迂闊

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 このブログのアクセスログを見ていると、見に来る方の中に、「唄入り観音経」の検索キーワードで行き当たったらしい方が多少おられることがわかる。

 唄入り観音経というと名人・三門博の一世一代の浪曲だ。戦前から戦後にかけての大ヒットである。

 主人公は「()(ねずみ)吉五郎」という盗賊だ。

 ところが私は、この木鼠吉五郎というのは、三門博の創作の、架空の盗賊であるとばかり思っていた。しかし、どうやらそうではないらしく、少なくともモデルとなった実在の木鼠吉五郎というのがいたらしい。

 上のWikipediaの記事を見て驚いた。

 というのも、唄入り観音経とは全く別の分野のこととして、私は岡本綺堂の「拷問の話」という本を読み、江戸時代の拷問が実はそうそう行われるものではなく、老中の許可などを必要とする実に煩雑な司法手続きであった、ということを知ったのであるが、その「拷問の話」に取り上げられているのが「播州無宿・吉五郎」とのみ記された盗賊であった。

 「唄入り観音経」の主人公木鼠吉五郎と、「拷問の話」の盗賊・播州無宿の吉五郎とは、私の頭の中では全く別物になっていて、一致していなかった。

 ところがどうやら、Wikipediaの記事と岡本綺堂の作品を読み合わせれば、これはモデルとしては同じ人物であることは明白だ。私としたことが、これは迂闊であった。20年以上もの間、このことを知らずにいた。

 しかし、いずれにせよ、唄入り観音経の中では改心して得度し、仏道に精進する吉五郎も、実際には太々(ふてぶて)しく27回もの拷問に耐えて同囚の尊崇すら集め、刑死後に名を遺した吉五郎も、どちらも大変な人物であることに違いはない。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・自家製昆布の佃煮

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 鍋物を楽しんだあとの出汁(だし)昆布で佃煮を作り、これで更に一杯楽しんだ。

 面白かったので動画に撮り、YouTubeに上げた。

 動画の中で、大晦日でもあるので、前回から引き続き、樋口一葉の「大つごもり」を読んだ。青空文庫からAmazon Kindleに提供されているものだ。

特に(こだわ)りもないが

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 平成18年頃からブログに読書記録を付けていた。使っていたブログサービス(OCNの『ブログ人』)が提供していたリスト化機能を使ったものだった。いつだったか、その機能のサービスが終了してしまうことになった。末端の一ユーザからは是非など言うべくもない。

 そのため、折角つけた記録が無くなってしまうことになってしまった。記録は100や200くらいはあったので、 “特に(こだわ)りもないが” の続きを読む

虫声寸感

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 夜来秋涼が快かったので、窓を開け放って寝た。

 明け方、虫の声が風鈴のように高く澄んで心地よく、聴いたまま微睡(まどろ)むのは本当に気持ちが良かった。

 もうすぐ節季は白露ともなれば、仲秋も近い。

 たしか、岡本綺堂の随筆で読んだのだったか。関東大震災以前の東京には、明治維新より前の江戸の色がまだ濃く残っており、裏長屋には「虫売り」が行商に来たものだそうだ。

 これは今のペットショップのような子供相手の商売ではなく、風雅の飾り物、しかも「音の飾り物」で、小さな虫篭に鈴虫を入れ、家の軒端にぶら下げてその音を愛でたそうである。

 建て込んだ東京の街は季節を感じにくいため、朝顔売りや金魚売り、虫売りなどからそれぞれ風雅を(もと)め、ほんの一輪二輪の朝顔、一鉢の金魚に寸描のような季節を見出して愛でたものだそうな。

 その話は、たしか「綺堂むかし語り」で読んだのだったと思う。「綺堂むかし語り」は青空文庫でも読めるし、Kindleにも0円でコントリビュートされている。

 岡本綺堂に言わせれば、「秋になって盛大に虫が鳴き始めるのなどは当たり前で、面白くない。まだ夏も(たけなわ)という時に、ふと秋に鳴くはずの虫がりん、と鳴いた、そこに捨てがたい涼味を見出すのが良い」……大意、そういう風なことだと思う。

 起き出して、コーヒーを飲む。この秋はじめての熱いコーヒーにしてみる。沁み入るように美味い。朝食がわりにチョコレートを3(かけ)ほど。

 コーヒーを啜りつつ、ふと思い出す。亡くなる前の正岡子規の句に

秋もはや塩煎餅(しおせんべい)渋茶(しぶちゃ)(かな)

