米本位制

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 歴史小説などを読んでいると、どうしても米本位制の「『石高』とは?」とか、「そもそも米本位制とは?」といったようなことが気になる。

 今読んでいる「大黒屋光太夫」でも、随所に「御藩米五百石を積み込んだ」というような描写が出てくる。

 そんなところを読むうち、ふと、落語の「目黒のさんま」に、次のような「枕」があることを思い出した。

落語「目黒のさんま」の枕・講談社「古典落語」ISBN978-4062020459より引用

 さてだれしも見てはいけない、聞いてはいけない、食べてはいけないといわれると、見たい聞きたい食いたいと思うのが人情で、ご登城の途中お駕籠の中で、なにか珍しいことはないかと、きょろきょろ見ていらっしゃる。お江戸は八百八町八百万石のおひざもと、百万石も剣菱も、すれ違ったる繁盛は、 金のなる木の植えどころ、土一升に金一升と申しまして、お大名のお行列だってちっとも驚かない町人衆が、

甲 「おう聞いたか、今日の米相場を・・・・・・。」

乙 「いやまだ聞かねえ」

甲 「だいぶ暮らしよくなったな、両に五斗五升だとよ」

 それを小耳にはさんだお大名が、

大名 「ははあ、米は両に五斗五升か、おそらくこれを知っている大名はなかろう、これはよいことを聞いた」

 ただちにご登城になって、

大名 「いやおのおの大きに遅刻いたした」

同輩 「おやおはようござる。さあこちらへ、……どうですな、なにか変わったことでもございますかな」

大名 「さよう、今日の米相場をお聞きになられたか」

同輩 「いやうけたまわらん」

大名 「さようか、町人どももだいぶ暮らしよく相なったな、両に五斗五升でござる」

同輩 「貴公もいつもながら下世話にお明るいが、米相場までごぞんじとはいやどうもおそれ入ったしだい。してただいま両に五斗五升とおおせられたが、いったい両とは何両のことでござるな」

大名 「うむ、それはむろん百両だな」

 まずお大名の心持ちはそのくらいのものでございます。

 この「枕」で笑うのだって、現代の資本主義的物価尺度と、江戸時代の米や貨幣の相場とのニュアンスがわからなければ、笑うことすらできない。

 筆に(したが)って書き出してみよう。

江戸時代米本位制雑聞

 江戸時代の経済は、「米本位制」とでも言うべき特殊なものだったことは今更言うまでもないが、ここに出てくる「金一両・米五斗五升」という言葉の尺度というのはどういうものなのだろうか。

 昔の日本の「米本位制」の基礎は、度量衡の基準を人の生存リソースに求めた、人間本位制とも言うべき優れたものだった。人が食べる米の量を貨幣の相場基準にまで適用していたのである。江戸時代はものの価値を金銀に換算するのではなく、まったく逆に、金銀やものの価値を米に換算していた。

 誰にでもわかる理屈だが、掘り尽くせば枯渇する金銀とは違い、米は自然な農業のサイクルにより、何度も再生可能である。その再生可能な資源を、江戸時代の日本は価値の基準として使っていた。だから、武士の格や藩の貧富も、「30俵2人扶持」「100石どりの旗本」「紀州50万石」「加賀100万石」などと、給与の米の量や領地で取れる米の量で表していたのである。

 さて、この、「米の量」である。わかりやすいところから書いてみよう。

 メートル法が行き渡った現在、料理の教科書などで「1カップ」と書かれているのが、実は「1合」であることは、どなたにも直感的にお分かりになると思う。メートル法で180ccだ。文字通り「コップ1杯分」ほどである。居酒屋で冷酒を注文すると出てくる1合枡に、米がすり切り1杯入っているところをイメージしてもよい。同じ量だ。

 この「1合」の米は、成人の一食分だ。副食物(おかず)の豊富な現代では、1食で1合の米飯は少々多めだが、昔はごく少量の漬物などで、突き残しの胚芽が多く含まれた、ビタミンたっぷりの米を大量に食っていたので、1合でちょうどか、やや少ない目というくらいなのである。さておき、この計算なら10合の米で、3.3日を暮らすことができる。10合は「1升」である。

