意味不明広告

投稿日:

 何言ってンだか、さっぱりわかんねェ。ちょっと見ではもっともらしいんだが、意味不明。

 「映画では素敵、驚くべきカメオを見ることが嫌い方はいないでしょうか?私達を嬉しさのためはっと息が止まる過去の映画にいる素晴らしい有名なカメオのランキングはこちら!」

……て、何を言いたいんじゃ(笑)

先週頃最近時事

投稿日:
儲かんねぇって、あんなの。
気の毒、祈冥福
よう逃げよるなあ

 むしろ凄いわ。しかし、最後は捕まるんだから、さっさと出てきたほうが楽だぞ。刑務所は三度三度メシも食えるしな。……収容者間のいじめなんかは辛いかも知れんが。

そりゃ、そうだろうよ

 政治家は忙しいので、論理的に辻褄の通った質問や答弁を精緻に書き上げている暇がない、だから官吏に頼むより他にない、というのはもちろんそれはそうなのだが、もう一つあって、政治家なんてものは所詮人気商売のタレント、芸能人、芸者みたいなものなので、難しい思考ができない、というのも、実は、ある。要するに馬鹿なんですな。

奇怪な事件てのはこういうのなんだろうなあ
ブロックチェーンはまだまだと違うか

 ……10年ぐらい後だったらあるいは、とも思わなくもないが。

貧しいベトナム人がむしろ気の毒

Facebookタイムラインの「OGPイメージ」の採り方がちょっと変わったようだ

投稿日:

 Facebookは月々日々夜々仕様が変わる。最近何となく気づいていたのは、ブログに画像を置いて、その記事へのURLをシェアした時の「OGP(Open Graph protocol)画像」の扱いが変わったことだ。いつの間にか、ブログの画像が採用されなくなった。

 大した話ではないので「まあいいや」で放っておいたのだが、今度は「FBページ」のほうの画像の扱いが少し変わったように思う。たくさん画像を貼ったブログ記事へのURLをポストすると、「どの画像をどの順番で出すか」ということを選択させるインターフェイスが表示され、画像の順序、表示の有無等を選べるようになった。右がそれを使ってポストした記事だ。

 ブログのエントリは、Jetpackを使ってFacebookとTwitterにクロスポストしている。Facebookのクロスポスト先はFacebookページに向けることも可能だが、ページは誰も見ちゃいない(笑)ので、タイムラインに向けている。

 これまで「人に見せたい写真」などをブログ側で一元管理できていたわけだが、タイムラインに写真が載らないとなるとこれが期待できないので、うーん、どうしたものかな、と思案が()るところだ。

 今確かめてみると、Jetpackによる自動クロスポストを使わず、手動でFacebookのタイムラインにブログ記事のURLを貼ると、ブログ内画像を選ぶインターフェイスが表示されることが判った。しかし、いちいち手動で記事の共有など、面倒臭くてやってられない。

 Instagramも楽しんでいるが、TwitterのタイムラインにはInstagramからのクロスポストでは写真が載らなくなった。これはつまらない。ところが、ブログからのクロスポストだと、Twitterには載る。

 この辺のところ、引き続き観測が必要だ。

特に(こだわ)りもないが

投稿日:

 平成18年頃からブログに読書記録を付けていた。使っていたブログサービス(OCNの『ブログ人』)が提供していたリスト化機能を使ったものだった。いつだったか、その機能のサービスが終了してしまうことになった。末端の一ユーザからは是非など言うべくもない。

 そのため、折角つけた記録が無くなってしまうことになってしまった。記録は100や200くらいはあったので、それが惜しく、「ブクログ」という今もあるサービスへデータを移し替えた。

 「ブクログ」を使ううち、ある時、「ブクレコ」というサービスの方が面白そうだな、と思った。友達がそっちを使い始めたから、ということもあった。それでブクレコへ移行した。データをインポートする機能がなかったので、手でゴリゴリと入力して移行した。

 ところが、先日、この「ブクレコ」はサービスを終了してしまった。慌ててデータを退避することになったが、以前と違ってデータも増えており、手作業にはちょっとつらいという量になっていた。なのにブクレコには読書データのエクスポート機能がない。やむなく、「wget」を使用してweb的に全部のページをダウンロードし、それをawkやperlなどを使って整形してデータ化した。