……という川柳風なものがある。涼しさが増してからの久しぶりの渋茶の美味しさ、煎餅の香ばしさ、それどころか周囲の秋の空気の匂いまでが、このたった17文字の句から伝わってくるように思う。この作品は「仰臥漫録」の最初の日、明治34年の9月2日に記されている。今日は9月3日なので、今から丁度116年前の事だ。

おとなしく過ごす

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 図書館でおとなしく過ごす。

東京タラレバ娘(2)・(3)・(4)・(5)

 国会図書館は、漫画も読める。しかも普通に出版されているものであれば、法律上1部必ず国会図書館に納めなければならないことになっているから、古今の漫画が全部読めるわけである。

 館内では飲み食いこそ自由にはできないが、閲覧室には机もあり、のんびりと座を占めて読める。ちょっと前までは情報機器の持ち込みは禁止だったが、今はパソコンの持ち込みもOKで、無料でWiFi(5GHzもあり)も使い放題、快適そのものだ。

 そこで今日は話題作のマンガを読む。この前1巻はKindleで無料だったので、続きの2・3・4・5巻。

 第1巻はわりと普通な面白さだったが、2・3・4・5巻は次第に大人のドロドロ感が出てくる。

室町砂場 赤坂店

  図書館ではほかに、以前他所(よそ)で見かけて気になっていた「蕎麦通・天婦羅通」という本を読みかけたが、時間切れになり、読めなかった。また今度の読書である。

 既に春一番も吹いたという。風も暖かく、春の匂いがそこはかとなく混じる気がする。さなきだに、植栽の梅が満開である。

 いつもどおり、室町砂場・赤坂店へ行く。

 焼海苔でぬる燗を一杯。

 盃一杯分ほど酒の残っている頃おいに、「もり」を一枚。

立春の丸一日の散歩

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 旧正月も節分も過ぎた。まだまだ寒さ厳しい折柄とは言え、暦の上では新春、しかも今日は既に立春である。近所の日当りのいいお宅の庭では、そろそろふくらみはじめている梅の蕾もある。

 時節、であろうか。

 なにやら物の気配に誘われるような、そぞろ落ち着かぬ気持ちもしていたところ、日本ITストラテジスト協会で知り合いになったHさんからお声がかかる。ひとつ今度の休日を共に散歩でもして楽しもうではないか、とのお誘いである。Hさんは同郷の先輩でもある。

 興が乗り、二人して数週間前から何をしようかと相談した。

 Hさんは「池波正太郎的な世界観の散歩をしようよ」とおっしゃる。なるほど、よしきた、合点というものだ。私も池波作品については鬼平犯科帳から仕掛人梅安から剣客商売から、多少ほどは読んでおりますからね、ええ、ええ。

 Hさんが「これは外せない」とする要素は、「池波正太郎」「舟」「蕎麦」「風呂」だという。

 はて、「池波正太郎」「蕎麦」はよしとして、「舟」「風呂」はどうしたものかな、と考えあぐんでいると、Hさんが「今回はひとつ、噂に聞く『矢切の渡し』に乗ってみようよ」と言った。

 なるほど、江戸のむかしから矢切の渡しというものは伝えられているが……。しかし、今でもあるのだろうか。……と、そんな風に不審を覚えるのは取り過ごしで、これが実は、まだあるのだ。江戸時代から伝えられたそのままの姿で、今も()()ぐ川船で江戸川を渡している。

 Hさんと交々(こもごも)相談し、散歩コースを決める。

 それで、今日、2月4日の土曜日に散歩しようと言う事になった。

「野菊の墓」文学碑

 今日の散歩のスタートは「矢切の渡し」である。矢切の渡しというと、時代劇や細川たかしの演歌でも知られるが、知る人ぞ知るのは名作文学「野菊の墓」の舞台であることだ。

 私は「野菊の墓」の題名は知っているが、実は恥ずかしながら読んだことがなかった。映画では、最も近いところで若い頃の松田聖子が主演したり、それ以前にも何作か別の女優で制作されていたことも知ってはいるが、これがまた、どれも見ていないのである。テレビドラマでは山口百恵主演のものをはじめ、他にも何作かあったように思うが、やはりどれも見ていない。

 原作を読まなくっちゃいけないでしょう、こうなれば。

 で、作者の伊藤佐千夫は没後長く経つので、既に著作権は切れており、青空文庫で読むことができる。無料だ。

 青空文庫はKindleでも読める。そこで、Kindleで0円購入してこれを読みつつ、家を出発する。短編だから、2時間ほどもあれば読み終わるだろうとばかり、Hさんと落ち合う約束の10時に先立ち、8時に家を出、読みながら電車に乗る。

(伊藤佐千夫「野菊の墓」冒頭から引用・昭和38年(1963)日本法著作権消滅)

 のちの月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、むしろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味をむさぼって居る事が多い。そんな訣から一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。

