秋だ目黒だ秋刀魚(さんま)だガーデンプレイスだ

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 昨日「室町砂場」の事など書いて「蕎麦自慢」をしていたら、Facebookで三十年来の旧友F君からコメントがつき、「明日は『目黒のさんま祭り』だ、一緒に行かないか」という。

 実は私は、以前、目黒の職場に10年ほどもいたことがあり、この「さんま祭り」のことには「ちょっと詳しい……」のである。当時は職場の古株だったので、このさんま祭りの事は人によく紹介した。

 ところが……。

 白状してしまうと、私はこのさんま祭りに一度も行ったことがないのだ。さんま祭りは例年日曜日にあるが、自宅から目黒の職場は遠いため、日曜日にわざわざ出かけるのが面倒だったのである。しかし、更に加えて面倒だったことには、望まずして職場の古株だったものだから、しょっちゅう「さんま祭り」のことを他人から尋ねられたのだ。

 で、「私自身は行ったことは実は一度もないんですが」と前置きしたうえで、自分の知る限りのことを調べては人に教えた。それが運悪くというか、「さんま祭りのことなら佐藤さんが詳しいから、聞くといいよ」みたいなことを誰かが言ったらしく、自分が行ったこともないさんま祭りの事を案内紹介しつづける羽目に陥ったのだ。

 さておき、そんな風だった目黒の職場から離れてもう8年経った。さんま祭りの記憶も次第に薄れていたが、畏友F君の誘いとあればこれはもう行かないわけがない。

 改めて記せば、例年目黒では落語の「目黒のさんま」にことよせて、「目黒のさんま祭り」が行われる。主催主体の違いで、二週にわたって似たさんま祭りが二つ催される。いずれも本場宮城沖のさんまを取り寄せ、香ばしく焼き上げたものが無料でふるまわれる。

 今日のさんま祭りは目黒区が実施主体で、「目黒区民祭り」の中に組み込まれているイベントである。

 旧友F君と目黒駅で待ち合わせる。連れだって目黒川沿いの受付窓口へ行くと、手首に整理券になるバンドを巻いてくれる。色分けされ、時間が書かれてあって、私達は正午からの順番になった。

 正午まで暇だから、F君を爺が茶屋のあった場所に案内した。

名所江戸百景・目黒爺々ヶ茶屋
名所江戸百景・目黒爺々ヶ茶屋

 目黒川沿い、「目黒のさんま」の噺のもとネタとなったといわれている「爺が茶屋」という丘がある。安藤広重の「名所江戸百景」の中に「目黒爺が茶屋」という有名な絵があるが、これがまさしくその場所だ。

 現在の地名は「茶屋坂」だ。丘のふもとには清掃工場、丘を登り切ってしばらく行くと、恵比寿ガーデンプレイスがある。

 次のような話が残る。


 目黒は当時、景勝地で、馬の遠乗りや鷹狩の場所でもあった。

 この地に住まいしていた百姓の彦四郎じいさんは、峠近くに茶屋を設け、百姓仕事の傍ら店を切り盛りしていた。

 三代将軍家光が目黒で鷹狩りを行うという。彦四郎は粗相があってはならぬと、その日は茶屋を閉め、ひっそりと家に閉じこもっていた。鷹狩が始まり、にぎやかに勢子(せこ)の声がし、やがてそれも()んだが、どうしたわけか茶屋の前に人声がし、多くの人がたむろしているようだ。

 そうと見る間に、茶屋の戸をがらりと開けてつかつかと入ってきたのは征夷大将軍徳川家光その人であった。驚きいぶかしむ彦四郎に、将軍は親しく「茶を所望する」と声をかけた。

 しかし彦四郎は困惑する。百姓町人に供するような渋茶しかないのだ。どうしようかとまごまごしていると、将軍は「よい、(じい)、普段出しているのとおなじ茶でよいのだ」と闊達(かったつ)なことばを彦四郎にかけた。

