Google Mapのコンパスが変になったのを直す その3

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 以前に書いた「Google Mapのコンパスが変になったのを直す」という記事が、なんだかわからないが非常によく見られる。

 多分、ニーズが非常に多いのだろう。実際、Google MAPのコンパスは、どうもよく狂うようだ。

 それで、「8の字キャリブレーション」の動画を撮って、Youtubeに放流しておくことにした。こういうものでも役に立つという方もいるに違いない。

Google Mapのコンパスが変になったのを直す その2

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 少し前、このブログで「Google Mapのコンパスが変になったのを直す」という記事を書いた。

 あまり気にもせず放置していた記事なのだが、ふとアクセスログを見ていたら、この記事がピカイチのアクセストップになっている。

 世の中、よっぽどGoogle Mapのコンパスが変になって困っている人が多いものと見える。そこで、前の記事に書かなかったことを少し補足しておきたい。

 Google Mapのコンパスは、ムチャクチャに狂うのが普通であるようだ。騒ごうが(わめ)こうがしかたがない。巨大企業Googleの反応速度など、推して知るべしである。

 で、これが、Google Mapのアプリが悪いのか、携帯電話のコンパスが壊れているのかの見分け方がある。

 なんでもいいので、「コンパスアプリ」をインストールする。Google Playで「コンパス」などとして検索すれば、いくらでも見つかるだろう。

 方位のわかる場所へ行って、このアプリを起動する。

 コンパスアプリの指す方位が正しく、Google Mapの方位が間違っていれば、携帯電話のコンパスそのものは壊れてはおらず、Google Mapの設定が狂っているということになる。

 大抵はGoogle Mapの設定が狂っているので、Google Mapのデータを完全消去し、例の「8の字キャリブレーション」を最初からやり直せば、正常になるという理屈である。

 だが、直らないこともあるようだ。これは、推測するに、クラウドの「アッチ側」に、方位角の間違った補正データが蓄積されているのであろう。

 単なる想像に過ぎないが、多分、人が集まるような場所の磁気データをビッグデータ的に多く集めて処理し、強制的に補正しているのではないだろうか。

 そうだとすれば、利用者のためによかれとしてやっているのだろうとは思うし、技術的な努力には賛辞を惜しまないものの、しかし、いち利用者からしてみると、むしろ迷惑なことである。

読書

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 「菜の花の沖」第4巻。

 私は司馬遼太郎作品について批評ができるほど多くは読んでいない。「坂の上の雲」と、それからこの「菜の花の沖」だけである。

 しかし、司馬遼太郎の歴史小説については「司馬史観」などと言われる批判があることは知っている。小説は読み物として楽しめなければならないから、司馬遼太郎の作品中でも、主人公たちに相対する立場の者は、どうしても批判的に描かれる。

 この「菜の花の沖」では、松前藩があまりにもケチョンケチョンに悪く書かれる。出版当時、旧松前藩関係者に悪く思われたのではないかと心配してしまう。

 さておき、この巻では、松前藩と幕府の間に大事(たいじ)出来(しゅったい)する。蝦夷地東半分を幕府が7年の有期で召し上げてしまうのだ。主人公嘉兵衛は、深間にはまった、とか、巻き込まれた、というのではなしに、(なか)ばは運命に乗り、半ばは自ら、蝦夷地経営のための幕府の御用を言いつかるようになっていく。国後(くなしり)択捉(えとろふ)両島間の難所、「国後(くなしり)水道」を渡る航路を見つけ、択捉島を大いに振興していく。幕府定御雇(じょうおやとい)船頭として船団を構築し、帯刀まで許される。

 物語の起承転結は、大きな「転」に向かって、「承」が極大まで盛り上がっていく感じだろうか。主人公嘉兵衛のサクセス・ストーリーを追っていく読書は、快い。

 こうしたことの他、かつての北辺の領土政策に関する作者の考察などが相当詳細に述べられていく。

 ところで、こんな部分があった。

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、221ページ~222ページから引用

「おなじ陸でも、蝦夷地はいい」

 仕事をしているだけで済むからだ、と(嘉兵衛は)いった。そこへゆくと、兵庫は利害と看板のからんだ人間関係の密林のようなものであった。

()内筆者

 ひょっとすると、清教徒が逃げ込んだアメリカも、これと同じことだったのではないかと思う。イギリスの濃密な古さに辟易したのではなかったろうか。

読書に使う地図について

 (ちな)みに、地図を見ながらこの本を読む際には、Google Mapよりも「電子国土」のほうが絶対に良い。Google Mapは一方的でふざけた政治的忖度の押し付け、特に我が国領土を狭めよう狭めようとする外国勢力の主張ばかりを採用する傾向にあるため、北海道東北方近海、とりわけ所謂(いわゆる)北方領土の地名がゴッソリ抜け落ちている。そのため、この作品中の記述を確かめるためにGoogle Mapを見ても、どこの事を言っているのだかさっぱりわからない。しかし、電子国土で見ると、さすがに我が国政府によって整備されているから、そこらへんはしっかりしている。

