先週雑想

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サラザールのことなんか思い出す

 世相から「開発独裁」なんてことを連想し、かつてのポルトガルの変人宰相、サラザールのことなんか思い出す。

差別

 ある人との対話なのだが、その人が言うには、

「『崩御』『薨去』などという言葉を使うのは差別である。皇族に敬意を払うのも差別だ」

……だそうな。

 言いたいことはわからんでもないが、私に言わせれば、「生前退位」などといういたわりも奥行きもない言葉のほうがよっぽど差別である。

下手ロビー

 ネットで漁ったところによると、中国・韓国などは、米国議会へのロビー活動を非常に熱心にやるが、わが日本は、これが全くダメなのだそうである。

 日本がこの点で劣る理由は、在米日本人、あるいは日系人コミュニティというものは、中国・韓国のそれに比べると、票田としての魅力がゼロに等しいからだという。

 在米日本関係者の間では、70年前の「日系人強制収容」の記憶が、いまだにトラウマのようにくすぶっており、そのため、政治に容喙(ようかい)することを極力避けようとする心理が働き、ために日本人コミュニティは政治に全く触ろうとせず、消極的だそうである。

 日系コミュニティには何の力もないから、日系議員は支援を得るため、力のある団体にすり寄らなければならず、中国系コミュニティにすり寄って反日活動などする。それで、この前落選して話題になったマイク・ホンダ議員なんてのが出てきてしまうのだそうだ。つまり、議員になるための支援さえもらえるなら、中身なんてどうだっていい、というわけだ。彼らに節操なんぞという言葉は言うだけムダだということである。

 そういえば、往年の名議員、欧州戦線の英雄、亡くなったダニエル・イノウエなんかも、たしか貿易摩擦の頃なんか、反日の急先鋒で有名だったっけなあ……。

マック赤坂

 マック赤坂氏は、ドナルド・トランプ氏にならって、次期大統領選に出馬するのだという。オモロイおっさんやのう。

AI

 もう、憲法はAIで新規作成したらどうかね。アホな人間が考えるより、よっぽど冷厳で合理的に仕上がるだろうぜ。……多分、AIが作った憲法にはさ、「日本人は滅びた方がよっぽど日本のためになる」とかいうミもフタもない条文がこともなげに挿入されているんだろうと思うぜ。

グローバル

 「何がグローバル化だ、グローバル化なんて、所詮『アメリカ化』じゃないか、こんなのでトクすんのなんてアメリカ人だけだろう」……なんて屈折してホザいていたら、アメリカ自身も実は屈折して苦しみ、悩んでいたんだ、ということに、トランプ氏当選で気づかされた。中流未満の白人の不満は、グローバル化経済で生まれたものに他ならない。

バカとか

 人間観測の結果、次のような類型があるように思った。すなわち……

  •  すごく賢い人は、賢い人に厳しく、バカに優しい。
  •  中途半端に賢い人は、賢い人に優しく、バカに厳しい。
  •  バカは、賢い人に厳しく、バカにも厳しい。時々ブチ切れて暴力も振るう。バカどうしで戦いだすと、手が付けられない。
  •  普通の人は、優しくも厳しくもなく、誰にでも「普通」である。

 ……そう言えば、昔、谷村新司のラジオ番組で、「天才・秀才・ばか」というのが流行ったっけな……。リスナーの投稿コーナーで、ある状況に対して天才はこうする、秀才はこうする、バカはこうだろう、というのを言って楽しむわけだ。小学生だったから深夜放送なんか聞いていると叱られたので、生で聴いたことは(ほとん)どないけど、「ワニの豆本」という小中学生向けの流行本シリーズがあって、その中に読者投稿をまとめた一冊、題名も「谷村新司の天才・秀才・ばか」というのがあり、兄がそれを買ったから、私もそれを盗み読みした。

 なんで兄の本を盗み読みしたかというと、私の兄はこだわりの強い精神質の人で、他人が自分のものに触ることを極度に嫌い、それがたとえ兄弟であろうと容赦がなく、私が本に手を触れたりすると暴れたからだ。

 しかし、そんな兄も死んではや33年。この正月に三十三回忌である。

原発避難者へのいじめ

 あまりにもいたましいニュースである。

 こうしたことが起こるたび、対応しなければならない教師は、何の権限も持たされず、あまりにも無力なのではなかろうか、と思うのである。人間的魅力でもって生徒を感化善導し、精神の底から感服させて悪い人間をも悔悟心服せしめる、なんてことは、単なる理想論であり、無茶な空論だと思う。

 と言って、人をいじめるような悪い奴を手当たり次第にぶん殴っていては、これは体罰容認であって、不可である。

 そこで、警察官の武器使用等と同じように、厳密な法定の懲戒体罰権を、司法的に、公務員である教師に与えてはどうか、と思うのだ。

 警察官は拳銃を持っているが、好き勝手にこれを使用することは許されておらず、法定の基準を満たしており、かつ、真にやむをえない場合に限り、限定的に使用できるのだ。教師の懲戒体罰権もこれと同じで、厳格な基準により、いじめなど、威厳をもって戒めなければならない素行の子供を取り扱う場合に限り行使が許されるのである。