 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりわたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈かいわいでの旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るようなしいの樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森いもりで村じゅうからうらやましがられて居る。昔から何ほど暴風あらしが吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根をがれたことはただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまたすすやらあかやらで何の木か見別けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いとこでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目もくめも判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠くぎかくしなども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きいがんであった。勿論もちろん一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。

 僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに自慢されていた。その頃母は血の道で久しくわずらって居られ、黒塗的な奥の一間がいつも母の病褥びょうじょくとなって居た。その次の十畳の間の南隅みなみすみに、二畳の小座敷がある。僕が居ない時は機織場はたおりばで、僕が居る内は僕の読書室にしていた。手摺窓てすりまどの障子を明けて頭を出すと、椎の枝が青空をさえぎって北をおおうている。

 母が永らくぶらぶらして居たから、市川の親類で僕には縁の従妹いとこになって居る、民子という女の児が仕事の手伝やら母の看護やらに来て居った。僕が今忘れることが出来ないというのは、その民子と僕との関係である。その関係と云っても、僕は民子と下劣な関係をしたのではない。

 僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、民子は十七だけれどそれも生れがおそいから、十五と少しにしかならない。せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味あかみをおんだ、誠に光沢つやの好い児であった。いつでも活々いきいきとして元気がよく、その癖気は弱くて憎気の少しもない児であった。

 さすが、夏目漱石をして「何百編よんでもよろしい」と激賞されたというだけのことがある美しい文章である。少年と少女の清純な恋情を美しく、精密に、それでいて簡潔に描き出したすばらしい小説であり、泣ける。

 さて、矢切の渡しの最寄り駅は北総線の「矢切」駅で、渡し場は駅から歩いて3~40分というところだ。

 駅前でHさんを待つ間、野菊の墓を読み耽る。9割ほど読み終わり、物語の山場で感極まって涙目になっているところへ、丁度待ち合わせ時間の10時きっかり、Hさんが到着する。

 挨拶もそこそこに「HさんHさん、渡し場に行く途中に『野菊の墓』の文学碑がありますから、是非寄って行きましょう」と誘い、Hさんも文学碑が気になっていたとのことで、さっそく出発する。

 庚申(こうしん)塚と(やしろ)のある曲がり角が目印で、そこから丘に続く道をたどる。

 江戸川を西に見下ろす高台に文学碑があり、先に挙げた「野菊の墓」の冒頭の一節、「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりわたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。」という書き出しを刻んだ石碑がある。

 この石碑の建つ場所は眺めが非常によく、遠く富士が望め、小説の中に登場する通り、上野・浅草のあたりまでが霞んで見える。今は東京スカイツリーが屹立しており、浅草・業平橋の方向はすぐにそれとわかる。

矢切の渡し

 「野菊の墓文学碑」の丘を西に下り、地元の名物「矢切(ねぎ)」の畑の間の長閑(のどか)な道を15分ほども歩けば、江戸川の岸に出る。

 「矢切の渡し」は高い旗が目印になっていて、すぐにそれとわかる。

 江戸時代、川に橋を架けることや、勝手に渡しを営むことは主として軍事上の理由から幕府によって厳格に禁じられ、これを破る者は「関所破り」として厳罰に処せられた。しかし、川のそばで生活を営む農民たちが、営農のために小舟で細々と往来するようなものまで禁じられていたわけではなく、何か所かは渡し場が許されていた。これを「農民渡船」という。さもあろう、幕府の収入はすべて農業から得られており、ならばこそ農民を武士に次ぐ地位と位置づけていたのだ。営農を妨げることは自らの収入を制約することにもつながるのであるから、このようなものが許されていたのであろう。

簡素な渡し場の乗り合い口

 明治維新後、架橋がなされたり鉄道が開通したりする中、渡し舟は不要となって(すた)れていったが、この「矢切の渡し」だけは地元民の足として、また今では柴又~矢切の間のなくてはならない観光名物として唯一現存しているのだ。

 矢切側の乗り合い口には簡素な甘味品の露店があり、飲み物や焼き芋など売っている。

 舟の運航はおおらかで、何分おきというようなものではなく、客がほどほどに乗れば随時出してくれる方式だ。手漕ぎの()舟で、渡し賃は一人200円だ。

 船頭さんは若く見える人だったが、静かな口調で、多少の観光案内などもしてくれつつ、のんびりと()を操る。

 立春らしい陽気の下、まことにゆるゆると舟は対岸に漕ぎ進められていく。

ご一緒したHさんと私

 僅々(きんきん)5分ほど、すぐ対岸の柴又に着く。

柴又見物

 柴又見物をする。

 そりゃもう、「寅さん」「帝釈天」「門前で買い食い」、これでしょう。

有名な山本亭

 帝釈天では燈明を上げ、唱えごとなどもモゴモゴと口ごもっておく。

 通称「柴又帝釈天」は日蓮宗の寺で、本当の山号寺名は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)という。庚申に縁が深く、この地域一帯にも庚申塚などが多くあるようだ。

