昔日の水都

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 「昔日や……」と一句詠みました。

 かつて大江戸の八百八町(はっぴゃくやちょう)に対して、大阪は八百八橋(はっぴゃくやばし)と言われ、商業が盛んだったことから水運がよく通り、ために「水都(すいと)」というと大阪の異称でした。

 私の生まれ育ったのは堺市で、どちらかというと「水都」というのは大阪市内のことですからそのまま故郷が水都というのもどうかと思いますが、昔の堺市は鉄砲や刃物を扱う商人町で、町周りには自衛のための(ほり)を巡らせ、町人の自治が認められた特殊な町でした。また数多い天皇陵や古墳は濠に水を(たた)え、溜池も多く、室町時代には渡来した宣教師をして「東洋のベニス」と言わしめた町ですので、水都を称しても差支えないか、と思い、一句詠んでみたものです。

 ちなみに堺の自治は太閤秀吉に掣肘(せいちゅう)され、その頃に自衛の濠は埋められてしまい、有名人の千利休は腹を切らされ、大坂夏の陣では全焼して全滅、時代が下って戦前には数多くいた刃物商も戦時の鉄材供出で商運が傾き、空襲でも丸焼け、けっこう踏んだり蹴ったりかもしれません。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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