で、だからどうだと?

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……というか、誰だお前(笑)>アントニオ・グテーレス

めでたい!!

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天皇陛下万歳
秋篠宮眞子内親王殿下万歳

 なんと、びっくり!帰宅してみたらこの話題である。めでたい、めでたい!!御婚約だ!

平成29年1日・(ついたち)対応表

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 この数年、高島暦を買っている。旧暦や朔望がすぐわかるからだ。

 しかし、新暦の1日と旧暦、逆に旧暦の(ついたち)や晦日と新暦との対応、またせいぜい月の朔望(さくぼう)以外、それほど毎日必携というわけでもない。

 そこで試しに、新暦の1日と旧暦、旧暦の朔と新暦の対応だけを抜粋した早見表を作ってみようと思い立った。

 他に、旧暦の十五日ないし望と新暦、新暦の月末と旧暦、旧暦の晦日と新暦なども対応させてみようかとも思ったが、晦日は朔の前日だし、望は必ずしも十五夜とは限らず、2日程度のズレがあって、旧十五日と望を併せ記すのも面倒だから、これらは省いた。

 以下がその早見対応表である。

平成29年
新暦 旧暦
1月1日 (平成廿八年)十二月四日
1月28日 一月朔
2月1日 一月五日
2月26日 二月朔
3月1日 二月四日
3月28日 三月朔
4月1日 三月五日
4月26日 四月朔
5月1日 四月六日
5月26日 五月朔
6月1日 五月七日
6月24日 (うるう)五月朔
7月1日 (うるう)五月八日
7月23日 六月朔
8月1日 六月十日
8月22日 七月朔
9月1日 七月十一日
9月20日 八月朔
10月1日 八月十二日
10月20日 九月朔
11月1日 九月十三日
11月18日 十月朔
12月1日 十月十四日
12月18日 十一月朔
(平成30年)1月1日 十一月十五日
1月17日 十二月朔
2月1日 十二月十六日
2月16日 (平成卅年)一月朔

薨去(こうきょ)考続

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 昨日、新聞各社の「薨去(こうきょ)」という言葉の用い方の前例を調査し、その結果を書いた。

朝日新聞・昭和20年5月3日のクリップ「ヒ総統薨去」

朝日新聞・昭和20年5月3日のクリップ「ヒ総統薨去」

 調べている最中に気付いたことだが、実はこの「崩御」「薨去」という用語、戦前は皇室の報道のみに使われていたわけではなかった。外国の王族や、貴人政治家等の訃報記事でも、一定の地位以上にある人にはこの「薨去」という言葉が用いられていた。

 ドイツ第三帝国総統・ヒトラーの自決記事にも、この「薨去」が用いられていたのは知る人ぞ知るところである。右のクリップのとおりだ。

 この朝日新聞の記事に限って言うと、比較的事実を伝えることに努めている様子が伺えるが、他の新聞、例えば毎日新聞などは特別にヒトラー死去に関する社説を上げ、ヒトラーの死を悼み、立志伝中の人物としてホメちぎっていたりするから、時代ってうつろうものだなあ、と感じる。右傾きになるのも左傾きになるのも、風向き、潮目の変化はほんの一瞬だ。

時事色々

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スパコン3期続けて世界1位

 やっぱりこうなると嬉しいわな、科学立国の日本人として。

中国、国際司法に従わぬ件

 ……。「ガン無視」て……w。そうか、そのテがあったかーッ(笑)。

提訴自衛官(笑)

 本人は大真面目なんでしょうけど、多分、バカなんでしょうね。

ナショナル・デーで大騒ぎ、てw

 念のため書いておくと、在外公館や外交のために派遣されてる人たちって、ナショナル・デーと言って、記念日なんかをなんでも紹介するんですよね。で、この自衛隊記念日だって、特段騒ぐようなことでもなし、前からやってたのを普通にやるだけだし、在京韓国武官だって韓国大使だって、陸軍記念日やるんですよ、普通に。なんか、突然騒ぎ出したんだよなあ……。まあ、これも一種のアホなんでしょうね。ほっときましょう。