 無論、その行使が誤っている場合は、警察官の拳銃使用と同じように、懲戒処分などが下される。

 たまに拳骨を振るってクビになる教師がいるが、そこに何らの基準もなく、反面、少々痛い目にあわせなければわからないバカな子供だって大勢いるわけだから、これは、厳しい基準を設けることでむしろ安全化するのではあるまいか。

言葉
奇貨(きか)

 運の良いイベント。

桎梏(しっこく)

 手かせ足かせのこと。「(しつ)」は足かせ、「(こく)」は手かせ。

マンデート

 Mandate。被委任権限。国連がらみ。

均霑(きんてん)

 平等に利益を得ること。

韜光養晦(とうこうようかい)

 毛沢東の語録にあるという。力をひけらかさないようにし(韜光)、じっと動かず実力を養う(養晦)、というほどの意味だそうな。

ジェイコブ・シフ

 例の、高橋是清と日露戦争の外債の話の重要人物。ユダヤ人。

戒厳令と非常事態宣言

 同じことでも、軍が主導すれば「戒厳令」。軍が主導しないのが「非常事態宣言」。

名刺

オープン/フリーの名刺管理ソフトでいいのがないか、と思い始める。

情けなくてもパシリとして膝を屈し、金を払い続ける

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 次期米大統領ドナルド・トランプの対日政策、特に在日米軍の行方が注目される。アメリカがアジアの軍事バランスのためにこれまでとってきた政策、かつ、日本の軍事力を粉砕するためにとったかつての政策を変える、というのなら、日本としては今後、するべきことをしないといけなくなる。

 こういうことを言うと「即時米軍全面撤退ですかッ!?」などというふうに盛り上がってしまうのは、これはできもしない極論というものだが、では、米軍を駐留させるよりかは、自衛隊のほうが安上りかというと、実はそんなことはない。

 相当ざっくりだが、在日米軍兵力4万4千850人をアジアの鎮石(しずめいし)として置いておくのに、何もかも計算に入れた多い方の値段で見積ると、所謂(いわゆる)「思いやり予算」を含め、その他の経費をも併せて、年に約7千6百億ほどかかっているという。兵力一人あたま、1695万円である。

 一方、自衛官22万7千339人の養い料、武器弾薬、管理したり面倒を見たりする事務官の給料、もろもろ全部ひっくるめて、平成28年は補正を除いた少ない額で言うと、4兆8千221億かかっている。兵力一人あたま、2122万円だ。

 上記にご覧の通り、実は、自衛官のほうがカネは高くつくのだ。しかも、上の計算では、ご覧の通り、米軍を多く見積もり、自衛官を少なく見積もっている。それでもなお自衛官のほうが高い。

 しかも、なんにもできない自衛隊とは違って、米軍は自由自在にあっちこっちを荒らしまわることができる。しかも、在日米軍だけではない、いざ有事ともなれば、援軍が来る。その分まで計算に入れると、自主防衛にはもっともっとカネがかかる。

 それでもなお、「ゼニカネの問題じゃねえ!」ということで、沖縄県民の気持ちを汲み取って、全力自主防衛にするというのなら、憲法を改正し、沖縄県民も反戦主義者も挙げて反対を唱えている「戦争できる国法案」みたいな苛烈な法律を布くしかない。

 そして、日米がたった70年ほど前まで、互いに不倶戴天の敵国だったことを思い出すと良い。たかだかその程度の時間しか経ていない自称友好国同志が、今後100年、200年、300年と友好国でありつづける筈だなどと幻想を持つのはやめたがよかろう。そんなことは誰にも予想できない。相手は気まぐれな国だ。

 日本が独立自存の軍隊など持てば、それは、あの軍事強国・米国にとっても再び脅威となるのだ。その脅威への対応を、米国はやらなければならなくなってしまう。そうなると、日本は米国とも向き合うことになる。もし、日本が国際社会に責任を持っていると言えるだけの、自国の経済規模にふさわしい軍事力を整備したりすれば、それはかつてのように、米国の安全保障をも脅かしかねない化け物に成長してしまう。かつての大日本帝国のような、米国が上手にコントロールできない化け物が、再びアジアに生まれてしまうのだ。

 また、それは、米国も嫌でしょう、と。しかも、日本が再軍備などした日にゃ、中国と朝鮮半島以外のアジアの弱小国は「遠くのアメリカより近くの日本」とばかり、揃って日本についてしまうだろう。

 それは無理というものだ。それほどの覚悟は日本人にはない。多分、永久にそういう覚悟は持てないと思う。かつてそういう覚悟と、その覚悟よりする栄光ある地位を幻想して、そのために一杯人が死に、核戦争まで起こってしまったんだから。

 それならば、今このときをしのぐというそのためだけに、お金を払い続けて、米軍には居続けてもらうしかない。そして、沖縄県民には、ずぅ~っと、反対運動を繰り広げてもらい、米軍人・軍属、および家族には、ず~っと耐え続けてもらうしかない。憲法もそのままだ。自衛隊もそのままだ。摩擦を嫌うには、それしかない。

 そのためには、とりあえずトランプ氏には、膝を屈するより他はないのだろう。

図書館の(そば)でデモすんな!

