バンダイの黒歴史

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 夜更かしをして漫然とHDDレコーダーに録画されているNHKの番組を見ていたら、一昨日、5月4日(火)夕刻に放映された「神田伯山のこれがわが社の黒歴史」という番組に行き当たった。

 番組は講談師の神田伯山が企業の黒歴史を当事者へのインタビューを交えながら講談調で語るというもので、番組内でも伯山が「実に悪質な番組である」と明言している通り、一歩間違うと悪趣味極まる番組になりかねない、きわどい企画番組である。

 今回はかつてバンダイが開発したゲーム機「Pippin @(ピピンアットマーク)」が、会社を “バンダイの黒歴史” の続きを読む

時事雑挙

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 通勤経路の他所(よそ)のお宅の庭に木槿(むくげ)が咲いた。

 美しい。

 写真にでも撮りたいところだが、他所のお宅の庭なんか写真に撮って、犯罪者だと思われても困るし、向こうでも気味悪くて迷惑するだろうから勝手なことはできず、残念である。

自然な農業を歪めているのは誰

 私は農業関係者ではない。しかし、おいしい野菜や果物を食べたいという単純な欲求は持っている。

 去年の話題ではあるが、「種苗法」の運用により、自然な農業のなりゆきと感じられるような、例えば「収穫から種を採り、それを分けあって()き、更に収穫を増やして共存する」などということが出来なくなっていくであろう、……というふうに書いているメディアがある。

 パッ、と、そこだけ切り取って聞くと、「なんと不自然なことだ。天然自然の農業を歪めるものだ」という感じがしてしまう。上掲は去年の記事だが、この記事のように、「米国の大企業の支配構造に農業を組み入れる暴挙であると同時に、生態系や人間の健康に重大な影響を及ぼしかねない」というようなことを書きたてているところが多いようだ。

 しかし、冷静に見ていくと、そういうことばかりではなさそうである。

 もともと、苦労を重ねて改良された、日本の優れた農産品が、無秩序に中国や韓国に持ち去られ、勝手に播種(ばんしゅ)栽培、更には増産されて日本に輸入され、平穏な日本の農業需給を荒らすというような、そういうことが問題となったから、種苗の取引に一定の秩序を付与しよう、ということらしい。

 言われてみれば、苺や柑橘類、米穀などで損害を被る事態になっていることがニュースになっていたのを、深刻に思い出す。

 どうも、落ち着いて見ていくと、「米国の支配」云々、ということを言い立てているところは、地方紙など、反社会活動に(くみ)するような、変なところが多いようだ。

 何であれ政府や役所のすることは全部間違いだ、などということを言うのが好きな人が多いかのように感じられるよう仕向けて行く、というのは困ったものだ。

「余っている」

 企業の経営は苦しいらしく、リストラもよく行われる。本当に企業が苦しいのか、お金を多く儲けようという商売の自然な道理に従っているだけなのかは私にはよくわからないが、こんな記事があった。

 この中に、

(引用)

余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。

 というくだりがある。

 これにびっくりする人もいる。

 まあ、「余った従業員」という言葉に、労働者の悲哀を(かえりみ)ることもない巨大利権構造と政府及び社会の冷酷無情を見て取るか、最近の新聞記者の語彙(ごい)(すさ)み方を見て取るか、それはまあ、人それぞれだと思う。

 私はどちらかと言うと、記事が乱暴な態度で無造作に書かれているだけではないかと思う。つまり、新聞記者の語彙が低劣化しているのだと見る。

 種類の違う話だが、(かしこ)し、()ぐる年、上皇后陛下が「『生前退位』なる新聞やテレビの言葉に痛みを覚えた」と漏らしあそばされたことがあった。

 余談だが、なんと(いきどお)ろしいことに、大新聞・大テレビは上皇后陛下のこのお言葉をすべて無視したのである。新聞・テレビなど、悪しき呪術にも似て、怨念や不安を増大させ、世の中を混乱と恐怖に(おとしい)れようとしているとしか思えない。いっそ天罰でも下るがよいわ。……と言って、私のブログの時事エントリなど、大新聞や大テレビの記事やニュースがなくては表すことができないのだが(苦笑)。