100対5、てww

 ……っていうか、この酔客、5人くらい、って、最強過ぎないか?(笑)ニュースがこともなげ過ぎて、逆に笑っちまったよ。

 しかも、それで怪我人が3人くらいだってんだから。どんだけの格闘家揃いだったんだろ、この居酒屋の客。

 あと、西成怖すぎ。私は大阪出身で、日本橋の電気街に行くときに通天閣のそばの西成のあたりを通ってきた、なんて帰宅してから親に言うと、「あんな怖いところ通ってきたらアカン!」と怒られたりしたもので、社会科の教科書などにも「大阪・西成の暴動」という写真が載っていたりして、「暴動」て、ロサンゼルスじゃあるまいし、いやもう、懐かしいですな。

女子高専生の世界的研究

 偉いッ!まことに立派なお姉ちゃんたちだ。まだ学生、少女だってのに、大変なものだ。後生(こうしょう)恐るべしというのはこういうことを言うのだろう。先々も頑張って立派な技術者、研究者になってもらいたい。

相次いで訃報

 私はザ・ピーナッツのリアルタイム世代ではなく、物心ついたころには既にザ・ピーナッツは活動をやめており、怪獣映画の「モスラ」だとかなつメロ番組で見るだけだったが、しかし、昭和の痕跡もどんどんこうして遠くなるなあ。祈冥福。

 永六輔氏の政治的な発言は、大人になってから嫌いになったけど、子供の頃はラジオやテレビで知性溢れるそのトークに聴き入ったものだ。祈冥福。

梅雨入り前

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 梅雨入り前は好日が多くて好きだな。

 そろそろ雨も多くなって来るだろうが、今はまだ晴れが多い。今日など青天白日、多少暑いが爽やかな風に雲が乗り、処々の植栽に皐月花(さつき)が紅い。空の紺碧、雲の白さと黒さ、花々の彩々(いろいろ)、万象の色がくっきりと際立っていて、良い。

 卯月(うづき)というと4月のことだと学校でも習うが、本来()の花は今時分に咲く。卯の花の花期は旧暦の四月だからだ。今日は旧四月二十三日、それこそ

卯の花の、匂ふ垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は()

……と鼻歌のひとつも漂い出ようというものである。

 ただ、近所にウツギ(卯の花)の植栽をあまり見かけないのは、この歌とこの時季にかけて、多少残念ではある。

 一日というもの金も使わず、あまり食わずに過ごす。働かない休みの日にガツガツ食ってしまうと、肥満していざと言うとき存分に働けなくなるから、そうしている。

 かわりにコーヒーや茶など飲んでいる。朝、氷を詰めた保温ポットに直接レギュラーコーヒーをドリップしておくと、昼を過ぎても冷たいコーヒーが飲めるので都合が良い。豆に凝るほどの余裕はないので、その代わりに丁寧にドリップする。

 黄色く暮れてくると、表でまだ喋っていた小さい子供たちの声がまばらになってくる。今日の飲み代でも(もと)めようかと屋外に出ると、家々の窓からいろいろな料理の匂い、油の匂いや、わさび、海苔、醤油、生姜、鰹節、昆布、中華料理風な山椒や香り菜、トマト、チーズ、諸々の匂いが漏れ出てくる。

 自転車で路地を通り抜け、よく行く薬局(ドラッグ・ストア)に着くと、店頭の品揃えも少しづつ変わっている。簾、虫除け網、蚊取り線香、レジ前に子供の水鉄砲や風船ヨーヨーのセット、食品の棚にはゼリーやチューペット・アイス、(わらび)餅などが並んでいる。目当ての酒棚の(そば)には瓶ビールにチューハイ、割り料のソーダなど、時分向けのものが少し増えている。

 飲み慣れたウィスキーの安いやつをひと瓶、無造作に買って帰る。

 日永(ひなが)であるが、この(ようや)くの暮れ加減に冷蔵庫から氷の塊を取り出し、アイスピックを使ってカチワリを作る。グラスに放り込み、今需めてきたウィスキーを注いで一杯やるのなど「これ以上の幸せはどこにあるか」と言いたくなるほどのものだ。

 妻が夕餉に小鉢を並べると、それが酢のものだったりして、これも今の時季の楽しみの一つである。だいたいにおいて男は酸っぱいものを好まぬもので、私も長いことそうだった。ところが、妻に言わせれば誠に身勝手なことに、亭主の飲み食いの好みなんて次第に変化してしまい、胡瓜、水雲(もずく)海月(くらげ)、大根、わかめ、また他に、セロリとかレタスにレモンや最近流行のシークヮーサーの汁をかけまわしたのなど、「旨いなあ」としみじみ目をつむってしまうようになったのだから、変われば変わるものだ。

