佐藤俊夫
夏衣
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オッサンは生きている。
ふと思ったことだが、日航機123便墜落事故があったのは昭和60年(1985)の夏だった。
当時私は既に自衛官ではあったものの、陸自生徒・陸士長で18歳、当時の生徒中期教育で富士学校に入校中であったから、日航機救助のための災害派遣とは無縁だった。
しかし、先輩には参加した人がおり、凄惨な現場の様子を、後になってポツリポツリと聞かされた。
そんな私がもう60歳だから、当時現場に行った自衛官はもう現職自衛官としては自衛隊に残ってはいまい。60歳の将官はいるだろうが、防大出だと当時まだ高校生か、防大の1年生あたりだから、無論日航機の現場は知らないと思う。
再任用で自衛隊に残っている自衛官の中には、ひょっとすると現場へ行った人がいるかもしれない。だが、いても少しだけだろう。
この記事は、Threadsに書いた記事からの転載です。
「
昔は受検対象も今より狭く、大昔は36歳まで、私が若い頃は40歳で受検しなくてよくなった。ところが、私が40歳になる前に40歳以降も受験しなければならない新制度へ改正されてしまい、結局、私は定年まで毎年のように体力検定を受検する羽目になった。
さておき、土嚢運搬と走幅跳は怪我人が出やすい種目だった。特に土嚢運搬では腰を傷める人が多 “