知・美でコミットコミット~

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 毎日毎日、陰惨な気持ちで通勤している。

 すし詰めの通勤電車にようやっと乗り込んで、さて、と一息ついて、壁から天井から絢爛(けんらん)豪華にうるさくぶら下がっている車内広告を眺め渡すと、こんなに独立起業が困難で大抵の会社は4年以内に潰れてしまう、なんていう冷厳な指摘があるにもかかわらず、いろんな金儲けが存在するものだな、と、むしろ感心してしまうのである。

 その中でも、ははあ、と、色々考え込まざるを得ないのが、

バカ・デブ・ブス・ハゲ

……に訴求する広告である。

 上記の通り、片仮名で人の形容を書きつけると、本当に差別的で腹の立つ字面(じづら)になるなあ、と思う。なので、これを美しい字面に書き直すと、

知・美

……となろうか。

 「知」には「高学歴・英語」、「美」には「デブ・ハゲ・ブス」など、もろもろが含まれるのだろう。

 いや、これは、私がそういうことを言ってるんじゃないんです。電車の中に貼られている広告を、「結局こういうことでしょ?」と、私ができるだけ分かり易く訳してみようとしただけで、私には責任はないんです。

 いまや、こういうふうに、差別的カタカナ用語で書いたら多分袋叩きに遭って路上で(なぶ)り殺しにされかねないような、ものすごい広告のオンパレードである。この十年、状況は変わらない。

 金もうけの奥義なんだろうなあ、これ。なんというか、知とか美って、本来人間には寄り添ってない不自然なものだから、大概(たいがい)はそんなのコッチの味方じゃないのよ。ところが、嫉妬というか、知性や美が自分より優れた他人を見ると、「ワタシだってぇ~」と、焦るわけだ。

 単なるやかましい訴求のことを「コミット」などと言い換えて、卑怯なもんだと思う。

 そこへつけこんで、一発勝負をかけると、あぶく銭がじゃらじゃら入る、ってことなんでしょうね。

ジャンル等 訴求先
バカ
英語 バカ
ライザップ デブ
TBC ブス・ハゲ
GABA・ベルリッツ バカ
林修 バカ
社会人大学院で修士 バカ

 こういう貼り紙に惑わされて、じゃぶじゃぶお金つぎ込むわけだわ、ほとんど全部無駄なんだけれどもさ。

 だからさ、こういう、善意を装った、その実、結局、「差別の増大」を図るようなものは、戒めなくちゃならないんじゃないか。こういう広告は差別だから、公権力で取り(はら)わなくてはいけないのではないか。

回教とダイエット

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 「ダイエットなんつう贅沢なことで悩むような人は、いっそ相互理解のため回教徒の断食のマネでもしたらどうか」などと暴言というか、雑想を書きつけてから、追っとり刀で回教徒の断食のことをWikipediaで読んでみた。

 回教の断食月とは彼ら独特の陰暦の9月のことを言い、この月に1ヶ月間行われる断食のことを「サウム」という。

 まさかに、1ヶ月も断食を継続するわけではない。日の出ている間飲食をしないという戒律であって、逆に日中の戒律を守るためには、日没後は大いに飲み食いすることが推奨されるのだという。このため、断食の時にはかえって食料品の消費が上がり、肥満する者が増えるのだそうである。

 肥満する者が増える、と言うのは、それはそうだろうなあ、という気がする。つまり、相撲取りが稽古のあとでチャンコを食って昼寝をし、それによって成長ホルモンの分泌を促してあの巨体を手に入れるのと似た理屈だ。喰い溜め・寝溜めは成長期には身長を伸ばすが、成長期以外は「横幅を伸ばす」のである。

 そうすると、回教徒のマネをしてダイエットしようなどというのは、まったくの逆効果であるばかりか、幾分、回教徒に対して失礼というか、不謹慎な気もしてきた。

 まあ、異教に対して失礼だということを言うなら、その昔のキリストの誕生に思いを致す気なんかさらにないくせに、クリスマスツリーなど飾ってプレゼント交換するくらいならまだしも、若者はクリスマスと言うと彼女とホテルに籠って性交三昧に励むことだとでも勘違いしている、なんてことのほうが、よっぽどキリスト教徒に対して失礼なのではあるが……。日本を取り巻くキリスト教圏白人国家は、よくこんなキリスト教をバカにしているとしか思えない日本人を許しておくものだと思う。