煎餅買い喰い

団子買い喰い

高木屋老舗でおでんにビール

 「とらや」で団子を立ち食いし、「高木屋」でおでんにビールなんかをとる。

 この「とらや」は、元は「柴又屋」という名前だったが、「フーテンの寅さん」の最初の方でロケ地に使われたので、それにあやかろうとてか、「とらや」という屋号に改名したのだそうな。そのせいか、映画の中では、寅さんの家の団子屋ははじめは「とらや」という名前だったのに、途中から「くるまや」に変わったという。屋号をめぐっての争いを避けるためだったのか、どうだか。

青天白日と寅さんと私

 そして、現在の「とらや」でロケをしなくなってからは、その向かいにある「高木屋」をモデルにした撮影所のセットを使って映画が撮られたそうだ。そのため、二つの店がどちらも「フーテンの寅さんの団子屋はこちら」と言っているようだ。

亀有公園

 柴又門前を抜け、京成柴又駅まで歩いて寅さんの銅像など写真に撮る。京成に乗って次に行こうかという時、Hさんが「ここはひとつ、『こち亀』を探訪しようよ。亀有公園へ行って見よう」と言う。

 なるほど、これは面白そうである。

 柴又から亀有公園までは3キロほどある。40分か50分程度、変哲もない街道沿いを西へ西へ進み、中川を渡って環七通りまで歩けば着く。常磐線葛飾駅の近くである。

 亀有公園は取り立てて特別なこともない公園で、子供たちが元気いっぱいに走り回っている。ああ、日本にはまだまだ子供がいてよかった、などとも思う。

 しかし、入ってみると、やはりゆかりということで、「両さん」の銅像なんかがベンチにドッカと座っている。

 走り回る子供たちに入り混じり、「ひとつ『リア充写真』でも撮っておこうか」とでもいう風情の観光客が、てんでに撮影したりスマホを操作していたりするのも、いとをかし、である。……私たちもその例に漏れないが(笑)。

 私も一応「お(しるし)」ということで、写真なんか撮る。

駅の北側の派出所

 漫画の舞台は「公園前派出所」だが、実際には公園前に派出所はない。その代わり、駅の南北両方に派出所がある。さして大きい駅でもないのに、2か所派出所があるというのは珍しい。

 駅の南側には両さん一同の等身大フィギュアなどがあって、観光客が嬉々と写真など撮っている。

神田連雀(れんじゃく)

 さて、柴又~亀有の散歩から、電車に乗って河岸を変える。常磐線亀有から電車に乗って西日暮里まで行き、山手線に乗り換え、秋葉原で降りる。秋葉原の喧騒を通り抜けて、神田連雀(れんじゃく)町へは万世橋を渡ってすぐである。

 神田連雀町、とは言うが、連雀町という地名を地図で探しても見つからない。今は「須田町」「淡路町」と言う一画が、昔は連雀町と呼ばれていたのだ。背負子の肩掛けの「連尺」を作る職人がこの一画に住み着いていたところから、字を変えて「連雀町」と呼ぶようになったという。

 「かんだやぶそば」は惜しくも数年前の火災で建て替わり、昔の古い建物ではなくなってしまったが、それでも、戦災で焼けなかった古い建物や店が連雀町にはまだいくつか残り、今も営業中であることは池波ファンならずとも知るところだ。これらの店を池波正太郎はこよなく愛した。
 