 好日はさっさと寝てしまうにしくはない。夢でまた誰かに会うだろう。人気商売で口を糊しているわけでもないから、いわゆる日曜ゴールデン・タイムのニュースもドラマも、私にはかかわりがない。

エベレスト初登頂記念日

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 今日はエベレスト初登頂記念日なのだそうな。63年前、昭和28年(1953)の5月29日のことだという。

 イギリス人登山家ヒラリー卿はつい数年前まで存命だったが、名シェルパ・テンジンはもうだいぶ前に亡くなったのだったか。

平日フラフラ

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マイナンバーカード

 朦朧(もうろう)と日々の義務に追われているうち、迂闊、つい桜も終わり、躑躅(つつじ)の見頃も終わってしまった。花鳥を追うゆとりもないうち、梅雨には早いが、そろそろと五月雨気味の頃おい、今日は俄雨(にわかあめ)が日差しの合間合間に挟まっている。ゴールデンウィークが終わったので、人々は忙しく働き始めた。

 案内状にいろいろとヤヤコシイ事が書いてあるのでなかなか取りに行く気になれなかった「マイナンバーカード」。私は今日、偶々(たまたま)平日休なので、意を決して取りに行くことにした。

 市役所から届いた案内には「取りに来るときは予約を」と書いてあったのだが、予約をした妻によると、1か月先の日を指定されたという。私は1か月先の平日の私的予定が自由に調整できる身分ではない。

 一方、私の通知はがきには5月12日までに取りに来い、と明記してある。行くのは偶々(たまたま)休みの今日くらいしかないと思い、ダメでもいいや、と思い役所に電話してみた。

 そうすると係の人は、当日お越しいただくこともダメではないが、2~3時間は窓口でお待ちいただくことになってしまいますよ、と言う。

 どうせ休みなんだし、2~3時間くらい待ちますよ、役所の窓口で待つのなんか当たり前じゃないですか、あっはっは、と答えたら、それならばどうぞお越しくださいと言う。

 読みかけの「千一夜物語」の9巻を鞄に放り込んで役所へ行き、マイナンバーカードの受け取り申し込みをする。窓口前の椅子にゆったり腰掛け、持参の千一夜物語をのんびり読む。


 2、3時間はお待ちいただきますよと係の人が言ったのはちと大袈裟で、実際には9時に出かけて、10時半にはカードの交付が終わった。

 カードには、今までの住基カードと同じ機能と、汎用の機能、本人の証明機能、電子申請などの署名用証明の4種類の機能が相乗りしている。それぞれの機能の有効期間が10年であったり5年であったりするので、注意する必要がある。

ベトナム料理

 用事がさっさと終わったので、外で昼飯にする。平日でガラ空きのレイクタウンへ行って、さて何を食べようかなとうろついているうち、先日から食べてみたいなと思っていた、新規出店のベトナム料理店の前に行き当たる。

 ランチのセットを頼んでみた。激安と言うほど安くはなかったが、大きな麺鉢に牛肉の越南(ベトナム)蕎麦(フォー)、生春巻き、揚げ物の小皿、サラダ、餡入りココナツミルクのタピオカなど、申し分なくたっぷり出てくる。

DSC_0189

 薬味に青レモンと唐辛子、それから名物の「香菜(パクチー(コリアンダー))」が小皿についてくる。ただし、パクチーはほんのお印程度にちょっぴりついているだけだから、マニアには物足りないかもしれない。しかし、パクチーの香りを受け付けないという人もいるから、普通の人にはちょうどいいくらいだろう。また、本場の「匂い米」の麺や生春巻きではないので、誰にでも食べやすい。

 もちろん、レモンと唐辛子をきかせて啜るそば(フォー)出汁(だし)は、牛肉の油が溶けてまことにうまかった。

 越谷レイクタウンのはずれ、武蔵野線の南越谷駅寄りのほうに、新しい「K’sデンキ」の大型店舗が出来ている。ちょっと覗いて、デジタル温度計を一つ買った。しかし、郊外型大型店舗、今は世の中がオムニチャネルとかO2Oとか言い出しているんで、なかなか勝ち残るのは難しいだろうなあ。

