そういう消毒は、ないです

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 先月、人間ドックの胃カメラで

「胃壁が萎縮しているから組織を採取して検査する、検査結果は追而(おって)はっきりするが、あなたの年代の人によく見られる逆流性食道炎がないこと、またあなたの年代そのものも考え併せると、まず間違いなくピロリ菌感染による胃壁の萎縮、これに伴う胃液の減少が原因、ゆえに前もって除菌治療の予約をとっておくように」

……と診断された私である。

 あれから1箇月後の今日はその予約日だった。朝早くから病院に行った。

 診察室に入る。胃カメラの時の先生とは違う先生だ。

 先生、私の顔と、私の胃カメラの画像と、ピロリ菌の検査結果らしいデータとを医療用端末の画面で何度もかわるがわる見ては、「ハテ……」と、怪訝な表情を浮かべている。

「佐藤さん、胃カメラの先生には何と言われました?」

「はあ、かくかくしかじかであるから、検査結果が出次第、すぐに除菌治療をするように、と(おっしゃ)ったのですが」

「そうですか……ところが、どうも、あなたの胃にはピロリ菌がいないようです」

「へ!?」

 先生が(おっしゃ)るには、今回のように胃壁から直接サンプルを採取しての「生検」の場合、たまたま採取した場所に菌がおらず、検査から漏れるということも勿論考えられる、しかし、今回の検査では胃の組織を5箇所も摘み取って万全を期している、漏れるということは考え難い、その5箇所全てにピロリ菌は見つからなかった、と言うのである。

「はあ、……では、あの、私はこれからどうすれば……」

「そうですねえ、御心配であれば、他の検査をもう少し試す、というのもありますが、5箇所も組織を採って、全部大丈夫だったわけですから、ねえ……」

 更に聞くと、「(まれ)にではあるが、過去ピロリ菌に感染し、胃が委縮してしまったものの、人体の不思議、その後自然の抵抗力でもってこれに勝ってしまい、ピロリ菌を死滅させてしまうような人もいるにはいる」と言う。

 実際のところ、若い頃は胃痛持ちで、30年ほど前には十二指腸潰瘍を患って七転八倒したこともある私だが、その後禁煙したこともあってか、だんだん軽快し、現在は快調そのもので、胃にはこれと言った自覚症状はない。毎日ストレスまみれの仕事ぶりにもかかわらず、三度三度のめしも美味しく食べている。

「しかし、それにしても、佐藤さんの場合、明らかに胃は委縮していますしねえ……」

「先生、思い当たることとしては、私は酒が好きでよく飲むんですが」

「いや、佐藤さん、ピロリ菌は酒では除菌できんですよ。医学上、そういう消毒は、ないです。

……と先生に笑われてしまった。いや、あの、先生、いま酒のことを言ったのは、私の胃の萎縮は飲み過ぎによるものかも、という意味だったんですが(笑)。でも、言い訳をするのが面倒臭(めんどくさ)かったので、「はあ、そうっすか、酒はナイっすよね、はっはっは」と笑って誤魔化(ごまか)してしまった。

「ともかく、佐藤さんはなんともない、ということでよろしいかと思います。では、今回はこれで……ただ、念のため、今後の定期健診では、バリウムじゃなく、カメラを呑んで毎年確認することをおすすめしますよ、胃壁の萎縮は事実なので。」

 ともあれ、これで先月の人間ドックは、結果として「指摘事項なし」になったということだ。

 めでたいような気もするが、50歳にもなってひとつも悪いところがないというのも逆に格好がつかず、なんだかむしろ身も蓋もない健康体、さなきだに、健康保険が勿体ないような気もする今日この頃だ。

 こうして釈然とはせぬながら、とりあえず無罪放免とは相成(あいな)った次第である。

殷々(いんいん)

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 家から武蔵野線の線路は3、400メートルは離れている。

 だが、黎明には線路の音が殷々(いんいん)と空に響き渡ってくる。