 1升で3.3日であるから、その10倍、10升の米があると、大人1人が1ヶ月と少しの間、食べていけることになる。10升は「1斗」だ。1斗=1か月、である。

 10ヶ月あまり、すなわち1年を暮らそうとすれば10斗の米が必要だ。10斗は「1石」だ。1石=1年、である。

 つまり、大人1人が1年間食べるのには、1石=1000合の米が必要という計算になる。

 ちなみに『1俵』というのは米4斗で、重さは60キロである。大人一人につき5ヶ月弱程の所要量だ。大人1人が「よっこらしょ」と持ち上げることの出来る重さの米は、その人が春夏秋冬のうちいずれか1季節、四半期ほど食える量の米、ということになる。30俵というと12石、「扶持」というのは1日に5合の米による手当ということで、2人扶持というのは1日1升の米手当である。そうすると、30俵2人扶持というのは年に米16石ほどを貰う武士のことである。

 この、「大人1人1年分」の米、すなわち「1石」を産する土地の面積を、「1反」と言った。また、この「1反」を360で割った面積、つまり、「大人1人・1日分」の米を作ることが出来る面積を「1坪」と言った。今も住宅地の売買に「坪」を用いるが、坪はだいたい1.8m×1.8m、たしかにこれくらいの広さの田んぼを想像すれば、3合ほどの米は採れそうである。

 10反を「1町」と言った。つまり、大人10人が1年間食べる米を産する面積だ。昔の家族は爺様、婆様、女房に子供、弟妹、下男、と言ったところだろう。その家族の様子を想像すると10人くらいはひとかたまりで暮らしていそうだから、1町=10石=1家族1年間、ということになる。

 そうして、貨幣では、1石の米が「1両」にあたる、と決められていた。つまり、大人1人1年間の食費が1両、と、なっていたのである。

 まとめると、大人1人1年間の食費が1両、1両ぶんの米は1石、1石を産する土地は1反、ゆえに1反の土地の値は1両。また、1坪の土地があれば1日食える。わかり易い。

 落語「目黒のさんま」の枕に出てくる「一両五斗五升」というのがどういう尺度かは、もうお判りだろう。基準の2倍弱ほどの値段だ。町の人たちが、それを「だいぶ暮らしやすくなった」と言っている。

 江戸時代も下るにしたがって米相場が高騰し、1石1両ではなくなっていた。文久3年(1863年)には江戸で1両・4斗、慶応3年(1867年)には大坂で1両・9升にまでハネ騰がったそうだ。

 いま、下級の武士を、現代のサラリーマンと概ね同じくらいの年収と仮定してみる。なにしろかつては「サラリーマン」などというものはなく、給与で生計を立てている者は、武士しかいなかった。サラリーマンの語源を引くまでもなく、武士は正真正銘のサラリーマンであったと言えるのだ。

 現代のサラリーマンの平均所得は、国税庁の統計によると年に概ね420万ほどである。税抜きで400万。ちょっと生活キツいね、という印象の年収だろうか。

 一方、「ちょっと生活キツいめの武士」はどうだっただろう。時代劇のせりふや、話芸の文句に、「100石6人泣き暮らし」などと出てくるが、この「100石」というのは、ちょっとカツカツの、キツいめの暮らしだったのだろう。

 その、「100石取り」の武士が、平均年収のサラリーマンと同じくらいだ、と、してみるわけだ。

 武士は俸給を米で貰う。受領した米を、「札差し」という金融業者に持って行ってお金にするのだ。多くの武士が貰っていた100石の年収を、現代の平均年収420万円とすると、1石あたり4万2千円相当、概ね4万円ということになるだろうか。

 先の落語の枕の、庶民の口にした相場を思い返してみる。「両に五斗五升」=「4万円で米が82.5キロ」=「米1キロ484円」という計算になる。

 ちなみに、現代人が家庭で買う普通の米が5キロで2千円、ブランドのササニシキがネット通販で2キロ2千円だから、今の相場は1キロ400円~1000円の間ぐらいということになる。現代のわれわれの米消費は、豊富な副食物のために減っているから、食費が家計の中に占める割合と、さらにその中で米が占める割合を考え合わせると、まずまずこの換算はそう見当はずれでもなかろう。

