#jtbt #kigo #haiku #jhaiku
「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。
オッサンは生きている。
「春は花、花は桜」という。
愛用の歳時記、角川の合本の「花」の見出しを見ると、傍題季語には、
……と、ゆかしい言葉が並んでいる。花そのものでなければ、「花疲れ」「花
今年の桜は既に咲いたが、今日は雪が降っている。「花の雪」という言葉は歳時記に載っていないが、あってもおかしくないな、と思う。
傍題ではなしに、見出し季語で「花冷え」という言葉もある。そこからすると今日などまさしく花冷えと言える。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【435】今週は「花筏(はないかだ)」を詠んでみましょう。水辺の桜が舞い散って流れゆく様子を愛でる時、よくぞ日本人に生まれけり、と嬉しく感じます。
添ひゆくもやがて遅るる花筏 雨宮きぬよ#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha #saezuriha_odai
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) April 5, 2019
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
(平成25年に詠んだ俳句。……最初は「避ける」で読みました。)
花筏避ける水棹の不慣れかな 佐藤俊夫 #kigo #haiku #jhaiku #saezuriha (花筏、春。散った桜の花弁がひとかたまりになって筏のように川や池を流れていくようすのこと。)
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) April 2, 2013
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
散る前の桜の香りが濃い。
香りも「薫り」と書くと、なにやら格調めくが、ここは「香り」と記しておこう。
散ったあと、落ちた花びらも殊に香る。水のそば、皇居の外濠を歩いたりなどすると花筏から香りが立ち上る。
昨日など、昼まではまだ満開下り坂、くらいの咲き加減だった東京の桜だが、夕刻に至って散り始めた。さっと風が吹くと、まだ吹雪とまではいかぬ、しかし桜の時雨とでも言うべきものとなる。この桜吹雪が香る。
夜など歩いていると、桜の香りに驚かされることがある。
普通、人がびっくりする場合というのは、音や光、あるいは思いがけず辻から人が出てきた、などと言うような時だ。香りでびっくりすることはあまりない。
ところが、ぼんやりと歩いていて、不意に桜が香って、びっくりするのである。桜だけは別なのだ。
匂いは大脳の古皮質に属する部分で感じるそうだ。大脳古皮質は人が無知蒙昧な獣だった頃から存在していた部分で、動物としての最低限の機能をつかさどるという。
してみると、太古から猿人どもの周囲にあった桜樹の香りだけは、なにか別の感じ方をするよう、太古から連綿と続く人の遺伝子に刷り込まれているのかも知れない。
昨日次女のピアノ発表会の帰り、川口の荒川河川敷あたりの花筏を見て、これをなんとか十七文字に、と思った。
ところが、今に至ってもまだ詠めぬ。
苦吟、とは文字通りこのこと、なぜか言葉にならないのだ。
そういうこともある。多分、脳の中の何かが減っているのだと思う。感動が薄いのだ。ものに感じる心が減っているから、言葉が減るのだ。