読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 本巻収載書の最後、「ベートーヴェンの生涯 Vie de Beethoven : 1903」(ロマン・ロラン Romain Rolland、平岡昇訳)を読み終わった。

 短く、強く、簡潔に、感動と讃仰を以って楽聖ベートーヴェンの生涯を(しる)してある。もはや、半ば散文詩と言ってもよい。図らずもベートーヴェンその人だけでなく、第1次大戦の始まりから第2次大戦の終わりまでの長い間反骨を貫いた筆者ロマン・ロランの魂のありさまが(にじ)み出ているように感じられる。

 短い作品なので、手持ちのCDやYouTubeでベートーヴェンの作品集などを聴きながら読めば、全部聴き終わる前に読み終えられるだろう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「ベートーヴェンの生涯」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.510より

「彼は優しい微笑を浮かべたものだし、人と話すときには、よく親切な励ますようなようすをしていたものだ。それにひきかえて、笑いかたは不愉快で、荒荒しく、しかめっ面になり、それに短くとぎれてしまうのだった」と、モーシェレスはいっている。――つまり、喜びに慣れていない人間の笑いだった。

p.541より

彼の死ぬ四ヵ月前、一八二六年十一月に彼の書き終えた最後の作、作品第一三〇番の弦楽四重奏の新しい終曲(フィナーレ)は、非常に陽気なものである。事実、この陽気さは世の常のものではない。それはあるときはモーシェレスが語っている荒々しい急激な笑いであるかと思えば、またあるときは克服されたおびただしい苦悩を底にたたえた感動的な微笑であったりする。ともあれ、彼は勝利者なのだ。彼は死を信じない。

 (ちな)みに、その「作品第一三〇番の弦楽四重奏」(弦楽四重奏曲Op.130)の終曲(第6楽章)というのは右の曲である。

p.544より

貧しい、病弱な、孤独な一人の不幸な人間が、この世界から喜びを拒まれた、苦悩そのもののような人間が、みずから「歓喜」を創造して、それを世界に贈るとは! 彼は自分の不幸によって歓喜((ママ))を鍛えあげたのだ。それは彼が次の誇らしい言葉で((ママ))いい表わしたとおりだが、その言葉には彼の一生が要約されており、それはあらゆる雄々しい魂にとっての金言でもある。

「苦悩を経て歓喜へ」
Durch Leiden Freude
一八一五年十月十日、エルデディー伯爵夫人に

 次は第13巻、「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」である。

 これまでの絵画や彫刻、音楽といった芸術分野とはまた趣を異にし、今度は文学である。

次女の顔に書かれた字

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 先日、古いブログの記事を今の新しいシステムにすべて流し込んだ

 それで、作動を確かめるのも兼ねて昔の記事を懐かしくさかのぼっていたら、こんな記事があった。

 次女が1年生か2年生の、ほんの小さな女の子だったころの記事で、この頃私はと言うとバイエルの練習曲を全部弾き終え、「エリーゼのために」を弾こうとやっきになっていたのだった。

 なつかしい。

 こういうのがひょっくり出てくるから、ブログを日記代わりにするのはやめられない。紙の日記よりも長持ちするほどだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その1.1

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 「アザリア ポルカ」ばっかり練習しているように見えるが、練習はたいてい「おさらい方式」で、たくさんの練習曲をおさらいしている。

 去年なんとかものにした「エリーゼのために」も、しょっちゅう「おさらい稽古」をしている。

 久しぶりに、録音して見たらどんなもんだろうと思って、録音してみた。

 …幾分ミスタッチしてしまうのは、もう、これ、どうしようにも直らないなあ(笑)。

驚いた。

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 最近「ツイッター」に凝っていて、あれはあれでなかなか面白いところもあり、ブログの更新も滞りがちな今日この頃である。

 クリスマスである。

 ささやかながら丸鶏を食べ、ワインを飲み、プレゼントなど用意する。

 数日ぶりにこのブログのアクセスログを確認して、なんだかいつもよりアクセスが多いことに気づいた。なんでだろう、と思って調べてみると、このブログが「ブログ人情報局」に紹介されていることがわかった。

 特段誰からも注目されることなどなく、亀がにじり這うように書き進めてきたブログだ。テーマも自宅の新築から雑感、そしてピアノへと遷移してきた。誰に見せようとも、ましてや褒められようとも思わず、思うところを書きなぐってきた。

 だが、そうは言うものの、いかなる人からも全く見られることを期待しない、というほどの強い決意まではない。誰かが見てくれるなら、それはそれで楽しいことだ。現に、ネット上のこととは言うものの、ブログを読んでくださった何人かの方々と、じつにささやかながら交流を持つこともでき、楽しみがひろがった。

