新年にあたり妻がトイレのカレンダーを取り換えた。平日の朝など、トイレに入っていると日にちが気になることがあるもので、カレンダーを掛けておくと便利なのだ。
新しいカレンダーは、格言、名言が週捲りになっている。百円ショップなどでよく見かける、特段珍しくもない商品だ。例年そういうものを選んでいる。その1ページ目、1月第1週に、「人間到る処青山あり」と書かれてある。それはいいのだが、振り仮名が振ってあって「人間到る処……」となっている。
ああ、これは違う。
これは人間と訓んでは駄目で、「人間」と訓むのだ。人間と人間は違う。「人間」は単に人の事を言うが、「人間」とは多くの人間からなる世の中のことを言うものだ。社会と言ってもいいかも知れない。日本語には単数形・複数形の使い分けがないが、「人間」は単数形、「人間」は複数形に近い、とも言い得る。
言わずと知れたことだが、この言葉の出どころは、幕末の僧・月性が詩した次の七言絶句である。
将東遊題壁
男兒立志出郷關
學若無成死不還
埋骨豈期墳墓地
人間到處有青山
将に
東遊せんとして
壁に
題す
男兒志を立て
郷關を
出ず
學若し成る無くんば死すとも
還らず
骨を
埋むる
豈に期せんや
墳墓の地
人間到る
處青山有り
(訓読 佐藤俊夫)
この詩には幾つかの異伝があり、2句目を「學若無成死不還」ではなく「學若無成不復還(学若し成る無くんば復還らず)」としたり、3句目を「埋骨豈期墳墓地」ではなく「埋骨何期墳墓地(骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地)」としたりするものもある。真作がどうなのかは、どうもよくわからない、というのが正直なところらしい。
「青山」は早く言えば墓地であることは言うまでもない。詩は死に場所を選ばぬ不退転の心、決意を表白している。
若い頃は、この詩を読むと「古風だなあ」と感じたものだが、50歳になった今読むと、むしろ清新な、競い立つ青春の香りを感じる。この詩を作った時の月性は27歳であったという。勤皇の志士、釈・月性もまだ若かったのだと思う。