テレビ番組ふたつ

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 昨日の夜録画しておいたテレビ番組二つを見た。

 遠くアフリカに発生したホモ・サピエンスたちが、南は台湾から琉球諸島沿いに日本へ渡ってきた道筋と、樺太ないし沿海州から流入した道筋の二つを取り上げており、面白かった。しかし、当然考えられ得る「朝鮮半島経由のルート」は、意図的かどうかはわからないが、スッポリと捨て去られており、やや不満足な感じがした。

 出場していた若手ピアニストたちが、どの人も爽やかで、本当に真面目にピアノに取り組んでいる様子が伝わってきて、いい番組だった。

DTCP-IPクライアント

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 妻と娘はいつもテレビの前にひしめいている。

 私はあまりテレビを見ない。しかし、たまに見たい番組もある。そういう時に限って愚妻愚娘(ぐじょう)によってテレビもレコーダーも蟠踞(ばんきょ)占有されている。

 子供の頃の私は父母兄弟によってテレビの前から追いやられ、見たいテレビなど見られない立場にあった。大人になってからは十何年もDQN(ドキュソ)屋敷の大部屋で暮らしていたので、そもそもテレビがどうとか言うような生活ではなかった。結婚してからは妻や娘がテレビを見るので、私は見たいものなど見られない。そうこうするうちにテレビなど見たくもなくなってしまい、今度は裏返ってテレビもテレビ局もマスコミも大嫌いになってしまった。

 しかし、ごくたまに見たいドキュメンタリーやドラマもある。年に2、3番組というところか。今夜放映のNHKスペシャル「人類誕生第3集 ホモ・サピエンス ついに日本へ!」は、見たい。

 リアルタイムで見ると途中で便所にも行けないから、当然ハードディスクレコーダで録画だ。しかし、見たい時間帯は愚妻愚娘どもとぶつかる。

 他方、ハードディスクレコーダはPCから接続できる。今時家庭内のLANにつながらないハードディスクレコーダはないので、電気的にはPCとつながっているのが普通だ。加えて、最近のオーディオ・ビジュアル機器には大抵「DLNAサーバ」という機能がついている。私の家のハードディスクレコーダはパナソニックの「DIGA」DMR-BW690という古い機種だが、これにも勿論DLNAサーバの機能がある。

 一方のPCは、これも最初から「DLNAクライアント」というプロトコルがインストールされている。Windowsに最初からインストールされている「メディアプレイヤー」にも、このDLNAクライアントの機能がある。DLNAとは「Digital Living Network Alliance」の略であり、つまり業界標準の映像等共有配信プロトコルと思えばよかろう。

 但し、DLNAサーバやクライアントがあるだけでは、ハードディスクレコーダ内の録画番組をPCで見ることはできない。録画番組の一覧を見ることができるだけだ。自分で家庭用ビデオやデジカメで撮った動画をハードディスクレコーダに移した場合などはそれをDLNAプロトコルで見ることができるが、放送の録画は見られないのだ。これは、「DTCP-IP」、すなわち「Digital Transmission Content Protection – IP」という規格により番組がプロテクトされているためである。このプロテクトがかかった番組をPCで見るためには、正規のコピー制御機能を実装した「DTCP-IPクライアントソフトウェア」をPCにインストールする必要がある。

 このDTCP-IPクライアントにはフリーのものはなく、通常は有料である。とはいえ、1900円とか、そんな値段だから心配はいらない。

 私はネットの評判を参考に、「sMedio TV Suite」というソフトウェアをMicrosoft Storeから入手した。体験版は6日間無料である。

 こうして、愛用のWindowsタブレット「ASUS TransBook T101HA-G128」でテレビが視聴できるようになった。家族一同リビングでくつろぎつつ、しかしお互い別の好きな番組を(いさか)いなくのんびり見ることができるわけである。

読書

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 庭(いじ)りに念入りな近所の家々では百日紅(さるすべり)が咲き始めた。一昨日は今年初めての蝉の声を家の前で聴いた。

 全国各地では停滞する梅雨前線の影響による豪雨被害のために(おびただ)しい死者が出つつある。気の毒だ。亡くなった方の冥福を祈り、またからくも命を拾った方には、なんとか災害から逃れられるよう祈りたい。

 ところが、一体に関東、特に東京周辺は静かなもので、そのギャップに(しば)呆然(ぼうぜん)とならざるを得ない。テレビをつけると、「ワールドなんとか」とやらで、延々とサッカーの試合を中継している。見て面白いものとも到底思えないような――いや、この折柄(おりがら)に大々的に面白がるなぞ不謹慎の極みなのだが――サッカーの中継しかやらないとは、まったく、テレビ屋の無味蒼白で機械的、ロボット的な無責任さに恐れ入る。

 Twitterなどちょっと覗いてみると、無策の政府を非難する声と、サッカーの中継以外に能のないマスコミを非難する声が交々(こもごも)(ののし)り合っている。

 そんな昨日今日であるが、個人が盲動また妄動してどうなるものでもない。垂れ込めて、引き続き開高健「最後の晩餐」を読む。

言葉
ベデカー

 ベデカー(独: Verlag Karl Baedeker)は、近代的旅行案内書の草分け的存在を出版しているドイツの出版社、および、その会社が出版する旅行案内書。

アウフヘーベン

 止揚(しよう)。一度否定し、さらにその価値を高めて昇華させることである。

手沢(しゅたく)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

1 長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。

2 「手沢本」の略。

類語
手垢(てあか)

大谷光瑞

 食通。著書に「食」。

 しかしマァ、ボンボンそのものではあるワナ。そりゃ、世界各地の野食美食のあれこれに精通もできようて。

邱永漢(きゅうえいかん)

 ずぅ~っと、ずっと、「ていえいかん」だとばっかり思っていた。漢字の(へん)が「氐」ではなくて「丘」なので、これは「キュウ」であるはずのものだ。

 しかし、Googleに「ていえいかん」と入れると、検索アシストに「(てい)永漢 (きゅう)永漢」などとたちどころに出てくる上、検索すると「次の検索結果を表示しています: 邸永漢/元の検索キーワード: ていえいかん」などと表示されるから、多分私のように、邱永漢(きゅうえいかん)氏のことを「邸永漢(ていえいかん)」だと思い込んでいる人は多いのではあるまいか。



 郷里では(くや)み事があった。

 小さい頃から可愛がってくれた伯母だ。弔電を打ち、香典を書留で送る。しかし折柄、身動きもならぬ。仕方もなし。

 じっとしているより他ない。夕刻、バタピーなぞで一杯やる。言うなら「乾きて(そうろう)」というところか。黙然。