歳時漫筆

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 三夏(さんか)九十日、という。今年の立夏は5月6日だったが、8月8日の「立秋」までの約90日を三夏というのである。三夏とは初夏・仲夏・晩夏の三つをいい、その一つ一つを約30日1ヶ月とするのだ。今日はそろそろ初夏も終わり、6月に入ればもう仲夏にかかろうかな、という頃おいだ。これを「四季」という。普段我々は「四季」という言葉を春夏秋冬の意味で慣用するが、詳しく述べれば上のように12の「四季」がある。

 この「四季」は、それぞれ更に三つに分けられる。例えば夏なら初夏・仲夏・晩夏の三つに分けられ、4×3=12で、12に分けられる。更にこれらそれぞれを上下ふたつに分け、名前をつけたものを「二十四節気」という。これは少し語彙豊富な人なら「立春」「啓蟄」「春分」といった言葉で馴染みがある。今日は5月31日、一番近い二十四節気は5月21日の「小満(しょうまん)」である。

 更に、二十四節気を初候・二候・三候の三つに分けて名前をつけたものを「七十二候」という。ここまで来るともう、一般の人にはあまり馴染みがない。中国と日本で少し付け方が異なる。

 今日は、七十二候ではだいたい「麦秋至(ばくしゅういたる)」にあたる。

 麦は暑くなるにしたがって色づき収穫期を迎えるので、夏は麦にとっては秋である、ということで、俳句では今頃の季語として「麦の秋」「麦秋(ばくしゅう)」という言葉がよく使われる。

麦の秋さもなき雨にぬれにけり  久保田万太郎

 
 俳句の季語には、秋を春と言い、春を秋と言いかえるような、洒落た言葉が他にもある。例えば「竹の春」「竹の秋」という言葉がある。竹は春に黄色く枯れ、秋に青く葉が茂るので、他の植物とは逆に言うのである。春と言っても秋の季語、秋と言っても春の季語、というわけだ。

祗王寺は訪はで暮れけり竹の秋  鈴木真砂女

 竹の秋・麦の秋、どちらも、万物いきいきと緑に萌える初夏にあって、一抹の寂寥感が感じられる言葉で、なかなか渋い。

 これらとは真逆のものを同じ夏の季語から挙げるとすると、やはり「万緑(ばんりょく)」であろうか。

万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

なんと言ってもこの句に尽きる。初夏の生命感、人生の歓喜に満ち溢れている。

 ただ、この「万緑」という言葉、中村草田男がこの句によって取り上げるまでは、春の季語であった。出典は漢籍で、1000年ほど前の中国の詩人、王安石の「石榴の詩」の中にこの言葉がある。

(ばん)(りょく)(そう)(ちゅう)(こう)一点(いってん) 動人(ひとをうごかすに)春色(しゅんしょくは)不須多(おおきをもちいず)

 この詩の一節自体、緑と赤のコントラストがいきいきと立ち上がって見えるような素晴らしいものだが、書いてある通りこれは春の一景なのだ。それを初夏の語として取り上げ、かつ認められたことは、まさしく「季語は名句によって生まれる」の例である。

 王安石の石榴詠は、むしろ「万緑」という言葉の出典というよりも、現代ではダイバーシティやジェンダーフリーの立場からあまり使われなくなってしまった、「紅一点」というゆかしい言葉の出典としてのほうが知られていることも忘れずに付け加えておきたい。この詩のままに捉えれば、「紅一点」は、むしろ労せず周囲をコントロールできる、たのもしい能力ということになり、良いことのように思えるが、さも差別語であるかのようになってしまったのは残念なことだ。

 さておき、中村草田男は生命の喜びをこのいきいきとした一句で謳歌したが、同じ万緑という言葉を使っても、まったく違うものもある。

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

もう、こうなってしまうと、あまりの不安、自己凝視、メランコリックのために、こっちまでどうにかなってしまいそうである。私も上田五千石を勝手にリスペクトして、

万緑や我が死は何を以て足る   佐藤俊夫

……と詠んでみたことがある。

 いずれにしても、明日は月曜、新たに6月に入れば四季は「仲夏」となり、二十四節気は6月6日の「芒種(ぼうしゅ)」、七十二候は「蟷螂生(とうろうしょうず)」(かまきりが生まれること)となる。