 上に見るとおり、情報量の優劣は一目瞭然である。

言葉
故実読み

 途中、小説の本題から離れ、延々と作者により当時の外交・領土関係に対する考察が述べられるところがある。その中に、幕末維新の志士、榎本武揚(たけあき)が出てくる。

 その風貌について

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、157ページより引用

 明治七年の露都ペテルブルグにおける榎本武揚の外交の成果は、ほぼ過不足のないものであった。

 旧幕の旗本が、薩長出身の官員にくらべ、容儀が堂々として対外劣等感をもたなかった。かつて榎本和泉守を称したこの男もそうであり、容貌・風采についても、書生あがりの薩長人よりもすぐれていた。このあたりも、黒田清隆の見こんだところであったろう。

……と書かれた箇所があった。

 それで、ハテ、榎本武揚って、どんな顔だっけ、確か顔写真は有名なものが残っていたよな、どれどれ、とGoogleで検索してみると、Wikipediaの記事が出てくる。

 顔写真は「ああ、そうそう、こんな顔、こんな顔」で、それで済んでしまったが、記事の中にこんな記述(くだり)があった。

 榎本武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日(天保7年8月25日) – 1908年(明治41年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた[3][4]。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。

(上文中下線太字筆者)

 関心を持ったのは内容ではなく、「故実読み」という言葉だ。「あ、こういう読み方のこと、『故実読み』って言うんだ」と知った次第である。

 確かに、年配者などに「野口英世」のことを「野口エイセイ」とか「エイセイ野口ヒデヨ」などというふうに言う人があり、こういう読み方のことを何と言うのだろう、と思っていたのである。

 検索すると「『故実読み』は『有職(ゆうそく)読み』ともいう」(など)とある。

 また、「人名を音読みにしさえすれば、なんでもかんでも有職読みと言うとは限らない」というようなことも書いてある。

Google Mapのコンパスが変になったのを直す

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 外出時によくGoogle Mapを使う。知らない街を歩くときなど、ナビも乗り換えも非常に便利だ。古いAndroid携帯(SO-04E “Experia A”)を使っているのだが、特に不満もなく、重宝している。

 ところが、少し前からコンパスが “Google Mapのコンパスが変になったのを直す” の続きを読む

読書

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 吉村昭の名作「漂流」を読み終わる。

 「漂流」は、土佐の水主長平が難船し、小笠原のはずれ、鳥島に漂着して十有余年の苦闘の末、故郷の土佐に帰りつくまでを小説にしたものだ。当時の記録を丹念に取材したノンフィクションである。

 Google Mapを見ながら読むと、その苦闘がよくわかる。

 右の画像はGoogle Earthのキャプチャだ。長平が漂着した鳥島である。

 右手前のくぼみこそ、長平が十年以上住むことになった北側の浜である。現在の地名に「船見岬」と標記があり、さぞや……と思う。

 今Google Mapで計ると、長平の脱出経路の鳥島から青ヶ島までは200km(108海里)ほどもあり、並大抵のことではない。

東京蕎麦名店マップ

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 蕎麦道楽が昂じて、東京の名店をマップにまとめてみた。

 この中で行ってないのは、巴町・砂場と、麻布・布屋太兵衛の2店だ。

エンリコ・フミア

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 毎日毎日、糞面白くもなく東武伊勢崎線改メ「東武スカイツリーライン」と日比谷線を乗り継いで通勤している。

 そんな日々のなかにも、時々、「クッ……」と笑いをかみ殺したくなる光景というものが、実はなくはない。

 西向きの窓に向かって立っていると、五反野のあたりに

イタリアの鬼才 エンリコ・フミアのデザインアパート アヴェントハウス

……と書かれた大看板があって、五反野という場所とか地名とか、「イタリアの鬼才」とか、なんだかモノスゴイということはヒシヒシと伝わってくるがところでエンリコ・フミアて、誰?とか、モノスゴイ感とはうらはらなこの品のない看板は何、とか、「鬼才」ってコトバ、今でも使う人いるんだなあ、いや、俺は使うけどさ、とか、いろいろとツッコミどころが多い。

