秋分の日

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天皇陛下万歳

秋分の日 祝日「秋分の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 秋彼岸の中日であり、祝日の趣旨も祝日法に「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」とある。

 秋には、魂、命、祖先……そうしたゆかしいものにつながる日々が続く。

秋分の日

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天皇陛下万歳

秋分の日 祝日「秋分の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 (かしこ)し、皇室におかれては「秋季皇霊祭」、また我々庶民にとっては秋彼岸の(ちゅう)(にち)で、いずれも先祖の霊を敬う日である。

 考えてみれば、あらゆる人には何万年前、何十万年も前の、文字もない時代の先祖がいる。欧州、アジア、アメリカ、アフリカ、その他あらゆる地方の人に親があり、先祖がある。

 まことにもったいなく、ありがたいことだ。自分が今いることが、どれほどの天文学的確率をかいくぐった偶然であるか、思い見ると茫然となってしまう。

 それを、先祖への感謝としたい。

秋分の日

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天皇陛下万歳

秋分の日 祝日「秋分の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 畏し、宮中では今日「秋季皇霊祭」が執り行われるが、祝日としてはこのほうがもともとのものであり、戦前は名称も「秋季皇霊祭」であった。戦後名称が改められたものである。

 今日はよく晴れ、秋分らしい朝となった。爽やかである。

敬老の日

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天皇陛下万歳

敬老の日 祝日「敬老の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 敬老の日そのものは他の多くの祝日とは違い、古来からの風習や伝統(例えば春・秋の皇霊祭が春分の日・秋分の日、端午の節句が子供の日、新嘗祭が勤労感謝の日……等々)を元にしてはいないが、日本民族の精神として長幼の序を正しくして孝を()くすということは伝統的なものであり、その点で祝日として相応(ふさわ)しい。

 秋らしく、涼しくなった。

秋分の日

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天皇陛下万歳

秋分の日 祝日「秋分の日」である。軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 秋分の日は彼岸の中日であるが、古くは「秋季皇霊祭」という皇室祭祀に関連して休日となっていた。また、併せて「秋季神殿祭」といって、皇祖神のみならず、国中の神への祭祀も行われる。

 現代に至って、今日も畏きあたりにおかせられては、古式ゆかしく装束に身を改められ、祭祀をお執りあそばされている。(かしこ)し。

秋分の日

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天皇陛下万歳

 祝日「秋分の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 戦前は秋季皇霊祭であったが、民間でも昔から「彼岸の中日」でもあり、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」というこの祝日の主旨と一致する。
 

六本木・ダリ展 → 麻布十番・更科堀井

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ダリ展

 朝から土砂降りの雨である。雨の範囲は大して広くはないように思うのだが、どうも東京周辺はひどい降りようだ。

 そんな中、六本木の国立新美術館へ「ダリ展」を見に行った。

 大変な人気で、大勢の人が詰めかけていたが、混雑で見られないというほどでもなく、むしろ、列が進みづらいことで、かえってじっくり鑑賞することができた。

 思っていたより盛りだくさんの内容で、大作の絵画だけでなく、ダリが挿絵を描いた「不思議の国のアリス」や、またその他数々の挿絵、ダリが制作した前衛映画「アンダルシアの犬」他2編の映像作品の上映、デザインした宝飾品の展示など、充実した内容だった。

 戦前から戦後にかけて、作風が少しづつ変わりながら、よりエキセントリックに、より前衛に、かつ多様に尖っていく様子、また晩年に至って壮年期のパラノイア的方向へ回帰していく様子などがよくわかる展示になっていた。

 遠景ほど克明に、かつ強烈な光を当てて描き込むあの独自の表現を存分に鑑賞することができた。ああいう長命した画家には当然のことながら、ダリも作風はデビュー前から死ぬまでに少しづつ変化しており、今挙げた遠景に強烈な光を当てる、「これぞダリ」というあの画風は、アメリカに亡命する前後の「シュールレアリスム」の、気鋭の若手の一人だった頃のことのようだ。

img_4758 いつものように図録を買った。美しく盛りだくさんの内容であり、私としては購入しがいのある、コストパフォーマンスの高い出来栄えの図録であるように思う。2900円。

img_4759 いつも思うのだが、図録が先に買えたら、あらかじめ理屈のようなことは納得してから見に行けるので、美術館ではかえって集中して作品が鑑賞できるようになって良いのだが、今回はそういう着意はなかったのが残念である。

