する作者の考察などが相当詳細に述べられていく。

 ところで、こんな部分があった。

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、221ページ~222ページから引用

「おなじ陸でも、蝦夷地はいい」

 仕事をしているだけで済むからだ、と(嘉兵衛は)いった。そこへゆくと、兵庫は利害と看板のからんだ人間関係の密林のようなものであった。

()内筆者

 ひょっとすると、清教徒が逃げ込んだアメリカも、これと同じことだったのではないかと思う。イギリスの濃密な古さに辟易したのではなかったろうか。

読書に使う地図について

 (ちな)みに、地図を見ながらこの本を読む際には、Google Mapよりも「電子国土」のほうが絶対に良い。Google Mapは一方的でふざけた政治的忖度の押し付け、特に我が国領土を狭めよう狭めようとする外国勢力の主張ばかりを採用する傾向にあるため、北海道東北方近海、とりわけ所謂(いわゆる)北方領土の地名がゴッソリ抜け落ちている。そのため、この作品中の記述を確かめるためにGoogle Mapを見ても、どこの事を言っているのだかさっぱりわからない。しかし、電子国土で見ると、さすがに我が国政府によって整備されているから、そこらへんはしっかりしている。

 上に見るとおり、情報量の優劣は一目瞭然である。

言葉
故実読み

 途中、小説の本題から離れ、延々と作者により当時の外交・領土関係に対する考察が述べられるところがある。その中に、幕末維新の志士、榎本武揚(たけあき)が出てくる。

 その風貌について

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、157ページより引用

 明治七年の露都ペテルブルグにおける榎本武揚の外交の成果は、ほぼ過不足のないものであった。

 旧幕の旗本が、薩長出身の官員にくらべ、容儀が堂々として対外劣等感をもたなかった。かつて榎本和泉守を称したこの男もそうであり、容貌・風采についても、書生あがりの薩長人よりもすぐれていた。このあたりも、黒田清隆の見こんだところであったろう。

……と書かれた箇所があった。

 それで、ハテ、榎本武揚って、どんな顔だっけ、確か顔写真は有名なものが残っていたよな、どれどれ、とGoogleで検索してみると、Wikipediaの記事が出てくる。

 顔写真は「ああ、そうそう、こんな顔、こんな顔」で、それで済んでしまったが、記事の中にこんな記述(くだり)があった。

 榎本武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日(天保7年8月25日) – 1908年(明治41年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた[3][4]。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。

(上文中下線太字筆者)

 関心を持ったのは内容ではなく、「故実読み」という言葉だ。「あ、こういう読み方のこと、『故実読み』って言うんだ」と知った次第である。

 確かに、年配者などに「野口英世」のことを「野口エイセイ」とか「エイセイ野口ヒデヨ」などというふうに言う人があり、こういう読み方のことを何と言うのだろう、と思っていたのである。

 検索すると「『故実読み』は『有職(ゆうそく)読み』ともいう」(など)とある。

 また、「人名を音読みにしさえすれば、なんでもかんでも有職読みと言うとは限らない」というようなことも書いてある。