 データ化した読書記録はGoogle スプレッドシートに流し込んで保存した。

 消滅してしまった「ブクレコ」は、AmazonのASINにも対応していて、kindleの読書も管理できた反面、読書開始日や読書終了日を管理する機能が弱かった。そのため、上のようないきさつの際、日にちに関するデータが全部消滅してしまった。何を読んだかは記録が残っているが、いつ読んだかがわからなくなってしまったのは誠に残念なことであった。

 そんな今日この頃だったのだが、先ほどFacebookを見ていたら、突然、「4年前」と題してこのような記事が出てきた。坂口安吾の恋愛論の読書についてだ。

 そこで読書記録を見ると、この「恋愛論」から数えて、215冊の本を読んでいることがわかった。今日までちょうど4年だから、最近は年に50冊ほど読んでいるということになる。

 そこから分かる通り、私は決して多読家ではない。読書量は年によって多寡があり、この10年では100冊読む年があれば多い方である。しかも、100冊読むような年は、そのうち1割、10冊ぐらいが漫画である。また、kindleなどで「短編で1冊」のものを1冊とカウントしている場合もある。

 独身の頃は本代に糸目はつけなかったから、年に200冊とか、多い時で300冊ほど読んだこともあった。コクヨの事務本棚4本が一杯になっていたから、累年で数千冊は溜まっていたと思う。しかし、子供が生まれた頃、これらの本を全部捨ててしまった。今だったら「自炊」して取っておくところだと思うが――実際、数年前にも溜まりすぎた本を2000冊ほど全部デジタル化して、相当スッキリした――、20年前の当時は、そんなことなど思いもよらぬことであった。今でもその頃捨ててしまった本が惜しい。

 さておき、私は読書について、特に(こだわ)りと言うものがない。強いて言えば、自分が「読みたいなあ」と思う本を適当に読むことにしている。人に本を借りることや、人に薦められた本を読むことはあまりない。なんだか「読まなくちゃ」というような義務めいたものを覚えて面倒臭くなるからだ。

 流行している最新の本も、似たような理由で、結果としてあまり読まない。これは「読まないようにしている」というのではなく、単に読む気がしないだけだ。本屋の棚で見かけても、なんだか読むのが嫌なのである。同じ理由で、ビジネス本、啓発本の類も、結果として読んでいない。避けているのではなく、自分が読みたい本を自然な気持ちで選んでいると、そういう傾向になっていく、というだけのことだ。

 漫画は、面白そうだなあ、と思うと読む。娘二人が見つけてきた漫画などは、本当に面白いと思う。

 技術分野の本は沢山読むが、これは仕事なので、読書にはカウントしていない。いつ読んだかなんてことを記録しても、IT技術は進歩が速く、昔のことは覚えているだけ無駄になってしまう。読み方も「即実践」みたいな、「目を通す」というような読み方なので、あまり印象にも残らない。

 そんな読書傾向だから、多分、人に評されると「佐藤さんは変な本ばかり読むよね」と言われるようなことにもなる。

 ある時、参加している日本ITストラテジスト協会で、「ビブリオバトル」という書評レクリエーションに参加したことがあるが、その時は「日本書紀」の書評をした。熱弁をふるったが、ビブリオバトルは説明の良し()しではなく、紹介した本を読みたくなったかどうかで勝敗を判定するので、無論「日本書紀」を読みたくなるような人など多くいるわけはなく、負けたに決まっている。

FBに広告出したら面白い

投稿日:

 ほほ~……

 そりゃまあ、どこの馬の骨とも知れぬ、アクセスしてよいことが何かあるとも思えない初老のオッサンのブログだ。そんなものに魅力などあるはずもないが、この広告の分析結果は面白い。300円、払い応えがある。

 広告と言うのは、なかなか難しいものであるな。

 というか、80円消費時点では、特に誰もアクセスなんかしないということがわかった。なるほどなあ。電通や博報堂などのブラック企業が従業員を死ぬまで働かせる理由もよくわかるというものだ。