総本家 更科堀井(さらしなほりい) 麻布十番本店

 以前から心に決めていたことは、六本木に行くことがあったら、必ずそのすぐ近く、麻布十番の「更科(さらしな)御三家」のどれかに行こうということである。

 以前書いたが、更科御三家(更科堀井・永坂更科・永坂更科布屋太兵衛)は、元は信州方面からやってきた布商人が元祖となった店で、江戸に定着して以来、経営主体はさまざまに変わって3つに分かれながらも、今も長く麻布十番で暖簾を守っている。

 ダリ展を見に六本木へ行くからには、「総本家 更科堀井 麻布十番本店」へも行ってみようと(かね)てから考えていた。そこで、先日「目黒のさんま祭り」へ一緒に行った旧友F君に声をかけ、ダリ展を見終わってから麻布十番の駅で落ち合い、更科堀井へ向かった。

img_4760 「更科堀井」は地下鉄麻布十番駅の7番出口から出ると近い。歩いてものの3、4分というところだろう。建物は左掲写真に御覧のとおり、ビルの1階にある。

 寛政元年(1798年)の創業以来(このかた)200年あまり、先の大戦後からの一時期、しばらくの中断はあったものの再興し、営々と続いてきた老舗である。

 この店独特の「更科蕎麦」は、蕎麦の実の芯の白いところのみを使ったもので、東京で他に有名な藪、砂場のどちらとも異なるものだ。

img_4765 まずはとにかく、酒に、肴である。

 通しものにはこの店名代(なだい)の更科蕎麦を軽く揚げ、程よく塩味を付けたものが出る。

img_4767 今日は畏友F君と一緒に来たので、純米「名倉山」を2合。肴にそれぞれ焼海苔と卵焼きをとる。

 焼海苔は藪などでも見られる、炭櫃の下に小さな熾火(おきび)の入ったもので供され、パリパリに乾いてうまい。

img_4768 卵焼きは東京風に甘じょっぱく、蕎麦(つゆ)出汁(ダシ)がきいたふんわり焼きである。大根おろしに蕎麦(つゆ)をよくまぶしたものが付け合わせになっており、これが濃醇甘口の名倉山に大変よく合う。

 いよいよ二人で、この店独特の「更科蕎麦」の「もり」を一枚づつ頼んでみた。これが驚くべし、さながら素麺(そうめん)冷麦(ひやむぎ)のように白いのである。よく見れば少し色づいているので冷麦ではないとわかるのみである。

img_4771 ところがこれを手繰りこめば、その香りと味はまごうことなき蕎麦。だが噛み応えものど越しもあくまでしなやかであり、いわゆる「挽きぐるみ」の色の濃い蕎麦とは一線も二線も画する独特のものだ。

 店の(しおり)によればこの品の良さから、戦前など「(かしこ)きあたり……」へ、なんと出前すら仰せつかったものであったそうな。

 「さらしな もり」930円、大盛りは270円プラス、焼海苔670円、卵焼き740円、名倉山純米1合700円であり、「びっくりするほど高いわけではない」値段である。

 うまい肴で呑み、まことに気持ちの良い蕎麦を手繰り、微醺を帯びて出ると、土砂降りだった雨がすっかり上がり、陽光が垣間見える夕方に換わっていた。

 F君と別れて、浮かれた調子で帰りの地下鉄に乗る。きこしめした「名倉山」の酔い心地は(すこぶ)る快く、帰りの電車の睡魔の、なんと心地よかったこと。

 暗くなって帰宅した。秋分の日、残念にも土砂降りの秋雨とは言いながら、芸術の秋と食欲の秋、どちらも堪能できた面白い休日であった。

天皇陛下万歳。

 国旗を降下する。