 この「目黒のさんま」の頃は、かなり米相場が高騰したあと、すこし下がって、ちょっとは暮らしやすくなった、というような時代だったのだろうか。

 さて、そうした諸々を踏まえた上で改めて計算すると、落語「目黒のさんま」の枕のお大名は、「両」というのを「100両」と間違えているから、上述の100倍の相場の、「米1キロが4万8千円で、庶民は暮らしよい」と言っていることがわかる。

 いかがだろう。「目黒のさんま」の、浮世離れしたお大名の超然たる天然ボケッぷりが、やっと笑えるようになっただろうか?

永田町・国会図書館 → 麻布永坂 更科本店

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 「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、本当だ。まるでスイッチで切り替えたかのように涼しくなった。虫の声も大きい。

 ただ、今年の秋雨の強さには閉口する。二百十日(にひゃくとおか)前後にはラッシュのように台風が暴れまわり、被害が出た。水害に遭った人にとっては「天高く馬肥ゆる」どころではあるまい。

 そんな土曜の朝だ。曇り空が重い。だが、垂れ込めていても仕方がない。どうにかして元気を出そうとする。

さえずり季題当番

 先週土曜日にTwitterの「さえずり派」俳句つながりの@donsigeさんから今週のお題当番が回ってきていたので、朝はそれを出題した。

 選んだのは「真夜中の月」で、なんとこれでも立派な見出し季語である。小さい歳時記には載っていないが、5巻本の「角川大歳時記 秋」には載っている

 先週のうちにブログの予約投稿でお題を作っておき、自吟も詠んでおいた。プラグイン「Jetpack」のパブリサイズ共有でツイートされる仕掛けだ。ところが、なぜか自吟だけ日にちのセットを間違えてしまったらしく、昨日ポストされてしまった

 なんともしまらぬことだったが、まあ、しょうがない。

国会図書館

 それから外へ出た。

 「太平記」を読もうと思い、最近刊行だからひょっとしてあるかな、と、近所にある越谷市立図書館の南部分室へ行ってみたのだが、検索用のキオスク端末で調べると、所蔵は市立本館で、南部分室には不在架だった。

 バスに乗って市立本館に行くと、バス代が400円や500円はかかってしまう。それならいっそ、と、結局永田町の国会図書館まで出てきた。市ヶ谷までは通勤定期で出られるので、永田町まで行っても残り2駅ほどしか払わなくてよく、往復でも300円ちょいで済んでしまうからだ。

 時間が11時前で少し遅くなっていたので、岩波の「太平記」第1巻の解説と、原書の最初の一巻をだいたい読んだくらい。

 その際に知ったことがある。Amazon・Kindle本で昔の写本の太平記が読めるが、これは1巻108円する。全40巻だと4,320円で、Kindle本としては馬鹿にならない。

 ところが、このKindle本の案内文を読むと、

「本電子書籍は、国立国会図書館が所蔵し、インターネット上に公開している資料で、著作権保護期間が満了したタイトルの画像データを、Kindle本として最適化し制作したものです。」

 とあって、国会図書館所蔵の古文書であることがわかるのだ。

 しかも、国会図書館で閲覧できるだけでなく、ネットで無料で読めることも判明したのであった。

 そのURLはこれだ。

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 とはいうものの、岩波文庫をテキストがわりにして、ゆっくり字面(じづら)を追うと、同じ文章であることがはっきりとわかるのであった。

 それから韓非子の調べ残しを少し読む。「説林(ぜいりん)」の「上」。この前、自分で書いた()み下し文が正しいかどうか確かめるためだ。結果、どうも怪しく、ところどころ違っていることが分かった。だが、まあ、大体合ってるから、もういいやあ、と、特に厳密に手直しはしなかった。