 花野さんを「かんだやぶそば」をはじめ、「いせ源」「竹むら」「ぼたん」などの文化財建屋に案内する。

 それから靖国通りへ回り、池波正太郎が愛したとっておきの蕎麦(みせ)「まつや」へ行く。

 まつやの通しものは固練りの蕎麦味噌だ。器の縁に塗って出してくれる。まずはそれを舐めつつ、焼き海苔に板わさでぬる燗を一合。

 盃一杯ほど酒の残っている頃おい、「もり」を頼む。

 いつもはあまり大きなものは頼まない私なのだが、少し歩いて腹も減ったので、今日は「大もり」を頼んだ。蕎麦の香りのいい、まつや独特の蕎麦を堪能する。

 手繰(たぐ)り終わって、蕎麦湯をたっぷり飲む。

稲荷湯

 Hさんは「シビれるような熱い銭湯にヤセ我慢で入る、これがやりたいなあ」と言う。

 神田連雀町付近で銭湯を探すと、「神田アクアハウス 江戸遊」というのが見つかる。銭湯で、入浴料も公定料金の460円だ。連雀町からはすぐである。

 ところが、Hさんは「どうも小奇麗っぽくて情緒のないのがいかん。やはり『銭湯らしいところ』がいいかなあ」と言うのである。

 そこでさらに探すと、10分ほど歩いた先に稲荷神社があり、そのそばに「稲荷湯」という銭湯がある。

 稲荷湯は浴場内の「富士のペンキ絵」もなかなかそれらしく、「銭湯銭湯している……」ようなので、そっちへ行くことになった。

 皇居に近いせいか、最近流行の「皇居ラン」の帰りにスポーツウェア姿でひと風呂浴びていく人が多いらしく、今日もちらほらそういう人の姿が見られた。

 Hさんの希望通り、「なかなかシビれるような熱い湯」で、我慢して入るうち、ホカホカに温まるのであった。

鳥鍋「ぼたん」

 稲荷湯を出て、神田連雀町へ引き返す。

 もとは「池波正太郎的には、鬼平犯科帳に出てくる名物軍鶏鍋『五鉄』のモデルを探してそこへ行くべきだろう」というアイデアだった。「五鉄」のモデルは「玉ひで」という実在の店だ。だが、日本橋の方なので、ちょっと遠い。

 そこで、池波正太郎が同じく愛した連雀町の老舗、「ぼたん」で鳥鍋をつつくことにしておいたのだ。

 「ぼたん」の看板の品書きは「鳥すき」だ。一人前7,300円(税込)で、「ちょっと高い」ようにも思えるが、「払えぬというほどでもない」値段で、それよりもなによりも風情があって、一度は行かなくてはならない店の一つである。

 実は私こと佐藤、連雀町の店は「竹むら」にも「いせ源」にも、「まつや」や、焼ける前の「かんだやぶそば」にも、何度も入ったことがあるのだが、この「ぼたん」だけは入ったことがなかった。なぜかというと、「お一人様はご遠慮ください」という店だからだ。さりとて、職場がらみの人を誘おうとすると、少し高いので値段が折り合わない。妻を連れて来ようとすると、妻は主婦の経済観念で「高いなあ」がまず出てしまうから興醒めである。そんなわけで一緒に来てくれる人がなかなかいない。

 しかし今日は、「池波正太郎的な世界観」がテーマで二人は一致しているから、私もHさんを引きずり込むのに躊躇がない(笑)。

 「二人なんですが、かまいませんか」と玄関を入ると、下足番の人が愛想よく招じ入れ、すぐに和装の仲居さんが出てきて案内してくれる。

 静かな奥の方の座敷に通される。腰を下ろして、鳥すきを2人前にビールを頼む。風呂上がりのビールがうまい。街全体が広大な温泉旅館として楽しめるところであるような気がする。

 銅板で葺いた炭櫃によく(おこ)った炭火が入って出てくる。仲居さんがそこへ鉄鍋を乗せて油をひき、(かしわ)の正肉、もつ、葱、豆腐、白滝などを手際よく盛って調えてくれる。

 煮えるのにほどよく時間がかかるから、ゆっくりとつつきながら話したり飲んだりするのにちょうどよい。

 しっかりした濃い味付けで、溶き卵によく馴染んでうまい。

「卵とじ」を作ってもらったところ

 最後にお(ひつ)に入ったご飯と香の物が出てきて、雑炊が楽しめる。また、仲居さんに頼むと、鍋の残りを卵とじにして、ご飯にそれをかけまわして「親子丼」のようにして食べることもできる。

 そこで私たちも、卵を二つずつ、たっぷりととじて貰って、お櫃のご飯を全部平らげた。

 水菓子(みずがし)がついて来る。冬なので、大粒の蜜柑(みかん)が出た。二人とも満腹である。

 ちょっぴり高いが、払えぬという程でもなく、意外に分量もあり、堪能できる。

神谷バー

 Hさんは「電気ブラン」は是非飲まねばならぬ、と言う。

 電気ブランと言えば「浅草・神谷バー」で、神田からは少し離れているが、ここは再び河岸を変え、浅草まで電車に乗る。

 神谷バーはいつもながら大変な混雑だが、人を掻き分け掻き分け、席を取って、「電気ブラン」を4杯、5杯。
 

夜の仲見世~浅草寺

 以前に一度、物知りの人が「夜の浅草寺」を案内してくれたことがある。仲見世通りの商店が閉まってシャッターが閉じた後に行くと、開いている昼間には見られない「シャッターのペンキ絵」が見られるのだ。このペンキ絵は季節ごとに()き変えていて、その時季その時季の行事の絵などになるのだ。

