処暑(しょしょ)

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盆の月一句題する病上(やみあが)
()(ごと)やむ親子の帰路や蚯蚓(みみず)鳴く
どの夢も(ほむら)さながら秋暑し
百舌鳥(もず)(にえ)(しのび)(がえ)しの幾晴雨
(ちゅう)(みつ)の実数みしと混む秋暑
閼伽(あか)澄みて無口の一家盂蘭(うら)(ぼん)()
()らば(むくろ)透けたり(ましら)(ざけ)

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

旧七夕

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 今日は旧暦の七夕。明日は新暦の月遅れ盆、そして敗戦忌。

 生憎(あいにく)と雨の七夕である。

 旧盆の方は去年と違って今年は9月にはならず、新暦8月22日が旧暦七月十五日で、それほど新暦月遅れと違わない。当然ながら、旧盆の夜は、望月(ぼうげつ)である。

 俳句の季語に「盆の月」というのがあるが、こうして考えて来ると、旧盆は必ず満月であるから、煌々たる月明かりの下で踊ったわけである。名月、所謂「仲秋の名月」の1か月前ということになるが、そこになにやら「盆の月」と言う時の風趣が織り込まれているように思う。

正月だろうと盆だろうとそんなの個人の自由にしてはどうか

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 「働き方改革」へのアイデアを思い付いた。

 正月や盆に一斉に休むのは、非合理である。

 先祖の霊への礼拝や、人生の節目をそれに認めるといった意義は宗教的なものであり、人によって基準は違う。盆や法事に意味を認めなくとも、恋人と初めてセックスをした記念日としてクリスマスを大仰(おおぎょう)かつ下品に祝う者だって、この多様性を飲み込もうとしている世相においては認められなければならぬ。

 ならば、盆に休みたければ勝手に休めばよいし、クリスマスにラブホテルにシケこみたければそうすればよいし、イースターか過越(すぎこし)か、はたまた萬鬼節(ハロウィーン)かなんか知らんが、そうしたければ勝手にそうすればよい。旧正月でも正月でも、各人が祝いたいように祝えばよい。

 そのようにしないと、さまざまな習慣や信仰を持っている何十億と言う数多(あまた)の人間に対応していくことはできない。

 仏教徒以外は盆の時期にノンベンダラリと休んでなどいず、一意徹底、勤労することにしてはどうか。盆など、これは宗教的意義のもの以外の何物でもないからだ。

 宗教をもって休むのが差別で、こんなのはダメだとかなんとか言うなら、働く者の休暇を1年中に分散して社会的影響を低減すべきである。

 休みたいときに勝手に休み、盆だろうと正月だろうと、はたまたゴールデンウィークだろうとシルバーウィークだろうと、萬鬼節(ハロウィーン)でも節分でも逾越(イースター)でも、適当に旅行でも何でもして遊ぶなり、仏壇や墓石に額づいて号泣するなり、好きなようにすればよい。

 それで会社に睨まれたとか馘首(クビ)になったとか、そんなの各人の自由であり勝手である。休んで上司に睨まれ、退職に追い込まれるというのなら、それも自由というものだ。

 そのように考えてきてみると、土曜・日曜というのも不自然である。人工的で、人間の自由を縛ろうとするものだ。何も人間のリズムが7日に強制される必要などない。10日でも30日でも働きたいバカもいれば、毎日休みっぱなしでないと身が持たないという者だっている。

 1年365日には、無論冬や夏があり、それには人間がどうしたって調整することのできないリズムがある。会社の事務所だけが人間の働き場所ではなく、農業や土木の職業には春夏秋冬は変更できない規律である。だから、そういう仕事は、そういう仕事で独自にリズムを刻むがよろしい。

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 盆である。

 「ウソ()くんじゃねえ、盆は来月だ!」などと噛みつかれそうだが、嘘は吐いていない。

 その辺の理屈は、このブログの2年前のエントリでまとめて書いておいた。

  •  (このブログ、平成29年(2017)08月13日(日)08時34分)

 夏は盆がたくさんあるのである。無論、言うまでもないが、真の盆は一つだけだ。しかし、前掲の記事に書いたように、明治の改暦以来(このかた)、混乱してしまったわけだ。

 前掲のエントリには一昨年の日付が書いてある。新暦は変わらないが、旧暦は毎年ずれる。

 そこで、今年の盆について、下に整理しておきたい。

各盆 日付 旧暦
盆(新暦旧盆・旧盆) 7月15日(月) 六月十三日
地蔵盆(新暦旧地蔵盆・旧地蔵盆) 7月24日(水) 六月廿二日
盆(月遅れ盆) 8月15日(木) 七月十五日
盆(旧暦盆) 8月15日(木) 七月十五日
地蔵盆 8月24日(土) 七月廿四日
旧暦地蔵盆 8月24日(土) 七月廿四日