麻布永坂 更科本店

 午後遅く国会図書館から出てみたら、外は土砂降りの雨で、参ってしまう。朝家を出る時になんとか曇りのまま()つかな、と思ったので、傘を持ってこなかったのだ。

 仕方がない。ともかく、濡れながら歩いて駅に行く。

 今日はひとつ、「砂場」の名店、「巴町 砂場」へ行って見ようかと思ったのだが、ウェブで確かめてみると、土・日・祝は休みらしい。残念。

 それなら、永田町から麻布十番までは3駅ほどだから、そっちのほうへ行って見ようと思い直した。

 一昨日(おととい)、畏友F君と麻布十番の「更科堀井」へ行ったところだけれども、何、蕎麦屋に何度も行ったからって文句を言う人のあるわけでもなし。

 麻布十番には他に有名な2店、「麻布永坂 更科本店」と「永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店」がある。今日は一つ、「麻布永坂 更科本店」のほうへ行ってみよう。

img_4775 「麻布永坂 更科本店」は地下鉄「麻布十番」駅の「5a」出口から出ると、道路を挟んで正面すぐ、首都高に近い角の所にある。立派な店構えだから、すぐにそれとわかるだろう。

 高級なそうな店構えだが、蕎麦の値段なんて多寡が知れているから、物怖(ものお)じせずに入る。御一人様(オヒトリサマ)万歳というところだ。

 同源の他の2店と同様、寛延年間(1748~51)頃創業の老舗だが、建物は昔のものではない。だがその分、清潔で新しい。客室のデザインはかっこよく、手馴れた和装の女の人たちがこまめに世話をしてくれる。

 1階はテーブル席が十幾つか。奥と2階に宴席があるようで、今日は何か、どこかの会社の接待の席らしく、賑やかな一本〆(いっぽんじめ)の声がしている。

img_4779 早速一杯頼む。京都の清新、「澤屋まつもと」。甘からず辛からず、真っ直ぐの純米酒である。程好(ほどよ)く冷えて、疲れが取れる気がする。

 通しものには一昨日行った「更科堀井」と同じ、名代の更科蕎麦を軽く揚げて塩味を付けたものが出た。

img_4782 肴に、私のいつもの蕎麦屋でのならい、焼海苔を頼んでみる。

 他店より大きな炭櫃(すみびつ)、大きな切れで出てきた。火もほどよく熾っている。

 ただ、海苔の味は、他所(よそ)のほうが旨いように思った。

 そうは言うものの、炭櫃の蓋を閉めておけば、焼海苔は雨にもかかわらずよく乾き、歯応えも香りもどんどん良くなっていく。旨い山葵(わさび)(つま)んでは直接口に入れて味わいつつ、これまた旨い醤油を焼海苔にたっぷりとまぶし、味わいながらゆっくりと1合をのむ。

img_4784

 一杯ほど酒の残った頃おいに、「もり」を一枚頼む。

 「更科堀井」ほど白くはないが、間違いなく「更科」独特の、肌の白い、しなやかな蕎麦である。蕎麦(つゆ)は濃くはなく、あっさり、すっきり、はっきりとした旨いものだ。

img_4786 蕎麦をすっかり手繰り終わって、あとは蕎麦湯をゆっくり飲む。よく蕎麦粉の溶けた、重湯(おもゆ)のように濃い蕎麦湯で、飲みごたえよく、満足した。

img_4789 わかりやすい場所にあり、店は清潔である。肴や酒の種類も多く、堪能できる店だ。

 また、最近の東京の有名店の例に漏れず、白人が「ソバ・ランチ」を試みていたりするのも、まあ、珍しく面白いと思えば、逆に楽しい。

焼き海苔 400円
澤屋まつもと純米(京都)1合 720円
もり 880円
合計 2,000円
他に、通しもの、揚げ蕎麦

 合計2000円、多少高いが、払って惜しい値段ではなく、道楽にちょうど良かった。

 天気の(すぐ)れぬことはこのところ数日と同じで生憎(あいにく)だったものの、名店は(たず)甲斐(がい)があり、良い気分で過ごすことができた。