 さておき、その時と同じような痛みを共感すると同時に、私は「余った従業員」という言葉しか書けない新聞記者を哀れに思う。

 その新聞記者が悪いのではないのだ。教科書や国語のテストに出てきた言葉しか、彼らは知らないのだ。新聞記者と言うのは学歴が高く、子供時代は勉強に明け暮れているから、余裕のある時を過ごして読書したり人と話したりする機会を持てなかったのだ。しかもなお、光輝ある新聞記者の地位を得てみたら思いの(ほか)、取材に追いまくられ執筆に追いまくられ社内の雑用に追いまくられ、のんべんだらりと文章を推敲している暇などあるわけもなかろう。自分の貧弱な言葉をひねり出して日々の仕事をこなしていくしかない。生来言葉にいたわりや悲しみ、温かみなど盛り込むことに縁のない怜悧な人物たちだ。だから、人をいたわる言葉が書けず、「余った従業員」だの、場合もあろうに「生前退位」などと記して、しかもその言葉の何が悪いのかもわからないのだ。

パジェロ販売終了

 ほほ~……。

 パジェロは官公署、例えば自衛隊などでも採用されているので、何かと波乱がありそうだ。

 私も若い頃、パジェロが欲しかったが、それよりやっぱり小粒でイカしたスズキ・ジムニーのほうが好きで、長いことジムニーの幌車に乗っていた。結婚を機に四駆への興味が薄れ、パジェロもどうでもよくなったが、販売終了となるとまた懐古の情がそこはかとなく胸に生じる。

まあ、普通かなあ

 時代に照らして、まあ、そうでしょうねえ……。

 ただ、まあ、「職場のことをネットに流すなッ!」というのは、若い人には、折に触れ教育しておかなくてはいけない。警察官が取り調べ中の事件のことをツイッターに書いたり、銀行員が有名人の貯金残高をFacebookに書いたり、メーカーの人が開発中の新商品のことをYouTubeで流したり、そんなこと、法律や社規以前に、常識で判断したってダメですからね。

 一方、「今日、叱られて落ち込んだ」とだけ、ポツリとTwitterに書いたとして、それは、今時、責められぬ気はする。暑苦しい人間関係を避けることが望まれる昨今、その受け皿はSNSだったりするんだろうし。

ものの作り方も国際的になっていて

 産業振興などにつながるならそれも(むべ)なるかな、と感じなくもない。

 昔、三菱重工が「F1戦闘機」を開発した頃は「日本、『ゼロ』から『1』へ」などと海外メディアに書かれたものだそうだ。

 なんとなく連想するのは、ヨーロッパなどは第1次大戦や第2次大戦で、ドロドロの国際関係を持っていて、むしろその昔の第1次大戦の時代の方が、自国以外の兵器、ともすれば敵国の兵器で戦っていたりするのだ。

 ドイツ製の火砲をフランスが重宝していたりしたと聞いたことがある。いつぞや読んだ本によると、第2次大戦中のスイスなんか、中立国だが、ドイツのメッサーシュミットを買って領空侵犯機を叩き落としている。

 余談だが、中立国であるスイスの上空をアメリカの戦闘機が領空侵犯したため、スイスはこれを撃墜した。戦時下だから、アメリカ・イギリスだろうとドイツだろうと、どの国に対してもそうしたのである。ところがこれに激昂したアメリカは報復の挙に出た。国もあろうにスイスにB29を差し向け、都市無差別爆撃を敢行したのだ。この爆撃で、スイスの一般市民にはおびただしい死者が出た。あまり知られていないがこれは史実で、アメリカ側にとっては思い出したくもない汚点となり、スイスとのしこりともなって今も残っている。

 話がそれたが、仮に国産で戦闘機を作ったとして、部品の多くはやっぱり米国製で、サプライ・チェーン上、もはや国産がどうとか論ずること自体が無意味なのではないだろうか。