 回教の見解では、「回教徒が断食によって受けられるご利益は、異教徒が仮に断食しても、ない」のだそうで、するだけ無駄とのことである。

 この断食の起こりは、次のようなものであるそうな。

 その昔、回教が呱々の声を上げたばかりで、マホメットも教団の隆昌のために粉骨砕身努力していた頃、武勇を尊ぶ彼らは強盗をやって暮らしていた。おいおい(笑)という感じもするが、誤解のないように言っておけば、強盗をしていたからといって、時代とその地域、またかの地の文化ということを幅広く考え合わせれば、必ずしも責められることではないのである。

 で、メッカから富裕な隊商がやって来るという情報に接した彼らは、教団全勢力を挙げてこれに襲いかかったのであるが、食うや食わず、腹が減っていることもあって、また、思いもかけず敵の予備兵にしてやられ、全滅寸前のところでアラー神の加護あらたか、回教の消滅を免れたものだそうな。こうした苦難の教団揺籃期を忘れぬため、いまでも断食をして、その頃に思いを致すことになっているのだ。

 他に、面白いことが書かれていた。回教圏では今も陰暦を使うが、かつてのアジア圏のように「閏月」を置かないので、どんどん暦がずれていき、1月2月といった月の名前は、季節を表してはいないそうだ。このずれは約33年間で一巡し、もとの季節に戻るそうである。断食月の9月が浮動するわけで、だから、断食は夏であったり冬であったり、季節は一定しないのだそうである。


 このエントリは、Facebookのウォールに書いたものの転載です。

デブ上司の思い出

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 私のブログには職場のことは出てこないが、それは普通の社会人としては当然である。客商売の人がその日店に来た客の容姿のことを縷々書いたり、警官が取調べ中の容疑者のことを書いたり、メーカーの人が開発中の製品のことを書いたり、銀行員が有名人の預金残高を書いたりなど、するわけはない。私もそれは同じことである。

 だが、今日は珍しく職場のことを書く。と言っても、だいぶ前の出来事で、しかも仕事とは関係のないことだ。問題の登場人物は既に定年で辞めてしまい、私や職場とはなんの関係もなくなってしまっている。既に年賀状の付き合いすらない。職務の内容と関係もなく、書いたところで私にはなんの痛痒もなく、職場に損失もなく、それからなにより、話としてはけっこう面白いと思うから書くのである。

 さて、今日取り上げる人物はデブであり、私の上司であった。仕事が関係なければ概ね陽気な好人物ではあったのだが、本来的に怠惰であり、どんなことでも、自分の手間ひまが増えると判った途端、いかにして上司同僚部下に責任をかぶせて自分が逃げるかだけを考えているような矮小漢であった。デブっぷりももはや救いようはなく、身長160センチほどなのに体重は90キロを超え、高血圧、高脂血で、腹囲を測るなんて、やるだけムダであった。ある時など、なにもせずにじっと座っていただけなのに、人差し指の第1間接の曲がるところから突如血が噴き出した。高血圧と動脈硬化の進みすぎである。いずれ、体の内部の奥深いところで同じことが起こり、突然死するだろう。

 最近は「成人病」のことを「生活習慣病」と言うようになり、本人の責任に帰する世の中になったが、このデブは生活習慣を改めようなどと言う気持ちはさらになかった。たしか、5年間だか10年間だか、成人病検診の全項目が毎年続けてアウトになるという輝かしい(笑)レコードをも保持していたはずだ。

 ある夕刻、このデブの退勤の様子をたまたま遠くから見守っていた人があった。その人によると、デブめ、通勤電車内で妙にそわそわと落ち着かないな、と思って見守っていると、突然下車するや、まっしぐらにラーメン屋に向かったと言う。面白いのでそっとついていくと、ものすごい勢いでラーメンを平らげ、また電車に乗ったのは良いが、次の駅とその次の駅でも続けざまに同じことをしたという。ついていった人も物好きだなとは思うが・・・。

 前置きが長いが、厭わずさらに前置く。かく述べる私についてである。このブログでは、Youtubeにリンクした私と娘のトルコ行進曲の連弾の映像くらいしか私の外見がわかるようなものはないと思うが、そこからも見て取れるように私は痩せている。42歳の今も、毎日12kmのランニング、腕立て伏せ150回、腹筋300回、ダンベルカールで片手25kgを上げる膂力を維持している。身長170センチ体重64キロ、19歳の頃から1グラムも増えていない。そのため、その頃にあつらえた背広を今もまだ着ており、喪服礼服も若い頃に買った一張羅のまま、逆に洒落がないと笑われるお粗末である。いや、こんなことを自慢したいのではない。これは今から述べたいことの前置きである。