 ググッてみると、何か、イタリアの偉いデザイナーであることには間違いないらしいが、しかし、この大看板はないよなあ、などと思うのだった。

 これなど、前述の「クッ……」の範疇である。

 いつも漫然と通り過ぎるばかりで、正確な場所がわからないでいたのだが、今日、各種情報をもとにGoogle Mapを駆使して調べてみたら、どうやらこのアパートであることがだいたいわかった。

魂なき科学と長崎原爆忌

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 8月は広島原爆忌、長崎原爆忌、敗戦忌と続く。

 今日は長崎原爆忌だ。幾万の犠牲者のたまき()魂魄(こんぱく)を思い、悲しむ。

 長崎に投下された原爆は、「Mark 3 “Fat man(デブ)“」という名前であったことが知られる。

 実は20年ほど前までは、この「Fat man」が広島に、長崎にはもう一方の「Little boy(チビ)」が投下されたと信じられてきた。ところが情報公開が進み、逆であったことがわかったのである。

 長崎に投下された原爆の種類と、広島のそれとが逆に発表されてきたことには、実は腹立たしい理由がある。

 長崎に投下された「Fat man」は、広島に投下された「Little boy」より威力が大きかった。だが、長崎のほうが死者が少なかった。そうすると、これらを設計した科学者や技術者の計算ミスと言うことになり、多くの者が処分されてしまう。そこで、広島に投下されたものと長崎に投下されたものとを、長らく逆に発表してきたのだ。

 死者が多い少ないと言う恐ろしい報告は、豆とか麦を(ます)で計って目方が多い少ないなどと言う事とはわけが違う。額に汗して真面目に暮らしていた人々の、かけがえのない命が2万3万多いだとか少ないだとか言っているのだ。数十余万に及ぶ(おびただ)しい人々を虐殺しておいて、博士修士といった連中のたかが100人がところが「俺がクビになっちまう、来月の給料はぁ~?」などと言ってうるさいから、とりあえず逆に報告しておきましょうなどという、そういう話なのだ。

 この文章を読む方に言いたいが、指を折って2万とか3万とかいう数を数えたことがあるだろうか。ほとんどの人が、実際に指折り数えたことがある数字は、千くらいまでがせいぜいだと思う。自分が数えたこともないような数の人が死んでいるのだ。それを、科学者の地位の保全のために誤魔化(ごまか)したのである。

 使われたプルトニウムはハンフォード・サイトというところにある原子炉で作られたが、この近所には、今、億万長者ビル・ゲイツ氏の自宅がある。近所、と言っても200kmほど離れているが。

 「ファットマン」はプルトニウム爆縮型の核兵器だ。プルトニウムを爆薬で包み込み、爆薬に点火すると爆圧が急激に内向する。それによりプルトニウムが高速かつ極度に圧縮されて臨界を超え、核爆発が起こるのだ。原理的に丸い形状にならざるを得ないので、文字通り「Fat Man(デブ)」の形状となったのである。

 だが、単純に爆薬で覆えばいいと言うものではない。1か所に点火すると、爆発が点火場所から順次伝わっていくので、プルトニウムを全方向から均一に圧縮することができない。

 どうにかならないかというわけで、点火栓を周囲に沢山取り付けて爆発させてみた。ところが、これでは「あちこちから棒で同時に突ッつき回した」ようになってしまい、プルトニウムを均一に圧縮することはできなかった。

 そこで、かのフォン・ノイマンの登場となる。そう、「ノイマン型コンピュータ」の考案者、あのノイマンだ。天才的数学者であった彼は、爆轟速度の異なる2種類の火薬を二次曲面で精緻に組み合わせた「爆縮レンズ」を計算により編み出した。

 魂を持たぬ科学、愛を失った天才ほど恐ろしいものはない。この計画を強力に推進したアインシュタインでさえ、後年に至って

「私たちは、知性を神格化しないように、十分注意しなければなりません。知性は、言うまでもなく強力な筋肉をもってはいますが、人格をもってはおりません。〔……〕知性は、方法や道具に対しては、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値に関しては盲目です。」

「宗教なき科学はびっこ((出典ママ))であり、科学なき宗教はめくら((出典ママ))なのです」

(アルバート・アインシュタイン『晩年に思う』より)