へえ、「みさき公園」がねえ……。

 私の生まれ育ちは大阪の堺市だ。その近くの岬町に昔からある「みさき公園」が閉園するのだという。

 私なども子供の頃、何度か行ったものだったが。しかし、うんと小さい頃だったものだから記憶は遠い。確か伯母も一緒だった。陽光の中、青い芝生の中で遊び疲れ、土管のような大きな遊具に入って楽しんだような気がする。追憶、と書けば的確だ。その伯母も先頃亡くなった。……まあ、私にとっては懐古の情(ノスタルジー)の場所ではある。

 まあ、そりゃあ、当時と違って今は子供も減っているし、どうしたって子供相手の場所であることを否定できない遊園地が赤字になるのは、これはもうしょうがないわなあ……。大人、就中(なかんづく)、子供の減少とは逆に増え続けている、退職老人などが日参するような場所にでもなれば別なんだが。

だいぶ前の記事だけど

 ……(こわ)ッ!

 不動産屋(ぢめんし)怖いッ。……私は土地なんか持ってなくて、良かったと思う。私の親も地面の財産なんかないし、貧乏人で本当に良かった。

け、経団連?……て……。

 私は会社の経営のことなどサッパリわからないが、Facebookみたいな、なんとなく「若者の企業」みたいな感じのするところが、口に出して言うとおっさん集団の代表みたいな響きの感じられる「経団連」なんてところへ、入るもんなんだなあ。

 他にも、GoogleもAppleもAmazonも、み~んな入ってる、などと書いてあって、へぇ~……、と思う。

いやこれ、いくらなんでも

 う~ん、どうなんだろ。

 「言葉に痛みを覚える」ということには私は共感する。人間に対して「その他」とは、雑な書き方だなァ、とも思う。

 が、しかし、「その他」以外、どうにも書きようがないだろ、こんなの(苦笑)。

 「男 女 性的マイノリティ」なんて書いた方がよっぽど無残な書き方になっちゃうし。

イソ子

 あ~、この映画、やっぱりイソ子関連なんだ。

 でも、イソ子も悪いと思うよ。官房長官にハラスメントみたいなことするからだよ。

大泥棒がやくざの嫁ってのは、逆に普通な感じすらするな

 なんか、生まれる場所や状況が違ってたら、すごい才能を発揮したのかもしれんな。職人とか、名人とか。

opensource.google.com

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 Googleって、Appleなどに比べると相当オープンなんだけど、思ったほどオープンでもないので、オープンソースに関わっていることをこうして発表すると、意外に珍しいことをしているような気がする。

 サイトは美麗で、楽しい。こんな感じ

iPhone SE

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 長女が高校に入学したとき、褒美にスマート・フォンを買い与えた。ガチガチにキャリアの純正回線で、結構高くついてきていた。

 長女はこのスマホを使いに使い倒したので、傷んでボロボロになってしまった。USBのコネクタなどもう「スカスカ」で、もはやPCに接続ができないどころか充電さえする(あた)わざる状況である。長女は充電ドックを使ってなんとかしのいでいる。

 そんな折、長女は先日19歳の誕生日を迎えた。「お父さん誕生プレゼントにスマホ新しくしてよ~」と言う。美大に通っているので、パソコンなども「Appleでないと話にならない」ほどの事らしく、学校のパソコンもほぼApple一色だそうな。

 そのせいで、「iPhone買って~」と言うのだった。

 うーん、高くつくなあ。

 機種変更だと、どうしたってキャリアのiPhoneを買わなければならず、ずいぶん高い。

 そこで、意を決し、長女の携帯電話は

  1.  本体はAppleストアでSIMフリーのiPhoneを直接買う。
  2.  キャリア(NTTドコモ)の回線は解約。
  3.  長女の回線はMVNOに変えてしまう。MNPで電話番号を移行。

 ……という、最近はやりの3点セットで買い替えることにした。

 MVNOはマツコデラックスの宣伝でおなじみ、「OCN モバイル ONE」を選ぶ。実は既に次女のスマホはそうしており、スピードや品質、商品の継続性もいいと思うからだ。

 iPhone SEを選び、Appleストアで注文した。同時に、「OCN モバイル ONE」も注文。音声回線付きで月々1600円ほどであり、今までの高額なキャリア回線が馬鹿々々しくなってしまう。

