同郷の先輩であるHさんに誘われ、小江戸こと川越を見物することにした。
まったく下調べなどせずに訪ねたのだが、偶々「川越百万灯夏祭り」というイベントが行われており、大変な人出だった。
昼過ぎ、本川越駅に着き、Hさんと落ち合った。
Hさんは街づくりなどに関わるコンサルティングを手掛けようとしており、近年ますます活気を盛んにする川越市に、他の街々にも応用できるモデルケースを見出そうということらしい。
川越観光には東武東上線川越市駅か、西武新宿線本川越駅を使うといい。西武本川越なら駅から出てそのまま北へ漫ろ歩けば、これでもう楽しい観光である。今日は祭礼日ということで、駅前から露店が多く並び、美味しそうな匂いがしている。
繁華街の寿司屋で一杯やりつつ、盛り込みなどを摘む。
Hさんは何度か川越を訪れており、目抜き通りは既にもう観光したことがあるということで、今回の私たちは市街の東の方にある「川越大師・星野山喜多院」という古刹のほうへ先に向かった。
ここは天台宗の名刹で、有名なものが沢山ある。顕密相修の天台宗にあって、喜多院はどちらかというと「密建て」の寺であるようで、護摩供養や不動尊崇がなされている。
なんといっても見どころは、往時江戸城から移築したという家光の書院や春日局の化粧部屋などで、これらが当時のままに保存展示され、しかも立ち入り可能であることは、文化財保護の観点から言って相当に大変なことだ。「放出大サービス」と言ってもよい。
のんびりと境内を見、燈明を上げて拝むなどするうち、折から黒ずんでいた空が怪しくなり、空気もにわかにむくむくと湿りを増す。しのつき出したなと見る間に、沛然と降り始めた。
これは天気予報で解ってはいたものの、街見物には少し残念ではある。しかし、雨宿りがてら、古刹の庭に面した渡り廊下の腰掛けに座り、名代の庭をゆっくりと眺める時間が思いがけず手に入った。
見事な庭の古杉の陰、通奏低音のような雨音に蝉が滲むように鳴くのが混じる。
これはいい。
Hさんと小一時間もそうして雑談と見物に興じたが、予報では2時間ほども降れば小やみになるはずだった雨はますます降りつのる。
意を決し、傘をさして喜多院を出、蔵造りの名物通りの入り口、「札の辻」と言われるところまで行ってみることにした。
雨だというのに、観光客は傘をさして楽しげに見物している。神輿や祭り囃子の賑わいも一向に衰えることを知らない。商店は店の前に露店を出していろいろと商っているが、売り子は雨にめげず声を張り上げて売っている。さすがは祭りだ。
街づくりを命題とするHさんも、その賑わいの秘密に非常に関心を持っているようだ。
名物の「時の鐘」の鐘楼の辺りに行ってみると、酒屋さんがある。ちょっと寄って、私たちも立ち飲みで、有名な「KOEDO」というクラフトビールを一杯やった。
そうするうち、丁度17時になり、時の鐘が鳴り始めた。これは面白い。現代らしく、何か自動仕掛けで定時に鳴るようだ。
漫ろ歩いて、土産物屋などを冷やかす。刃物商があって、おっさん二人はハードウェアが好きなものだから、そこでもだいぶ時間を潰した。その割には何も買わずで、店主さんごめんなさい(笑)。
その刃物商の2階が「開運亭」という食べ物屋さんになっている。そこへ上がってつまみ物などとり、もう一杯、「KOEDO」を飲む。
「札の辻」まで引き返し、その近くにある「旭湯」という古い銭湯でひとっ風呂浴びる。
Hさんは「仕事を見つけるには、やはり、根気よく人に会わなければならない」という。Hさん自身は4年ほどをかけ、街づくりの仕事に巡り合ったのだそうである。なかなかそのまま真似のできることではないが、それもひとつあるのだろうと思う。
私が行政書士の勉強をしているのを知っているHさんは、「色々な街づくりをしている人たちが、地域ごと、いわば『街づくり会社』のようなものを組織している。こういう人たちはしかし、補助金の申請などを面倒臭がってやらない。そういうところに、許認可申請などの『書士ニーズ』が伏在している」というヒントを下さった。
22時ごろまでそうしてHさんと話し、別れた。雨は小やみになり、越谷に着く頃には止んだ。
一日、面白く過ごすことができた。