 問題のデブ上司はそんな私が疎ましくて仕方がなかったらしい。私がなにも言わぬ前に向こうから、

「佐藤君、キミのように痩せている人間は、統計上早死にするんだよっ!!」

とか、

「キミのように肥らない体質の者が、何の努力もしていないのに痩せているからと言って鼻を高くしている今の世の中はおかしいし、キミもおかしい」

とか、

「もし今、世界が荒廃して食糧がなくなり、サバイバルの時代になったならば、キミはすぐに飢えて死に、ボクは生き延びるわけだ」

とか、

「昔はねえ、痩せると『痩せているねえ』と哀れまれたんだよ、食糧に不自由していたからねえ」

・・・とか言い散らかすのである。食糧に不自由ったって、その人が育った時代は昭和30年代で、食糧難は終わっていたのだが。それに、そんなことを言い出すとき、職場中の誰も体重や健康や成人病や脂肪のことなど話題にはしていないのだ。デブ上司は私の姿をじっと見ては、まったく何の脈絡もなく突然言い出すのである。

 今日のこの長大な前置きは、実は、このデブの次の発言にあいた口がふさがらず、後になって思い出しては私が爆笑しており、是非ともここに記録して留めておきたいがためのものだ。

 ある時、──その時も例に漏れず、このデブは私の姿かっこうをしげしげと見ていた──私が何も言わないのに、また突然向こうから次のように言いだしたのである。

「佐藤君。僕はね、キミなんかよりものすごく健康なんだ。
 つまり、人間の体と言うものはね、切れば赤い血が流れるダイナミックなものなんだ。つねれば痛み、くすぐれば笑う。刺激に対してそれに応じた正確な反応があるというのが健康な人間なんだ。食べて運動しなければ太るというのも、自然の流露というもので、体が正しく機能している証拠だ。
 同じように、塩分や脂肪の取りすぎで高血圧や動脈硬化になるのは、健康な人間の体の、正確で自然な反応なんだ。誰でも中年になると肝機能が衰え、脂肪が分解できなくなってハラ周りに脂肪がつく。これも老化という『入力』に対する、いわば人間機能という名の関数の『戻り値』だ。それが自然な人間だ。
 健康で楽しくお腹が空き、おいしいものを味わってニコニコ笑う、これは精神も健全だということの証明だ。
 ところがどうだ、キミを見たまえ!!キミのように、食べても太らず、40歳も過ぎているくせに10代のころと同じ体重などと言うような、そんな不自然な体があるか。キミの不自然な体は、40歳にもなって毎日12キロもランニングして平然としていると言うような、不自然で狂った、間違った生活習慣から来ていて、どこかにひずみが来ているんだッ!。キミなんかそれが原因で早く死ぬだろう。そのときに気づいても遅いんだよ!!
 キミも技術者ならわかるだろう!刺激に対する正しい反応がないというのは、入力に対する出力がないコンピュータシステムと同じで、不良な状態なんだよッ!だからキミなんか、物品で言えば不良品だッ!!。
 ストイシズムだかダンディズムだかなんだか知らんが、目を怒らせて体なんか鍛えて苦しんで、食べたいものを我慢なんかして、そんな楽しくない人生や精神が健全と言えるか?!
 キミは不自然、不健全であり、つまり不健康なんだ。
 
すなわち、ボクはキミより、健康だッ!!」

 じっと座っていて指から高血圧で血が噴き出し、成人病検診のすべての項目がアウトになるような人物の発言だ(笑)。いやもう、世の中にこんなにトチ狂った、ワケのわからない、かつもっともらしい理論の組み立て方があるものかと、当時の私は自分が侮辱されているということに怒るのも忘れ、感心すらしてしまった覚えがある。このデブは、常日頃からこんな論理構成ばっかりして暮らしていたのだと思う。しかもそのおかしな論理構成っぷりで出世はしているわけだ、私の上司になるくらいだから。

 この発言は、一種の言い訳とも取れる。このデブの場合、頭が悪い人物ではなかったので、自分の脳内に組み立てられている各種の言い訳を、このように言葉に変換して私にぶつけることができたのだと思う。

 だが思うに、おそらく、世間の多くの人たちは、このような言い訳の多くを、言葉にすることはないにしても、脳内で延々綿々と述べ続けては心の平安を得ているのではあるまいか。