レインボーマン

投稿日:

 先月21日、なぜか漫画家の江川達也氏が「レインボーマンのまとめ」をFacebookでシェアしていた。

 放映当時小さかったこともあり、「♪インドの山奥でェ~」という主題歌や、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とか「おんたたぎゃとどはんばやそわか」といった真言(マントラ)についてはよく覚えていても、肝心の筋書き(ストーリー)はよく覚えていなかったので、どんな話だったかと動画を探して全部見た。

 動画など見ておれるのはせいぜい日曜日の夕方ぐらいに限られる。そんなわけで、全部見るのに3週以上かかった。

 Youtubeには全然なくて、Pandra.tvと言うところには韓国人らしい人物がアップロードしたものが52話揃っていた。

 今から考えたら色々雑だな、とは思うが、何でもかんでもアメリカかぶれ、スポーツかぶれした今の子供向け番組とは、根本的に作りが違うなあ、と思う。なにやら痛ましい愛おしさを覚えるのだ。

Jetpackが5.1にup

投稿日:

 このブログでもFacebookやTwitterへのクロスポストなどに愛用しているプラグイン「Jetpack」、目覚ましいスピードでバージョンアップが続けられ、5.1にアップデートされた。セキュリティスキャンやバックアップなどの機能に改善があったようだ。

WordPress + Jetpack と、Facebookの連携の調子が悪い

投稿日:

 標記。

 なんだか、朝から2~3件のクロスポストの調子が悪い。なんだろう。

Facebookのボタン、1種類に戻らないかな

投稿日:

 一昨年からFacebookには「いいね」「超いいね!」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」の6種類の気持ちをワン・クリックで表明可能なボタンが設けられた。

 その前は長い間「いいね(Like!)」のみであった。それが、ユーザの要望によって6種類に増やされたのである。私も最初はこれを歓迎した。

 だがしかし、これでは足りない。中途半端な拡張だと言わざるを得ない。

 Facebookでは意外に病気や怪我の報告をする人が多いが、これには「お大事に」という気持ちを送信したい。だが、アメリカ人には「お大事に」という心は理解不能らしい。

 また、訃報を表明する人もある。これに対して「悲しいね」の一択というのも、いかにもアメリカ人らしい。「ご愁傷さまでした」という気持ちと「悲しい」という気持ちは違う。また、満中陰の忌明けの人に贈るべき気持ちは「悲しいね」ということのみではない。

 災害などの困難をようやく切り抜けた人へ「大変でしたね」と見舞いの心を贈るのも、日本人にしかわからないらしい。こういう人に「すごいね」はないし、ようやく生活を再建しはじめた、という局面に「悲しいね」もない。だが、アメリカ人は「すごいね」で済むのだ。It’s Great、というところだろう。

 「ひどいね」などというボタンも、いかにもアメリカ人らしい。このボタンでは瞋恚(しんに)の気持ち以外、何も表明できない。日本人は、最近はそういう人も増えているとはいえ、瞋恚や憤怒のみを単純に噴出させにくい国民性を持つ。

 どだい、コミュニケーションに必要な「気持ちの表明」を世界通用標準に類型化しようなんてことは、ムリなのである。アメリカ人には「悲しい」という気持ちはあっても「ご愁傷さま」なんていう気持ちは、理解不能なのだ。逆に、戦地から帰った軍人に凱旋おめでとう、何人殺した!?……などと問いかけて祝い、「超いいね!」ボタンをクリックする気持ちなど、我々日本人には到底理解不能で、悪魔民族としか思えまい。

 だから、FBのボタンは一つに戻したらいい。そして、そのボタンはもとの「いいね Like」ではなくて、「心が動いた」という選択だけにしたらいい。他の「超いいね」とか「うけるね」なんて、不要だ。

Facdbookアプリ、やっぱりダメ

投稿日:

 先日アップデートされたAndroid版のFacebookアプリ、OSごと落ちる現象が改善されたかな、と思ったが、やっぱりダメである。

 現象が9割がた再現できるかな、というパターンは、携帯電話を起動した後、最初に立ち上げたアプリがFacebookだと、間違いなく落ちる、というところである。