妄想・老人自衛官

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 防衛力の増強を打ち出した政権は人材確保のため自衛官の採用可能年齢の上限を撤廃する法律改正を行った。これで、法理上は90歳でも100歳でも自衛官として採用できるようになった。

 意外にも、将来に希望の持てぬ老人達が志願に殺到してきた。防衛省としては定年で退職した元自衛官の志願を内心目論(もくろ)んでいたのだが、思いのほか一般の定年退職老人たちまでもが群れをなして志願票を投函してきた。

 老人たちの心中はといえば、これは単純な愛国心や義勇ではなかった。5倍に増えた防衛費を背景とする1千万円の年俸と死亡時の償恤(しょうじゅつ)金1億円は、老い先短い者にとって死亡保険金代わりの家族への遺産と見れば魅力という他なかったのである。しかも、用無し老人として家族から嫌われながら余生を送るより、いっそ戦争に行って射殺でもされたなら「じぃじはあなたたちのために命をかけて戦って死んでくれたのよ(泣)」などと、日頃冷たい息子の嫁が涙ながらに孫に語るかもしれないではないか。とどのつまり、言うならば、「(うと)んじられて百歳の天寿を全うするよりもいっそのこと戦死した方がマシ」という身も蓋もない自暴自棄である。

 そんな折も折、遂に発動されたのが樺太(からふと) “妄想・老人自衛官” の続きを読む

鎮魂の祈りを北辺へ

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 終戦日にちなむ4日間の放送の3日目だ。昨日、一昨日は翌日録画で見たが、今日はほぼ放映と同時に見た。

 今日の放映はどうもいただけなかった。国家体制の愚劣、現地軍の無能が全ての元凶だとでも言いたげな番組編集には不快感を覚える。

 また、樺太が、日露戦争終結間際、明治38年(1905)7月7日から始まる樺太侵攻作戦によってロシアから奪取した領土であったということや、この昭和20年の樺太戦当時、早期停戦のために日本から差し向けた軍使がソ連側に射殺されたことなど、触れなければならない重要な事項が番組内で触れられず、抜け落ちてしまっている。

 どうも、前二日の番組と、制作骨子が異なるようだ。

 日本の指導層と軍部がどれだけ腐っていたかと言う糾弾のみに終始し、ソ連の卑劣に言及することが一切ない番組の編集方針は、残念ながら不可と言わざるを得ない。

 したがって私はここから、番組の制作陣が期待するような反戦や文学的悲嘆などは学ばない。私が改めて確信することは、

「断固としてソ連(ゆる)すべからず」

……すなわちこの一点あるのみ、である。

 ただ、それと現地住民の痛み苦しみは別である。今となっては亡くなった数多のひとびとの鎮魂を祈るよりほかはない。