 これまでのように「壊れてしまいました」というようなときに、とりあえず近所のドコモショップへ持っていけば何とかなる、というふうにはいかなくなったが、しかし、そんなの、iPhoneであればAppleストアに送るなり持ち込むなりすればどうにかなる理屈だ。

 プッシュのキャリアメールが使えなくなるのはどうも不便なような気もするが、長女はLINEユーザで、特にそれで不便もないようだから、それでよし、となる。大学関係で使っているメールもGmailを主に使っており、まったく問題がない。

 私も同じようにMVNOに乗り換えて安くしたいが、それをやってしまうと、職場の連絡にLINEとかFBを使うことになってしまう。さすがにそういうわけにはいきかねる。キャリアのメールでないと具合が悪いのだ。それで、私は長女と同じようにはできない。

img_4862 そういう風にして昨日注文したiPhone SEだが、もう今日届くという素早さだ。誕生日プレゼントにするにはどうにも味もそっけもない段ボール箱で届いたので、何か適当な包み紙は、と探すが、ない。ふと棚を見ると、昨年仕事でアメリカへ行った時の古新聞があったから、それで包んでやる。そしたら、表面に来たのが偶然iPhoneの新製品発売を報じるApple関係の記事で、ちょうどよい。

平日フラフラ

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 今日もほっつき歩く。

長女のMacBookのケース

 昨日、レイクタウンのK’sデンキかノジマあたりで長女のMacBookのスポンジカバーを(もと)めようとしたのだが、うっかり寸法を控えておくのを忘れていたので買わなかった。

 商品の説明に「この商品はAppleのMacBook Pro 15インチ、xxx社のxxx、……に適合します」などと表示されていそうなものだが、存外、表示されていないのである。

 まあ、買い物は遅ければ遅いほど良いというのは、政策が変わったとはいえデフレ世相の常識ではある。待てば待つほど同じものが安くなるのだ。だからフラフラヘロヘロと迷っていてよいが、とはいうものの、使う時節を逃しては意味がない。

 秋葉原は定期で行けるので、ふらりと出かける。

 ヨドバシでエレコムのスポンジカバーを選ぶ。1000円ちょい。


 鞄みたいになったやつも良いが、鞄は好きなものを選び、保護のためにインナーだけ買っておく方が好きなようにできてよい。

籔蕎麦

 せっかく来たのだから神田・連雀町へは寄りますよ、勿論。籔蕎麦。

DSC_0190蕎麦味噌で一杯

DSC_0191焼き海苔で一杯

電気スタンドなどのタイマー

 北へ引き返して、だらだら歩く。秋葉原もこのあたりまで歩くとかなりそれらしく濃度が高くなって来る。

 「あきばお~」あたりを覗いて回る。電気製品のオン・オフをするタイマー、デジタル式のやつで、1週間プログラムできるものが1400円ほど。


 Amazonで同じものを探すと、安いものでも1800円ほどはする。しかも、いろんなところへ同じものをOEMしているらしく、キングジムなどでも同じものを扱っているようだ。

 夜は本を読んで寝るのが習慣なのだが、電気スタンドが自然に消えるよう、1時間タイマーをかけている。今使っているのは機械式のやつなのだが、どうも調子が悪くなってきて、消えなかったり音ばかりジリジリと大きかったりするようになった。いっそのことRaspberry PiとSSRを組み合わせて、ウェブタイマーを作り、スマホで制御してやろうかい、などと思っていたのだが、そんな簡単なことに使うとラズパイがちょっと勿体ない。そこへこの値段なら、これは買いでしょう。

ノギスとバーニヤ

 あと、千石電商を覗く。今日はパーツではなく、表のコンテナに雑然と投げ込まれている1000円のノギスを買う。前に持っていたノギスが壊れてしまい、長いこと定規でものの寸法を測っていたのである。

 ノギスなど買うたび、この「副尺」、いわゆる「バーニヤ」というのを考えた人は偉いなあ、どうやって考えたんだろう、と思っていたのだが、検索してみると、フランス人数学者、ピエール・バーニヤ氏(フランス流の読みで『ヴァルニエ』氏)が考案したからバーニヤと呼ばれているのだそうな。微調整を精密に行う意味でロケットの精密スラスタ・コントローラなどのことも「バーニヤ」と言うらしい。