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 昨日、国会図書館で調べものをした。

 昼過ぎ、突然、図書館のすぐそばで政治活動のデモが始まった。図書館の窓ガラスがビリビリ震えるような大音量だ。国会図書館は国会議事堂と道路を挟んで北隣にあるから、モロに響いて来るのだ。

 迷惑である。うるさい。絶叫しているから音が割れて内容なんかわからないし、しかもそれが延々と続く。

 閲覧室で静かに調べものをしている人たちの間から、嫌なため息が出はじめた。誰に文句を言う事もできない。窓のそばの人たちは耳をふさいでいる。

 外に出てみたら、大きなコーン型のスピーカーを、こともあろうに図書館の窓に向けて、ガミガミと何か訴えている。

 政治的なことを訴えるのに、なんで図書館にスピーカー向けるんだ。

 デモの内容は何か、現政権を許さないとか「アベ死ね」とかそういうことで、私の気持ちにはなじまない。だが、それはいい。何を言おうが、主張しようが、それは自由と言うものだ。私のような右翼のオッサンと考えが違うことは、問題ではない。むしろ、どんどんいがみ合っていきましょう、とすら思う。そのほうが意見がぶつかり合って、十分議論が尽くされ、世の中が良くなるとも思うからだ。

 だが、こっちは整斉粛々と投票に行って、代議士に法律を作ってもらっているわけだ。それを、力と勢力で、しかも図書館に大きなスピーカーを向けて、勉強したり、調べものをしたりしたりしている人たちに不愉快・不快な圧力をかけ、騒音で耳をそばだたせようなどと言うのは、迷惑以外の何物でもない。

 うるさいので、「迷惑だ、うるさい」という気持ちの方が勝ち、腹が立つものだから、彼らが主張する内容にはまったく興味が向かない。参加団体の幟が乱立していたが、なんだか、よく知らない、いかにも暴力活動集団みたいな文字列が染め抜かれていたので、見たら因縁を付けられるのではないかと思い、見ないようにしたから、よくわからない。

(帰ってから確かめると、どうも、このデモだったようで、立っていた幟は何かの労組関連の幟だったように見えたが、よく覚えていない。)

 デモをするなら、もっと南側の、溜池に近い方でやればいいじゃないか。両院議長公邸や、官邸、総理府だって、ソッチにあるでしょうが。そういうことは政治家に言えよ。図書館の窓にスピーカーを向けて怒鳴り立てるなんて、非常識だろ。

 図書館を出て、赤坂の蕎麦屋へ行こうと思って議事堂前を通ろうとしたら、警備中の警察官に「議事堂前はデモで混雑していまして……。遠回りで申し訳ないですが、行って途中で引き返すことになるというのもお気の毒ですので、迂回していただいたほうが結果的に速いと思いますが……。」と言われた。デモに自分の普段の行動を邪魔されたわけで、それでますます腹が立った。

 これでは、「考えが違っても、ひとつ、聞いてみてやろう」という気になんか、ならないではないか。この連中も、「私たちの言う事を少し聞いてみてください」と、ハナっから思ってないのと同じではないか。話を聞いてもらえるような行動と態度を全くとっていないではないか。聞いてほしければ、聞いてもらえる行動をすべきなのじゃないのか。少しも聞いてもらおうという態度をとっていない者が、あべこべに「アベ一派は人の意見に耳を傾けようとしない!」などと、一体なんの戯言(たわごと)だと思って、無性に腹が立った。

薨去(こうきょ)考続

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 昨日、新聞各社の「薨去(こうきょ)」という言葉の用い方の前例を調査し、その結果を書いた。

朝日新聞・昭和20年5月3日のクリップ「ヒ総統薨去」

朝日新聞・昭和20年5月3日のクリップ「ヒ総統薨去」

 調べている最中に気付いたことだが、実はこの「崩御」「薨去」という用語、戦前は皇室の報道のみに使われていたわけではなかった。外国の王族や、貴人政治家等の訃報記事でも、一定の地位以上にある人にはこの「薨去」という言葉が用いられていた。

 ドイツ第三帝国総統・ヒトラーの自決記事にも、この「薨去」が用いられていたのは知る人ぞ知るところである。右のクリップのとおりだ。

 この朝日新聞の記事に限って言うと、比較的事実を伝えることに努めている様子が伺えるが、他の新聞、例えば毎日新聞などは特別にヒトラー死去に関する社説を上げ、ヒトラーの死を悼み、立志伝中の人物としてホメちぎっていたりするから、時代ってうつろうものだなあ、と感じる。右傾きになるのも左傾きになるのも、風向き、潮目の変化はほんの一瞬だ。