西鋭夫が嫌いだ。
個人がどんな方なのかなど全く知らないので、知らないくせに嫌いもへったくれもないだろう、という気もするが、私が嫌いなのは個人とは遊離した「西鋭夫というコンテンツが嫌い」と言えばより正確で、人格を排撃しようなどというつもりはない。なんとなくだが、個人は多分、賢い、いい人なんだろう。
だが、嫌いなものは嫌いなのだ。嫌いな理由を論理的に説明しろなぞ、人参が嫌いな子供に嫌いな理由を問うようなもので、掘り下げたところで面白くもクソもないが、日曜日で時間があるから、嫌いな理由を無理に考えてみた。
本当の侍なら、「西鋭夫氏はCIAの招聘を義によって蹴り、相手をして『西鋭夫こそラスト・サムライだ』と言わしめた」なんてコッパズカシイことを、まるで良心的な他人が伝聞したかのような筆致で自分で書くか書かせるかなんぞ、せんだろう。そういうことはしゃべくり散らかしたりなんかせず、自分の胸にしまっておくのではないか、本物の侍だと名乗るならば。
百歩譲って依頼した広告屋がこんな案文を「西先生、紹介文はこれでよろしいでしょうか」なんて言って持ってきたら、「キミ、これはダメだよー(苦笑)」って、取り下げさせなきゃさー。
そういうことを書くことが「無知蒙昧な一般読者を獲得するための惹き文句になる」と考える粗雑さも嫌だ。
「上から目線の感度の低い爺ぃセンセイ」みたいな臭気が紛々と漂っているのが気持ち悪いのだ。
だいたい、気づいていただけるだろうか。「侍」じゃなくて、「サムライ」だぜ?
昭和の歌謡曲じゃあるまいし、カタカナで「サムライ」なんて書かれて、みなさん、恥ずかしくないか?バカにしてんだよ、結局は侍って存在や価値をさ。それに、日本の人口の圧倒的大多数は農民で、侍なんてごく一部しかいなかったんだからさ、それを最も尊重すべき日本的価値の褒め言葉みたいに言うなんざァ、ちゃんちゃらおかしくって屁も出ねェわ。