 と言っている。

 かくてプルトニウムは全周囲から爆発的圧力で均等に圧縮可能となった。技術的には、科学的には、つまり人間の脳味噌のなしうる器用な働きの上からは、これは大成功だ。

 だがその大成功の産物は、あいつらの言う、人類が到達しえた至高の知性の産物は、無辜(むこ)・無防備の素朴な長崎市民の只中へ放り込まれ、恐るべき地獄の業火となって炸裂したのである。

 稀代の頭脳にして人類の至宝、フォン・ノイマンの手になる、精緻な科学的知性の帰結であるこのガジェットが(もたら)した凄惨な地獄絵図は、結果として人類文明史上最悪の汚点となり、かつまた欧米白人科学史上の恥となって永久に消えぬこととなった。

 戦争であろうと、科学であろうと、やっていいことといけないことの区別が、やはりあろう。それを思えば、長崎の虐殺は「やってはいけないこと」であったには違いない。

https://youtu.be/grFZiNaNVds?t=4m21s

「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる!そうしたことを計画、実行した人たちが今、被告たちを裁いているのだ!」(東京裁判弁護人・ベン・ブルース・ブレイクニー少佐の弁護より)

 東京裁判では、米側弁護人ですらこう言わざるを得なかったのだ。

 原爆が欧米白人科学史上の恥となった、と私が言う証拠に、ブレイクニーが畳みかけたこのくだりは、見てのとおり映像には残ったものの、映像の中にも触れられている通り、同時通訳が停止され、速記録からは抹殺された状態で出版されてしまった。

富士山からどこまで見えるかな

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 某時某所にて……

友達 「富士山から見たら、どこまで見えるかなあ」

私  「さあ?……結構遠くまで見えるんじゃねえの?」

友達 「太平洋の島とか見えるかな?」

……と、たわいない雑談である。

私  「さあ~?……どこまで見えるかは知らんが、苦労して登頂すれば、浄土とか天国とか、あるいは『希望』『幸福』といったような、形而上のブツがホノ見えるんじゃないか?」

 とまあ、これは雑談であるから、どこまで見えるなんて答えは実際なんだってよく、どうでもよいわけである。

 しかし、計算せよとなれば、これは簡単なようでいて、その実、掘り下げるといろいろあって深い。

 簡単に図示すると、こういうことだ。

地球・富士山・水平線b

 富士山から見たら水平線はどれくらい遠くにありますか、という図だ。雑談の「どこまで見えるか」、ということになると、見る対象物にも高さがあるのでこの図の通りではなくなってくるが、とりあえずこうしておこう。

 もうちょっと算数っぽく、幾何っぽく描くと、こういうふうになる。

地球・富士山・水平線2

 このように図示してしまえば、まことに単純きわまる。これは、学校で習う「ピタゴラスの定理」の問題だ。

ピタゴラスの定理c^2=a^2+b^2

 定理を問題にあてはめると、

地球・富士山・水平線2

(r+h)^2=Rn^2+r^2

Rn^2=(r+h)^2-r^2

Rn=\sqrt{(r+h)^2-r^2}

ここに

r: 地球半径
h: 富士山の高さ
Rn: 水平線までの距離

 と、いうわけであるから、実際の数字を調べ、関数電卓でポチポチッと計算すればよい。

 地球の半径、図中の「r」はだいたい6千4百キロメートルくらいと言われている。富士山の高さは3776メートル。

\sqrt{(6400000+3776)^2-6400000^2}=219879.64475

私  「ほほぉ、だいたい220kmぐらいまで見えるみたいだぞ」

友達 「佐藤よぉ、だからお前はツメが甘いってんだよ。お前さ、富士山は『3776メートル』ってメートル単位で足しときながら、地球はザックリ6千4百キロメートルって、100キロ単位じゃねえか。そりゃねェだろ」

私  「ぬぅ……しからば、ネットでチョイと検索したら出てきた、この『6千371キロ』ってのを使おうじゃないか」

\sqrt{(6371000+3776)^2-6371000^2}=219381.06157

私  「これでどうだ。だいたい220キロっ!!結局数字はあんまし変わらんだろ??」

友達 「いや、変わる変わらんじゃなくて、姿勢の問題だろうが。それに佐藤、地球は楕円体なんだぜ?赤道半径と極半径は違うワケだからさ~」

私  「細かいやっちゃのぉ~……。ああ、もう、はいはい、えーっと、ググると地球の扁平率はだいたい300分の1、と出てるから、さっきの6371キロを300で割って、それを6371から引きゃあよい、と」

6371-\dfrac{6371}{300}=6349.76333...