 だから、ここへ来て、ちょっと紹介されると言うのはとてもうれしい。

 「なかなかの腕前」、と、褒めて貰えたのも嬉しいことだ。腕前など、とてもとるに足りないが……。

 イイ気にならず、かえって戒めとして、明日はチト気合を入れ、次女との連弾曲を練習しようと思う。

応用曲「アザリア ポルカ Azalia Polka」 その0

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 8ヶ月にわたり延々と練習してきた「エリーゼのために」を、昨日でひと区切りにした。

 さて、私が使っている教本、全音楽譜出版社の「最新バイエルピアノ教則本」には、巻末に3曲の応用曲が載っている。

  •  L.ケーラー作曲 「半音階のポルカ Chromatische Polka」
  •  L.van ベートーベン作曲 「エリーゼのために für Elise」
  •  F.バイエル作曲 「アザリア ポルカ Azalia Polka」

 いよいよ最後の応用曲、この「アザリア ポルカ Azalia Polka」にとりかかる。

 10時ごろから楽譜を読んでいる。私には音感などないから、ピアノに向かって鍵盤を拾う。まずは右手のみ、最初の主題である。

 はてさて、いったい、弾けるようになるのか?

応用曲「エリーゼのために für Elise」その1

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 今日も朝からせっせと「エリーゼのために」を練習した。

 弾けたと思うので、映像と音を残して、練習をひと段落したいと思う。

 今ブログの記事をひっくり返して見ると、楽譜を読み始めたのが春、今年の3月17日だ。既に夏、秋を過ぎ、季節は冬となった。かれこれ、8ヶ月あまりが過ぎている。

 おそらく、こんなに「エリーゼのために」ばっかり練習したと言う人など、いくら初心者とはいえ、そうざらにはないだろう。自分の覚えの悪さと先行きを思うと、まるで細菌の類が培養液の中から天を仰いでいるようなものだ。

 子供なんか、小学1年生や幼稚園児がこの曲を立派に弾くのだ。

 だが、私は子供ではないんだし、立派な教育を受けたピアニストとも違う。独学のオッサンだ。だから、これでいいのだ。

 ともあれ、楽しみにしているピアノだ。これからも折に触れてこの曲をよく練習し、練度向上につとめたいと思っている。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.991

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 今日はお彼岸連休に働いた分の代休だったから、朝からせっせとピアノの練習をした。すなわち、「エリーゼのために」を「その1」にして、完成品にするためだ。

 だが、できなかった。

 朝から数十回にわたって録音を繰り返したが、満足のいく演奏は一度もできなかった。

 ・・・がっかり・・・、すると、思うでしょ?

 ところがどっこい。これで絶望したりがっくりしたりする私ではないのであった。弾けるまで、何百回でも練習だ!!既に、概数千回以上は通し練習をしているだろう。

 私はオッサンであり、物覚えも悪く、才能もない。才能のない頭の悪い人間が、勉強も研究も練習もしなければ、どんどん落ちぶれていくのはわかりきった理屈である。

 早くに自分が愚かであると認定することだ。もし、私に似た人がいるなら、その人は、「私は本来は頭がよく、才能もあり、ただ、少しばかり運に恵まれないのだ、だから不当な地位に甘んじているのだ」などという馬鹿げた妄想から脱却して、愚者の道を歩むことをはじめるべきである。

 返す返すも、若い頃にこうしたことに気付かなかったのは、実に残念なことであった。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.99

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 「エリーゼのために」、引き続き練習中である。

 今日は仕事で疲れてもおり、体調もあまりよくないが、風呂あがりに一杯やって疲れを取り、パッ、とピアノの前に座って弾いたら、平日夜の練習にしてはうまく弾けた。

 いよいよ、仕上げの時期に来た。番号は0.99。1.00になったら、「未完成」「incomplete」の文字を取り去る。

 明日は代休で休み。はたして、明日中に完成できるかどうか。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.98

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 今日は長女が塾に行っていて遅かったから、晩御飯も遅かった。

 晩御飯までの間、疲れたからジンライムなんぞをチビリチビリと含みつつ、だがマジメにピアノの練習。

 いつもの、第2中間部途中の指使いの難しいところ、チト怪しいのだが、平日の持続練習としては、まあ、こんなものだろうと思うので、ともかく練習経過の記録として録音を残した。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.97

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 休みだ。今日も朝からせっせと「エリーゼのために」練習。

 最近、少女エリーゼ(ベートーベンの思い人は『テレーゼ』であったとは定説だが)の姿や心を思い浮かべて弾くと言うことをしていなかったので、この演奏は、少々暗いめの性格のエリーゼ、だが、たまには少女らしくパッと花の様に笑ったり、かと思うとかなり手が付けられないくらい部屋に閉じこもって大泣きしたり、ちょっと成長しちゃったり、そういうエリーゼを想像しながら弾いた。

 もう一息、あとちょっとだと思うのだが・・・。やっぱり第1中間部の左手などに微妙に怪しいところなどがあって、なかなか完全にはならない。