尾籠(びろう)】和のかたち【注意】

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 今朝の通勤電車でのことだ。尾籠(びろう)な話で恐縮だが、「大」をもよおしてしまった。家でちゃんと済ませておいたのだが、昨夜辛いものを沢山食べたのが応えたようで、電車に乗ってからどうも腹がおかしくなりだしたのだ。仕方がない。西新井の駅で電車を降り、男子便所に駆け込んだ。

 だが、先客がいた。浅黒い(はだ)の若い外国人だ。

 その外国人は便所のフロアに立ちつくしていた。それは混み合っている個室が空くのを並んで待っているように見えた。ところがそうではなかった。彼の肩越しに眺めると、二つある個室のドアはどちらも開いている。

 外国人はその個室の内部を複雑な表情で見つめている。じっと打たれたように、かつ愕然としたような、むしろ凄惨にさえ見える笑みをも浮かべて、二つの個室の内部を交々(こもごも)注視している。

 暫時(ざんじ)あって、彼は意を決したように(きびす)を返し、私と行き違って逃げるかの如く足早に出ていった。

 ふと、臭う気がする。

 なんだろう、逃げるほど便所が汚れているのかな、ひょっとして便器にウンコでも残っているのかな、それが臭うのかな、朝っぱらから嫌だな、と、恐る恐る個室内部を覗いてみたが、便器が多少古びて傷んでいる程度で、特に不潔というほどのこともない。

 垣間(かいま)感じた臭いも消えている。

 私も差し迫っていたから、彼と臭いのことはもう放っておき、私は私で、空いている個室に入ってのんびりとしゃがみ、下半身の解放感からもたらされる幸福をゆっくりと味わった。

 そうしつつあるうち、ふと気づいた。この便所は、和式だ。

 なるほど、ははぁ、今の男はおそらく、和式を使いつけぬ国の人なのだ。

 そこに気が付くと、あの複雑な表情が気の毒になった。彼らの尺度を推しはかって想像するに、あれは差し迫る便意と、このように下品で催嘔吐感的(ディスガスティング)なものに座るところにまで自分を落とさなければならないこととの(はざま)の、闘いの表情だったのであろう。

 ああもうダメだ漏れるっ、けど、なんてことだこの野蛮な便器は。床面にしゃがんで出せってなんなんだよコレ!だけどママ許して、ボクうんこ漏らしたりなんかするより野蛮な日本人みたいにしゃがんでするほうを選ぶよ残念だけど。いつかボクが国に帰っても、そのせいでボクが神様に背いたと言って責めないで。ママが悪いんじゃないんだ、神様もきっとこの下等な便器とそれを作った日本人を罰してくださるはずだよ、ボクはきっと許してもらえるよねママ?!……って、こんな便器でウンコできるかンダラぁあああっ!もう俺、漏らしてやるうう!所かまわずブッ放してやるよおおおおおッああッそうだよ!!満員電車の中でなあァやってやんよおらあああァ腹いせと神をも恐れぬこんな不届きな便器を作りおった日本人への懲罰のためになあああおおゴッド、ゴォオオッドぉおぅぁおあ!それは全部こんな便器作った日本人が悪いんだァアアア漏れるっママボクもう帰るよーっ仮に漏らしてしまったら漏らしちゃったボクはもう元のボクじゃないそうさボクは神様のエージェントさあああっああっもうダメもう漏れるああああああっ神様のエージェントに昇格したボクをママだけはきっとほめてママぁあああ~~~!。

 ……という、彼の感情と体感の奔流がテレパシーのように私の脳に直接伝送されてきた。もし今の彼に権力があったら、おそらくは東京に水爆をブチ込んで地獄絵図を現出させたに違いない。だが、私たち無力な日本人にとって相当幸運なことに、どう見ても彼は権力者のようには見えなかった。

 やむを得ないと言えばやむを得ない。また、彼を笑うこともできない。ほんの20年ほど前に中国へ旅行した日本人だって、あのものすごい中国の公衆便所を垣間見てはとてもこんなところでクソなんかできないと、半泣きになって駆け回ったものだと言うではないか。今立ち去った男の国では、日本人にとっての中国の公衆便所のように、和式便所なんて信じられない程下劣かつ下等なものなのであるに違いない。

 その後、彼は無事に洋式便所を見つけて脱糞できたのだろうか。ひょっとして満員電車内で漏らしてしまい、ママの名を呼んで泣いてしまったかもしれない。どっちにしても彼にとって今朝は人生の一齣(ひとこま)として意義があったことだろうと思う。そう、平凡な日常にもこういうドラマツルギーってものがなくては、さ。アイツも和式便所に遭遇したお陰できっと人生が豊穣なものに変貌し、彼の神をますます信じることになったにちがいなかろうて。

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