いつぞや、「止むを得ない」を「やもうえない」と書く人がいる、というのが話題になった。
ある種の人は言葉を耳でばかり覚える。それを書き言葉にするものだから、聞いたままが文字になってしまうのだ。「雰囲気」を「ふいんき」などと書く
それをまた、「止む」というNotと、「得ない」というNotの、二重否定が分かりにくいから耳で聞こえたままを使ってしまうんだ、こういう判りにくいところがあるから日本語はダメなんだ、それが国際競争に負ける遠因だ……などと、日本語否定の方向にイッちまう人もあるが、これはまあ、
まあ、確かに「しなくもない」とか「ありうべからざることとは考え難い」、「見てやらぬでもない」などという表現に嫌悪を覚える向きもある。こういう言い方をされるとそこで少し考えないと飲み込めないので、迷惑だ、と言うのだ。
逆に、言葉を耳で聞くのには、「聞く力」というものが必要だと思う。上のような言い方をされてすぐに自然に飲み込めるかどうかは、そういう言い方をする人と普段会話をしているかどうかによる。
「聞く力」には、
店員さん 「宛先はどういたしましょう」
客 「ああ、『上』でいいです」
……というやりとりの後、宛先に「ウェディ様」と書いた、というネットの笑い話があった。
これなど、領収証やレジのやりとりにまつわるコンテキストに出てくるべき言葉を知らないから起こった笑い話と言える。「上でいいです」と言ったのが「ウェディです」と耳に聞こえるのは、「上様」という言葉を知らないからだ。いうなれば、語彙というのも「聞く力」の一つだ。まあ、この客の滑舌が悪くてウェディに聞こえたのかもしれないが……。