 月曜は憂鬱で、私などとても生命力どころではないが、万緑の初夏、歓喜の盛り上がる季節はもう、こっちのメランコリーなどお構いなしに、好き勝手に流れていくのである。

南越谷のレストラン「イタリアの台所・クローチェ」は嫌な店である。

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 先週、5月31日の金曜日、南越谷のホテル「サン・オーク」B1階にあるレストラン「イタリアの台所・クローチェ」(越谷市南越谷1丁目22−1)でイヤな目にあい、この店にはもう二度と来るまいと思ったので、悪口を広めておきたい。

 本当は先週すぐに書こうと思ったのだが、忘れていたのだ。しかし、先ほど近くを通りかかって思い出した。

 店をやろうと言う人は、ネット時代であるから、気をつけて置くが良かろう。私も男だ、ちょっとググれば私の顔も住所もわかる、特段逃げも隠れもすまい。

以下、事実---------

 店がオープンして2~3分ほど経った18時過ぎ頃、店に入った。「OPEN」の札が出ているし、「本日貸切」とも「ご予約ダレソレ様」とも、張り出されてはいない。

 客は誰もいなくて、席は全部空いていた。

私  「えーっと、かまいませんか?」
店の人  「はい、いらっしゃいませ。…何名様でしょうか?」
私  「あ、一人なんですが…」
店の人  「すいません、今日は予約のお客様で一杯でして。」
私  「…。はあ、そうですか。お邪魔しました。」
店の人  「またのお越しをお待ちしております。」

 そのまま素直にきびすを返して、私は店を出た。

 帰り際、入り口周りをもう一度良く見たが、「本日貸切」とか「ご予約ダレソレ様」とも何も書かれておらず、単に「OPEN」の札が出ているだけだ。

 私の服装は、半そでの白いワイシャツに、ベージュのスラックス、通勤かばんを持ち、髪は真っ黒の短髪である。

---------事実ここまで

 ここからは推測と、悪口だ。

 店がオープンして2~3分後の、誰も客がいない店に、たった一人の客が入ってきて、「予約で一杯」などというバカな話があるだろうか。ただ一人の客も座れない、カウンター席すらない、というほどの満席ということではないか。

 それなら、なんで、店の中ほどまで私が入ってくるのを漫然と見ていて、

「何名様ですか」

と聞くのだ。本当に予約で一杯で、早い時間のたった一人の客も入れることはできないなら、

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でいらっしゃいますか?」

となぜ聞かないのだ。人数を聞いて、「ゼロ人です」と答えたら座らせてもらえる、ということはありえないし、そんな答えなどあるはずない。だから、これは「一人以上」の答えを期待してする質問だ。

 そもそも、「早い時間のたった一人の客」すら座らせられないというなら、店の前に「本日満席」とでも書いておくべきである。

 私はヤクザのようななりをしていたわけではないし、一人で入ったからと言って追い出されるような乱暴な言葉遣いをした覚えもない。

 おおかた、「金曜日のかきいれ時に、一人客にテーブルを占領などされてはたまらない」というような気持ちで私を追い出したのだろう。私が4人連れででもあれば、座らせるつもりだったに違いない。そうでなければ、人数を聞いてから「今日は一杯です」などという言葉が出てくる説明がつかない。

 一人の見慣れない客だからと言って追い出すようなメシ屋など、看板を上げて商売をする資格がない。それならそうと看板に書くか、看板など出さず、高級店然として、人づてに紹介される有名人だけ相手にでもしておけばよかろう。

 数年前にこの店で飲食したことがあるが、このご時勢に店内がきちんと「分煙」されておらず、「禁煙席、喫煙席どちらになさいます?」と聞かれて「禁煙席を」と言ったにもかかわらず、背中合わせの真後ろの席でプカプカと煙草の煙を立てられて非常に迷惑した。

 その時に「イヤな店だな」と思ったのに、また入ろうとした私がバカだ、と言えばそれもそうだ。

 なので、私より知性のある人は、この店には行くべきではない。

 腹が立つから、店の名前をもう一回、特筆大書しておいてやろう。南越谷のホテル「サン・オーク」B1階にあるレストラン「イタリアの台所・クローチェ」(越谷市南越谷1丁目22−1)である。場所は次のURLのとおりだ。

http://maps.google.com/maps?hl=ja&ll=35.876363,139.792652&spn=0.000004,0.001725&t=m&z=19&layer=c&cbll=35.876266,139.792658&panoid=q1jK8AoNEImcOtT2DuhJWw&cbp=12,45.59,,1,1.87