 例年だと、旧暦七月は新暦9月頃になることが多いのだが、今年はたまたま、旧暦七月と新暦8月の日付が一致しており、月遅れ盆と旧暦盆の日付、地蔵盆と旧暦地蔵盆の8月の日付も偶然同じである。

靖国神社参拝

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 表に出るとサウナにでも入っているのかと間違うくらいの暑さである。気象庁発表の36度、37度ではもう驚かない。しかし、それにもかかわらず、雲は(いわし)の群れ、あるいは羊の群れのように模様をなし、なにやら風の匂いもうっすらと異味を帯び、蝉の声も戸惑うように違う音色となっている。

 つまりは初秋であり、月遅れの盆である。そして、今日は終戦記念日である。

 終戦記念日は靖国神社へ行くことにしている。

 拝むまで1時間ほどは並んだと思う。

 どうして靖国神社なのか、どうして日本人は戦争の世紀を経なければならなかったのか、アメリカ人は有罪で間違いないか、……そんな問いは、私にとっては既にどうでもいい。

 鎮魂これあるのみ。

 誰かに何かを訴えかける気持ちも、もはや、ない。

 それから歩いて神田へ行き、蕎麦屋で一杯やる。

 帰宅して、到来の塩昆布で一杯。大阪・小倉屋山本の箱入り。

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 今日は盆である。

 日本は夏中「盆の連続」である。そのことは、以前このブログにも書いた。

  •  (このブログ、平成29年(2017)08月13日(日)08時34分)

 いわば、今日が盆のスタートである。今日については、盆・新暦旧盆・旧盆と、いろいろと呼び方もあり、ややこしい。

 もともとの盆は旧暦七月十五日だ。今年の旧暦七月十五日は新暦8月25日の土曜日にあたる。だからまだまだ先のことではある。

 酷暑の一日が暮れかかる。月は三日月。烈日をそっと追いかけてゆく。都会に限らず、低い空を(さえぎ)る建物が込み入った街では、いまや三日月を見ることも難しい。

 盆とはいえ、また、仏教徒を僭称しているのにもかかわらず、自宅に仏壇をしつらえているわけでもない私は、ともかく飲酒に及ぶ。ウィスキー。オンザロック。

 神道ならば清めに酒を用いもしようが、仏教にそれはない。無理やり、神仏習合を強弁して、酔う。

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 朝晩、秋めいて感じられる。今日から新暦月遅れ盆。今夕は迎え火だ。私の自宅には仏壇はないので特段の(まつり)はしないが、ゆかしい行事だと思う。

 盆は仏教語の盂蘭盆会(うらぼんえ)、これは梵語の「ウラヴァーナ」であるということはよく知られるところだ。

 盆も色々ある。「私の田舎じゃ7月にやるんだけど……」と言う人も多い。俳句の季語としては盆は秋の季語に含まれる。「この暑いのになんでだ」なぞと思う人も多かろう。あるいは「地蔵盆ってやってたけど、アレ、何?」と言う人もいるかもしれない。

盆・新暦旧盆・旧盆 7月15日
新暦地蔵盆 7月24日
盆・月遅れ盆 8月15日
地蔵盆 8月24日
旧暦盆 旧暦七月十五日(今年は新暦の9月5日にあたる)
旧地蔵盆・旧暦地蔵盆 旧暦七月廿四日(今年は新暦の9月14日にあたる)

 端的に整理して書くと、右の表のとおりである。つまり盆はこれだけある。

 なぜこんなことになっちまっているのか、簡単に解説しよう。

  •  まず、「盆」と「地蔵盆」は別。
    •  盆は初秋の招魂行事、地蔵盆は地蔵菩薩の縁日。
  •  盆は、本来七月十五日。但し、「旧暦」。
  •  日本は明治時代に新暦に移行。
  •  いろんな行事の日取りに混乱が生じ、盆は以下、3派に分かれてしまった。すなわち、……
    •  素直派「新暦ならしょうがない。暦が変わったんだから、盆も新暦の7月15日にするしかない」
    •  中庸派「いや、いくらなんでも、新暦7月なんて、下手すりゃ梅雨の最中だぜ?真夏に盆でもないだろう。やるならせめて次の月の新暦8月なんじゃねえの?」
    •  守旧頑固派「盆は絶対旧暦七月十五日(新暦の9月はじめ頃)にやるに決まってるだろ」

    ……の3派。

  •  今の「旧盆」は「旧」とついていても旧暦とは全然関係ない。
  •  上記3分派の経緯は地蔵盆についても同じ。

 盆はこのように今でも混乱してしまったままだが、「正月」などはそれにくらべれば新暦でまとまっていると思う。いわゆる「旧正月」の行事は今ではどこの地方でもそれほど大きくはやらない。