私  「んでもって、本当に楕円でやると、経緯度によって複雑に水平線の形が変化して、水平線までの距離はいくら、という計算は簡単には出なくなるから、ここは平均してしまおう」

\dfrac{6349.7633+6371}{2}=6360.3817

私  「で、計算をやりなおすと……」

\sqrt{(6360381.7+3776)^2-6360381.7^2}=219198.2226

私  「これでどうだ?」

友達 「あー、ダメだな」

私  「何でだ?」

友達 「だって佐藤よ、地球の楕円体は研究機関や国によっていろいろあるだろうが、世界測地系とか日本測地系とか」

私  「……だーっ!ウルサイウルサイっ!やれば文句ないんでしょうが、やれば!!」

地球楕円体諸元2(データはコチラ)

 ここでは各種出典の楕円体を挙げた。(ちな)みに、実はこの「水平線までの距離」の話題はネット上で多く見つかるが、上の表の中の「ベッセル楕円体の赤道半径」を使用しているサイトが多い。だが、今は日本でもベッセル楕円体は公式には使われていない。平成14年(2002年)に法律が変わり、世界測地系に切り替わったのだ。表の一番下から3番目と2番目にある「GRS-80」「GRS-80(改訂)」というのが現在世界測地系として採用されている地球楕円体の諸元だ。また、一番下にある「WGS-84」というのがGRS-80とほぼ同じ数字になっているが、これはGPSの測位計算の基礎になっている楕円体である。

友達 「ほぉ~……調べたねえ」

私  「ゼイ、ゼイ……。調べたぞっ。……で、このGRS-80かWGS-84あたりを使っとけば文句ないだろっ?んで、幾何平均を使っとこうじゃないの!」

\sqrt{(6367435.68+3776)^2-6367435.68^2}=219319.7037

私  「どうじゃっ!!だいたい220キロっ!!……って、最初から全然数字変わってないけど!!」

友達 「佐藤、お前さ、これ、『真空の場合』じゃん。『光』ってものはさ、地球大気の密度差で回折(かいせつ)して遠くまで届くンだよな」

私  「お前、ほんっと細かいな。そんなネチネチしていて、よく今まで何事もなく生きてこれたと思うよ!!……へいへい、『等価地球半径』ね」

 そう。電波や光は回折する。その回折曲線を加味して計算するのは多少骨折りなので、実用上は扱う波長に合わせて地球の半径をちょっぴり大きくしてやるわけだ。これを「等価地球半径」と言う。

等価地球半径

 この等価地球半径、電波の場合は地球半径の\dfrac{4}{3}倍、光の場合は\dfrac{3.5}{3}倍と言われている。

私  「じゃ、やりますよ。やりゃいいんでしょ。……世界測地系の平均地球半径6367435.68に等価地球半径係数をかけまして……」

6367435.68\times\dfrac{3.5}{3}=7428674.96

私  「んで、これと富士山の標高使って……」

\sqrt{(7428674.96+3776)^2-7428674.96^2}=236887.3392

私  「……って、だいたい237キロ。……おお、数字がちょっと変わったぞ。14キロぐらい多く見えるな。わっはっは、大気様々よのう!Google Mapで237キロを測ってみると……」

富士から237キロ

私  「おお、八丈島はちょっとムリだが、理論上は御蔵島辺りまでは見えるっちゅうことになるな」

友達 「佐藤よォ。いいんだけどさ、地球の楕円体なんて仮決めのもので、実際はゴツゴツした岩石がいろんな密度で分布してて、つまりこれが『ジオイド』ってやつだ、海面ですら幾何学的な楕円体なんかじゃないんだぜ?だから、お前の計算はナンセンスだ。全部意味がない」

私  「殺すぞキサマ(笑)」

世界核実験場探訪

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 事情によりゴールデンウィークというのに略々(ほぼほぼ)全日仕事であり、間欠的に帰宅休養はできるものの、出歩くことはまかりならず、垂れこめて電話呼び出しを待っていなければならぬ。

 まあ、しかたがない。仕事は仕事である。

 どこにも行けないので、Google Mapで旅行をする。めったに出来ない旅行をしよう、というので、標記「世界核実験場探訪」と題した架空旅行をして、動画にした。