 これをぜひHさんにも見てもらおうと、神谷バーを出て案内した。

 季節らしく、火消しの(まとい)梯子(はしご)乗りの絵などが見られた。写真は「神輿を取り巻く群像」である。

 それから、ライトアップされた伽藍を一回り見物する。

 本堂はとうに閉まった後だが、いちおう賽銭を寄進して、少しばかり拝む。

「並木藪蕎麦」と「駒形どぜう」の場所だけ

 もう、自分が知っているだけのものを総(さら)えで案内したようなことだった。

 最後に、やはりこの名店だけはHさんに把握していただきたい、とばかり、「並木藪蕎麦」と「駒形どぜう」の場所をご案内した。

 もとより、老舗の店仕舞いは意外に早く、両店とも既に閉まっているが、どちらも建物が味わい深く、外から見るだけでも面白いのだ。

 この2店をご案内したところで、もう上弦の月が西へ傾きはじめ、はや22時を過ぎる時間にもなった。

 昼は早春らしい(うらら)かさ、夜は都会にもかかわらず星空に恵まれた今日一日のことを謝しつつ振り返り、Hさんとお別れした。

 飲み食いに散歩に、面白い一日を過ごすことができた。

読書

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中立国の戦い―スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標 (光人社NF文庫)

 「アルムおんじ」の話などするうち、スイス傭兵の話から、近代のスイスの苦闘についても興味を覚え、ちょっと読んでみた。

 永世中立国スイスは、のほほんと平和に暮らす田舎国家などではなく、実は全身これハリネズミのように武装した国民皆兵の国であることはよく知られている。しかし、私たち日本人は理由もなく漠然と、スイスの軍事力は単に潜在的抑止力として準備されているだけで、全く他国と干戈(かんか)を交えないものであるかのようなイメージを持ってしまってはいないだろうか。

 ところが、ところが。スイスは、実は第2次世界大戦において意外に激しい戦闘を行っているのだ。中立を守るために、である。いかなる国の軍隊も、どんな理由があろうと、スイスの領土を侵すことを許さないという意思を断固として示したのである。無論、兵の血と生命によって、である。

 しかし、それは簡単なことではなく、迷う国内世論の処理を含め、苦しい選択と難しい判断を積み重ね、ひとつひとつの局面を切り抜けていったことが本書には克明に描かれている。

 大戦中のスイスの戦闘で、本書でも大きく取り上げられているのは対領空侵犯措置の戦闘である。ドイツであろうと米英連合国であろうと、スイスの領空を犯す航空機にはスクランブルをかけ、枢軸国側航空機を12機、連合国側航空機を13機、合計25機を撃墜している。しかし、領空侵犯機への対処は極めて難しく、逆に空戦を仕掛けられ、スイス自身はその10倍、200機もの航空機を失い、300人もの死傷者を出した。空中戦は昔も現代も先制攻撃が常道、つまり先手必勝がベスト・プラクティスなのであるが、対領空侵犯措置では、先に手を出すことができないのだ。

 また、アメリカなどは国際法上永世中立国の地位を完全に認められているスイスに対し、完全に国際法違反の都市無差別爆撃を行い、100名ものスイス一般市民が死亡した。このことは後世もアメリカの汚点として、しこりとなって残っている。

 スイスはこのように、おびただしい犠牲の上に中立を堅持した。

 スイスだけでなく、大戦中、スウェーデン、スペインが中立を守るためにどれほどの犠牲を払い、戦ったかということに光を当て、日本に広く紹介したという点で、功績の大きい一冊であると思う。アマゾンのレビューでは資料の選び方などに一部批判の意見もあるようだが、そのことは本書の価値を(いささ)かも減じない。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

 「アルムおんじ」の記事の流れで、ちょっとスイス傭兵に興味を覚えて。

毛沢東 日本軍と共謀した男 (新潮新書)

 毛沢東が実は日本軍と共謀して蒋介石の国民党軍と戦っていたという奇怪な事実は、現在の中共が主張する抗日戦争の歴史など根底からひっくり返ってしまうようなことである。

 だって、中国は韓国ほどには頭のおかしい要求はしないけれども、謝罪しろだのなんだのとうるさいことには変わりがない。ところが、謝罪しろも弁償しろもヘッタクレも、大日本帝国と一緒になって蒋介石と戦争してた、ってんだから。

 戦後になって、蒋介石率いる国民党は逃げてばかりいたのだなどと中傷し、毛沢東率いる八路軍こそが抗日戦線の主役であった、などと、言い分が変わっていく様子が本書ではよくわかる。

