破船

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 吉村昭の「破船」を読み終わる。

 「羆嵐」より5年後、「破獄」の前の年の作品であるらしい。昭和57年(1982)2月の作品であるという。

 陰惨な物語なのだが、だが、なぜか朦朧とした明るさが根底に潜んでいるように感じられる。また明日がある、次がある、春が来る。只管(ひたすら)、生きる。このことだ。わき目もふらず、率直に生きることだ。

「破獄」放映日

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 過日、吉村昭原作の「破獄」がドラマ化されるということを知って、放映を楽しみにしているが放映日時がサッパリわからない、なんてことをこのブログにも書いた

 昨日、有楽町の映画館へ行ったとき、日比谷の駅のホームの公告でこういうのがあり、放映日時が4月12日(水)21時であると知った。

 今サイトを見に行ったら、日時が追加されていて、4月12日とある。

 楽しみだなあ。ビートたけしって、演技がけっこう上手いからなあ。「戦メリ」の軍曹役からはじまって、最近では東条英機役とか。

破獄

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 「破獄」が、ビートたけし主演でドラマになり、テレビ東京から放映されるという。

  •  破獄(テレビ東京番組サイト)

 原作は言わずと知れた吉村昭の名作だ。

 だいぶ昔だが、昭和60年(1985)に緒方拳主演でNHKでもドラマ化されており、今でもDVDが手に入る。

 実は私は、若い頃、リアルタイムで放映されていたこのドラマを断片的に視聴し、緒方拳の名演に息を飲んだのだ。その印象が忘れがたく、数年してから原作を探して読み、いたく感銘を受けるとともに、この作品から吉村昭を知った次第である。

 20代の頃、この「破獄」をきっかけに、「(くま)嵐」「高熱隧道(ずいどう)」「零式戦闘機」「帰艦セズ」「冬の鷹」「海軍乙事件」など、次々に買って読んだ。後年に至って、「関東大震災」「三陸海岸大津波」「赤い人」なども買って読んだ。

 子供が生まれた頃はアパート住まいだったので、数千冊の蔵書が住居を圧迫していた。しばらくは自分の楽しみごとなど我慢して赤ん坊の面倒を見るべきで、妻の勧めもあって、多くの蔵書を処分してしまった。その中に吉村昭の本もあり、誠に惜しかった。どうしても吉村昭の小説は手許(てもと)に置いておきたく、後年、子供が大きくなり、自宅を建てて本棚の二、三(さお)もしつらえ、小遣いに多少の余裕も出来てからまた文庫で買い直して所蔵している始末である。

 その原作が再びドラマ化されるというのだから、蔵書を(ひもと)くのは当然だ。

 今度のドラマ化では、主演のビートたけしは原作では主人公となっている脱獄犯・佐久間清太郎に扮するのではなく、人情家の看守・浦田進を演じるという。浦田進は原作にもキー・パーソンとして登場するが、終始一貫して登場するわけではない。そうすると、また違った視点からのドラマ化なのだろう。佐久間清太郎は山田孝之が演ずるそうな。

 ところで、「破獄」では主人公の名前は佐久間清太郎となっているが、モデルとなった実在の脱獄犯は「白鳥由栄(しらとりよしえ)」という人物である。白鳥由栄がやったこともほぼ小説に描かれている通りで、戦前から戦後にかけて大変な話題を振りまいたという。

 実は、とうの昔に定年退官しているが、私の父はかつて大阪刑務所の刑務官であった。確か昭和29年(1954)拝命と聞いているから、この白鳥由栄の事件は終息していた頃だが、父は「若い頃、先輩からこういう事件があった、ということで、教訓・教材としてその話を何度も聞かされ、また資料などでも読んだことがある」と私に語ったものだ。

 ともあれ、そういう色々なことがあるものだから、この本は好きだ。早速、本棚から引っ張り出して再読する。

 いつも思うのだが、吉村昭の小説は文章が端正でいい。読んでいてストレスがない。特殊な言い回しや難しい単語は少なく、取材に基づき淡々と題材を追っていく。なのに、ふと気づくとそこには十分な文学的肉付けが施されている。そうした味わいがあるし、何度も読んでいる愛読書だから、楽しく読める。この月曜から通勤電車内の楽しみにし、じっくりと読んだ。今朝の電車内で読み終わった。

 これがどんなドラマになるのか、楽しみだ。今日現在は前掲のドラマ公式サイトを見ても、「平成29年(2017)放映」としか発表されておらず、いつ見られるのかまったく不明である。はやく放映予定が決まらないものかな、と思う。

吉村昭いくつか再読

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 秋田で熊害(ゆうがい)があった。(たけのこ)取りの老人が何人も熊に襲われて亡くなったのだ。この筍は東北より南でいう普通の筍とは違い、根曲(ねまがり)竹という一種の笹竹の筍だ。()の地ではスズタケとかスズノコとも呼ばれ、今の時季を逃すと味わえない。珍味であり、儲けにもなるものだからその採集は争いになるほど盛んである。熊が旺盛な食欲を発揮する今の時季に、余人には内緒の穴場へ入り込むことが大収穫の秘訣でもあって、それで今回のような事件が起こってしまう。いずれ星霜を経た人生達者の老人たちであり、なんとも痛ましいことだ。冥福をお祈りする。

 この熊害のことに絡んで、なにやら大正時代の「北海道・三毛別(さんけべつ)羆事件」のことが話題になっているようだ。

 三毛別の事件は(ひぐま)によるもので、しかも居住集落でのことだ。秋田の一連の事件は月の輪熊によるものだし、山林でのことなので、三毛別羆事件とはやや内容を異にする。

 さておき、私も若い頃は登山が好きで、春夏秋冬問わず北海道の山林を跋渉(ばっしょう)した。北海道の山林では羆の害はつきもので、これを避けるのは一種のたしなみというか、義務であった。よくよく羆は避けなければならなかったから、生態などもよく研究して山に入った。


 当時、そのようにして羆のことを研究するうち、この三毛別羆事件に題材をとったノンフィクション作品があることを知った。それが、吉村昭の「羆嵐(くまあらし)」である。

 他に、吉村昭には「北海道三部作」とも呼べるものが二つあり、それが「破獄」と「赤い人」だ。


 これらを思い出したので、ちょっとまたパラパラッとめくってみたくなった。ところが、本棚を探したところ、「赤い人」はあるけれど、「破獄」と「羆嵐」が見当たらない。

 記憶をたどってみると、長女が生まれた頃、妻と二人で住んでいたアパートが手狭で、何千冊という本を手放してしまったのだが、どうもその時に捨てたらしいことを思い出した。


 今だったらスキャナで取り込んでしまう(所謂(いわゆる)「自炊」)のだが、当時はそういう手段もなく、泣く泣く捨てたのだった。

 で、つい、ついつい、もう一回買ってしまった。勿体ないけど、まあ、いいや(笑)。