 それでも、いつもより丁寧に茶を淹れ、おそるおそる差し出せば、将軍もこだわりなく、喉が渇いていたのでもあろう、熱い渋茶をうまそうに飲み干して、

 「爺、これからは遠慮なく、鷹狩の時も店は閉めずともよいぞ」

 と言って立ち去った。

 それから家光はあるじ彦四郎の純朴さを愛してたびたびこの茶屋を使ったという。

 また、八代将軍吉宗の時代にも、この茶屋はあった。家光の頃から50年~60年以上も経過しているから、茶屋の主彦四郎も、息子か、孫であったのだろう。吉宗も彦四郎にことばをかけては、茶代に銀1、2枚を下し置くのを例とするようになった。歴代の将軍や大名も、それにならい、目黒筋の狩猟や参詣にはよくこの茶屋を利用するようになった。

 十代将軍家治も親しくこの茶屋を使った。

 あるとき、いつものように将軍が茶を喫していると、なんとも言えぬ良いにおいがただよってくる。

 「(じい)、このよいにおいは何か」

 「はい、これは手前どもの昼餉(ひるげ)の、『田楽』の味噌が焦げるにおいでございます」

 「ほう、『田楽』とは聞きなれぬ。どのようなものか知らぬが、いかにもうまそうな香りである。どれひとつ、これへ持て。」

 恐縮しつつも焼きたての熱い田楽を差し上げると、うまそうにそれを平らげた将軍はその味をほめ、ことのほか満足の(てい)で茶屋をあとにした。

 ところが、その後の鷹狩の際、「あのうまい田楽なるものをば、この(たび)はぜひ供の者どもにもふるまうべし」と将軍の仰せである。その数たるや、なんと100串。

 彦四郎は大慌てで、方々からかき集めて豆腐をあがない、必死になって田楽味噌を摺り、囲炉裏の火をかきたてて、汗だくになって次から次へと田楽を焼き、やっと将軍の思し召しに(たが)わずにすんだという。


img_4678 落語の「目黒のさんま」は、この田楽の話を秋刀魚(さんま)に翻案したのではないかと言われている。

 どちらかというと海から遠く、鷹狩りを催すほどの丘にあった当時の目黒で、秋刀魚が名産であるわけがないのだが、そこをうまく使って落とし噺にしたのが「目黒のさんま」だ。

 このあたりの実際の話は、右リンクバナーの「東京今昔探偵」という本の中に、爺が茶屋の(あるじ)彦四郎の子孫、島村七郎氏から聞き取った、ちょっとした実話が載っている。

 ガーデンプレイスでコーヒーなぞ飲んで時間をつぶし、またゆっくりと会場に引き返す。おりから小雨交じりの曇天ではあったが、会場からはさんまの煙が威勢よく立ち上っている。

img_4680 整理方法が計画的に工夫されているようで、大して並ぶわけでもなく、整理券さえちゃんと貰っておけばスムーズに会場に入れる。

 地域の人たちが何百もの秋刀魚をどんどん焼きたてていて、その様子は壮観だ。

img_4682 焼き立ての秋刀魚をひとつ貰う。

img_4683 うまい。実にうまい。(はらわた)まで全部平らげてしまった。

 ビールを飲み、至福の見本のようになる。

img_4707 すっかり出来上がって、F君とフラフラほっつき歩き、再び茶屋坂を登って、恵比寿駅前の「おっさんホイホイ」系居酒屋の前あたりなんぞをひやかす。

 そうするうち、それはそうとビールならこうでしょう、というわけで、再び恵比寿ガーデンプレイスまで、JR恵比寿駅「atré」のエスカロードに乗る。

img_4697 ガーデンプレイスでは「恵比寿麦酒祭り」というのを開催中で、これがまた、さんま祭りの客を大いに取り込み、大変な盛況である。

 F君と雑談などしつつ、ヱビスビールをたっぷり楽しむ。店をかえ、更に飲んだ。

 日暮れ。一日、少々ぐずついた空模様ではあったが、傘なしでも濡れるというほどではなく、日に照られずに済んでかえって涼しくて良かった。

 旧友F君の誘いで、秋の一日を楽しく過ごすことができた。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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