 こういうアナログのものは最近廃れつつあり、ノギスもデジタルメータの付いたものが主流になってきつつある。

 私は若い頃、仕事で特殊な分度器や計算尺をよく使ったのだが、今はこうしたことは廃れた。その廃れたテクニックの中に、「一定の幅の目盛りを、例えば9等分、あるいは11等分などに『n等分』する」というのがある。

 このこと、エントリを改めて書き留めておきたい。このテクニックが消えてしまう前に、後世に残したいのである。

Apple製品を買うのは初めてだ

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 美大に進学した長女にMacBookを買ってやる約束だったが、今日まで忙しく、なかなか果たせていなかった。

 ちょうど今日は長女も暇で、私も休みになった。久しぶりに父娘肩を並べ、近所のPC-DepotのAppleブースと、秋葉原ヨドバシ1FのAppleフロアへ行って品定めしてきた。

 やはり絵画やデザインをやるのには、少々スペックを奢らなければならないようだ。「MacBook Pro 15インチ Retinaディスプレイ・モデル」のうち、Intel Core i7 2.2GHz クアッドコアのモデルを購入することにした。

 時代は「オムニチャネル」ということらしいが、なんというか、「コッチから手動オムニチャネル」というかマニュアルO2O(オー・ツー・オー)というか(笑)、店からさっさと帰宅して、Amazonにyodobashi.com、価格.com、もう、eコマースサイト総当たりである。

 やはり、価格.comの最安店にまさる店はない。アップル本サイトより2割くらいは安い。……というわけで、21万1千101円(税込)でポチ。

 それにしても、今までApple製品に縁がなかったのは、実は「嫌い」だったからである。開いているように見せかけて、実は閉じ切った商売っぷりや、作ったスノビズムっぽさなどが嫌いだったのだ。また、劇的な病死のこともあって尊敬されているジョブズ氏も実は嫌いで、ウォズニアック氏の真直さに比べたら、伝え聞くジョブズの若い頃の暴君ぶり、没義道(もぎどう)っぷりなんて、もう、辟易するほどのものだ。

 だが、長女のためとならば親馬鹿にもなるというものである。

 さて届くのは来週。なんだか楽しみだぞ。若い頃、Apple II c/eやMacintoshなんてものは、高価で手が出なかったんだもんなあ。長女のものとは言え、iPhone含めApple製品が我が家の敷居をまたぐのは全く初めてのことである。

MacBook

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 今春から某美大に通うことになった長女は、進学祝いにパソコンを買ってくれと言う。

 よしきた、お父さんの目利きで腕に()りをかけてエエのん選んだる、任さんかいな……と腕まくりを仕掛けた私だが、長女は「お父さん、Wintelはダメよ。アートはAppleでなくちゃダメなんだから。MacBook買ってよね」とクギを刺す。

 な、なにィ!!

 ……たしかに、芸術系の用途には、古来パソコンはMacと決まったものだが、し、しかし……。

 Macは高い、ということの他に、問題がもう一つある。

 IT系国家試験の最難関と言われる「ITストラテジスト」資格を保有する私だが、恥ずかしいことに今までApple製品にだけは、iPhoneも含め、指一本、毛一筋も触ったことがないのだ。値段も製品ラインアップも知らない。もちろん、操作法も知らないし、セットアップの仕方なんか知るはずもない。使い方のコツなんか聞かれても、何も答えられない。どんなアプリケーションがあるのかも知らぬ。

 ぬぅ、参った。

 長女には「大学の学友に、Macのどれがいいか聞け」と言うしかないのであった。

iPhone + Android 想像不能

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 パーソナル・コンピューティングの新たな地平はAppleがApple IIやMacintoshで開き、その新地平に廉価なAT互換機が繁茂した、と私は思っている。

 スマートフォンでも同じことが起こり、iPhoneが切り開いた地平に、廉価なAndroidが繁茂するだろう、と私は思ったのだが、通勤電車内でスマートフォンを覗き込んでいる人々の手にあるものは、だいたいiPhone5で落ち着いているように見える。

 ここから先、どうなるか、まったく想像不能だ。