東京タラレバ娘

 図書館で読んでやろ、と思ってたら、販促のためか、Kindleなら第1巻のみタダだった。

 なるほど、最近ポスターやキャラクターグッズなどもよく見かけるし、ドラマ化もされるようで、ヒットするだけあって面白い。

 残りは高いから図書館で読もうと思ったが、前掲の3冊を読むので時間切れとなり、読めなかった。

永田町・国会図書館 → 麻布永坂 更科本店

投稿日:

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、本当だ。まるでスイッチで切り替えたかのように涼しくなった。虫の声も大きい。

 ただ、今年の秋雨の強さには閉口する。二百十日(にひゃくとおか)前後にはラッシュのように台風が暴れまわり、被害が出た。水害に遭った人にとっては「天高く馬肥ゆる」どころではあるまい。

 そんな土曜の朝だ。曇り空が重い。だが、垂れ込めていても仕方がない。どうにかして元気を出そうとする。

さえずり季題当番

 先週土曜日にTwitterの「さえずり派」俳句つながりの@donsigeさんから今週のお題当番が回ってきていたので、朝はそれを出題した。

 選んだのは「真夜中の月」で、なんとこれでも立派な見出し季語である。小さい歳時記には載っていないが、5巻本の「角川大歳時記 秋」には載っている

 先週のうちにブログの予約投稿でお題を作っておき、自吟も詠んでおいた。プラグイン「Jetpack」のパブリサイズ共有でツイートされる仕掛けだ。ところが、なぜか自吟だけ日にちのセットを間違えてしまったらしく、昨日ポストされてしまった

 なんともしまらぬことだったが、まあ、しょうがない。

国会図書館

 それから外へ出た。

 「太平記」を読もうと思い、最近刊行だからひょっとしてあるかな、と、近所にある越谷市立図書館の南部分室へ行ってみたのだが、検索用のキオスク端末で調べると、所蔵は市立本館で、南部分室には不在架だった。

 バスに乗って市立本館に行くと、バス代が400円や500円はかかってしまう。それならいっそ、と、結局永田町の国会図書館まで出てきた。市ヶ谷までは通勤定期で出られるので、永田町まで行っても残り2駅ほどしか払わなくてよく、往復でも300円ちょいで済んでしまうからだ。

 時間が11時前で少し遅くなっていたので、岩波の「太平記」第1巻の解説と、原書の最初の一巻をだいたい読んだくらい。

 その際に知ったことがある。Amazon・Kindle本で昔の写本の太平記が読めるが、これは1巻108円する。全40巻だと4,320円で、Kindle本としては馬鹿にならない。

 ところが、このKindle本の案内文を読むと、

「本電子書籍は、国立国会図書館が所蔵し、インターネット上に公開している資料で、著作権保護期間が満了したタイトルの画像データを、Kindle本として最適化し制作したものです。」

 とあって、国会図書館所蔵の古文書であることがわかるのだ。

 しかも、国会図書館で閲覧できるだけでなく、ネットで無料で読めることも判明したのであった。

 そのURLはこれだ。

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 とはいうものの、岩波文庫をテキストがわりにして、ゆっくり字面(じづら)を追うと、同じ文章であることがはっきりとわかるのであった。

 それから韓非子の調べ残しを少し読む。「説林(ぜいりん)」の「上」。この前、自分で書いた()み下し文が正しいかどうか確かめるためだ。結果、どうも怪しく、ところどころ違っていることが分かった。だが、まあ、大体合ってるから、もういいやあ、と、特に厳密に手直しはしなかった。

麻布永坂 更科本店

 午後遅く国会図書館から出てみたら、外は土砂降りの雨で、参ってしまう。朝家を出る時になんとか曇りのまま()つかな、と思ったので、傘を持ってこなかったのだ。

 仕方がない。ともかく、濡れながら歩いて駅に行く。

 今日はひとつ、「砂場」の名店、「巴町 砂場」へ行って見ようかと思ったのだが、ウェブで確かめてみると、土・日・祝は休みらしい。残念。

 それなら、永田町から麻布十番までは3駅ほどだから、そっちのほうへ行って見ようと思い直した。

 一昨日(おととい)、畏友F君と麻布十番の「更科堀井」へ行ったところだけれども、何、蕎麦屋に何度も行ったからって文句を言う人のあるわけでもなし。

 麻布十番には他に有名な2店、「麻布永坂 更科本店」と「永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店」がある。今日は一つ、「麻布永坂 更科本店」のほうへ行ってみよう。

img_4775 「麻布永坂 更科本店」は地下鉄「麻布十番」駅の「5a」出口から出ると、道路を挟んで正面すぐ、首都高に近い角の所にある。立派な店構えだから、すぐにそれとわかるだろう。

