終戦記念日

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 終戦記念日である。

 例年ならば靖国神社へ参拝に行くのだが、()(かん)()(えき)()(なか)のこととて、今年はとりやめ、家で南の方を遥拝し、幾百万の英霊やすかれと念じ、また戦没者の魂の平安を念じることとする。

 終戦記念日を終戦日、あるいは敗戦忌と呼び、そう書くかどうかは、その対話に関係する人にも書いている文脈にもよる。(かしこ)きあたりにおかせられて、政府を押し止め、異例の玉音を発せられ、敵の占領をゆるすにあたられては自らの命すら(かえりみ)られなかった仁慈のことを想えば、「敗戦忌」と書いて偏狭な悔しさを滲ませてよいかどうか。逆に、敗戦までの苦難、敗戦後のまさに「堪え難く忍び難き……」時代を思えば、そしてまた、いまだに米国への服属下にあって自主独立の国防など到底でき得ず、核を保有する諸国に取り囲まれて怯えながら暮らしていることを省みれば、「終戦記念日」とだけ書いて取り澄ましておればよいかどうか。

 そのようなことを思い、長時間考え込まざるを得ない私である。

靖国神社の元宮と鎮霊社

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 昨年の終戦記念日、靖国参拝の折、いつもは立ち寄らない「鎮霊社」に立ち寄った。

 だが、その時は、数年前に爆破未遂事件を起こした韓国人テロリストのせいで立ち入りが制限され、参拝できないようになっていた。やむなく、できるだけ近くに行って、遥拝した。

 靖国神社の鎮霊社は、戦死した我が国の英霊には含まれない、世界各国のあらゆる戦没者を鎮め祀る社である。

 先週、年始に参拝したところ、通行止めがなくなって裏の日本庭園の方まで回れるようになっており、鎮霊社の傍まで行くことができた。

 依然、鎮霊社そのものは高い柵に囲まれ、社前まで行くことはできないが、ごく近くまで寄って遥拝することができた。

 写真には奥と手前と、二つの御社(おやしろ)が写っているが、奥が元々の靖国神社の前身であった「元宮」、手前が「鎮霊社」である。

 由来の札を撮影することができた。

 次のように書かれている。

 鎮霊社

 明治維新以来の戦争・事変に起因して死歿し靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める爲昭和四十年七月に建立し萬邦諸国の戦歿者も共に鎮齊する。

 例祭日 七月十三日

靖国神社参拝

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 表に出るとサウナにでも入っているのかと間違うくらいの暑さである。気象庁発表の36度、37度ではもう驚かない。しかし、それにもかかわらず、雲は(いわし)の群れ、あるいは羊の群れのように模様をなし、なにやら風の匂いもうっすらと異味を帯び、蝉の声も戸惑うように違う音色となっている。

 つまりは初秋であり、月遅れの盆である。そして、今日は終戦記念日である。

 終戦記念日は靖国神社へ行くことにしている。

 拝むまで1時間ほどは並んだと思う。

 どうして靖国神社なのか、どうして日本人は戦争の世紀を経なければならなかったのか、アメリカ人は有罪で間違いないか、……そんな問いは、私にとっては既にどうでもいい。

 鎮魂これあるのみ。

 誰かに何かを訴えかける気持ちも、もはや、ない。

 それから歩いて神田へ行き、蕎麦屋で一杯やる。

 帰宅して、到来の塩昆布で一杯。大阪・小倉屋山本の箱入り。

8月15日には

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 いかなる妨害、いかなる暴力にも屈せず靖国神社へ詣でよ>小泉首相

 そして、中国人無頼漢か韓国人暗殺者の手にかかって、靖国の敷石の上に、屍を流血淋漓と横たえよ。

 それが男の行く道だ。

 それにより日本人の覚醒が1秒早まる。マッカーサーが100年間イビリ抜いてやると豪語した、この日本の覚醒が。

 日本の覚醒のために死ね、小泉!!