 高級なそうな店構えだが、蕎麦の値段なんて多寡が知れているから、物怖(ものお)じせずに入る。御一人様(オヒトリサマ)万歳というところだ。

 同源の他の2店と同様、寛延年間(1748~51)頃創業の老舗だが、建物は昔のものではない。だがその分、清潔で新しい。客室のデザインはかっこよく、手馴れた和装の女の人たちがこまめに世話をしてくれる。

 1階はテーブル席が十幾つか。奥と2階に宴席があるようで、今日は何か、どこかの会社の接待の席らしく、賑やかな一本〆(いっぽんじめ)の声がしている。

img_4779 早速一杯頼む。京都の清新、「澤屋まつもと」。甘からず辛からず、真っ直ぐの純米酒である。程好(ほどよ)く冷えて、疲れが取れる気がする。

 通しものには一昨日行った「更科堀井」と同じ、名代の更科蕎麦を軽く揚げて塩味を付けたものが出た。

img_4782 肴に、私のいつもの蕎麦屋でのならい、焼海苔を頼んでみる。

 他店より大きな炭櫃(すみびつ)、大きな切れで出てきた。火もほどよく熾っている。

 ただ、海苔の味は、他所(よそ)のほうが旨いように思った。

 そうは言うものの、炭櫃の蓋を閉めておけば、焼海苔は雨にもかかわらずよく乾き、歯応えも香りもどんどん良くなっていく。旨い山葵(わさび)(つま)んでは直接口に入れて味わいつつ、これまた旨い醤油を焼海苔にたっぷりとまぶし、味わいながらゆっくりと1合をのむ。

img_4784

 一杯ほど酒の残った頃おいに、「もり」を一枚頼む。

 「更科堀井」ほど白くはないが、間違いなく「更科」独特の、肌の白い、しなやかな蕎麦である。蕎麦(つゆ)は濃くはなく、あっさり、すっきり、はっきりとした旨いものだ。

img_4786 蕎麦をすっかり手繰り終わって、あとは蕎麦湯をゆっくり飲む。よく蕎麦粉の溶けた、重湯(おもゆ)のように濃い蕎麦湯で、飲みごたえよく、満足した。

img_4789 わかりやすい場所にあり、店は清潔である。肴や酒の種類も多く、堪能できる店だ。

 また、最近の東京の有名店の例に漏れず、白人が「ソバ・ランチ」を試みていたりするのも、まあ、珍しく面白いと思えば、逆に楽しい。

焼き海苔 400円
澤屋まつもと純米(京都)1合 720円
もり 880円
合計 2,000円
他に、通しもの、揚げ蕎麦

 合計2000円、多少高いが、払って惜しい値段ではなく、道楽にちょうど良かった。

 天気の(すぐ)れぬことはこのところ数日と同じで生憎(あいにく)だったものの、名店は(たず)甲斐(がい)があり、良い気分で過ごすことができた。

太平記読みたいけど、う~ん……

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 昨日思い付きで楠公(なんこう)像の前で記念写真など撮ったのだが、ふと連想して、「太平記」を読んでみたいなあ、などと思ったのだった。楠正成伝を辿りたいなら、なんと言っても、太平記でしょうからね。

 古典だから、青空文庫かどこかにフリーテキストでもないかな、と思ったのだが、意外に、ない。

太平記1ページ Kindleではバラ売りで1冊108円のがあるが、これがなんと国会図書館所蔵の写本をデジタル化したというしろもので、原典通り40巻もある上、写真の通り変体仮名のオンパレード、これでは不肖この私といえども読むのに倍も3倍も時間がかかってしまう。Kindle Unlimitedの会員なら30日間無料だというから、その間に全巻ダウンロードしちまう、というテがあるが、なにしろ、写本をそのままデジタル化したやつだからなあ……。

 岩波で出てないのかなと思って検索したら、なんと、岩波でも文庫化したのはやっと一昨年の春のことらしい。全6巻だそうだ。……そうすると、古本市場にも美本はまだまだ出ていなさそうだ。この前までの「千一夜物語」みたいに都合よく手に入らないかな、とチラリと頭をかすめたものの、こういう状況だから無理だろう。

 図書館で借りて読む、というのが、妥当なところかなあ……。しかし、手に入れて愛蔵したいのもやまやまだし、岩波の6巻モノを図書館通いで読めるほど暇でもないし。通勤電車で読むのが性に合っているが、図書館貸出の本を満員電車に持って入るとモミクチャになって傷めてしまうし。

 吉川英治の「私本太平記」は著作権切れで青空文庫入りしてるから、Kindleでも0円なんだが、どうも、原典のほうを読みたいんだよなあ……。