今日、夕焼けがあんまりにも赤いので表へ出て写真を撮ったのだが、その時、「月が青いな」と感じた。
右の写真には月は写っていないが、しかし、青かった。
正直、これまで月が青いと感じたことは、ない。ただ、「月が青い」との慣用表現に自分の感覚視覚を無理にあてはめ、「青い、かなあ……」などと納得しつつも、「月の色は黄色だろ」と子供の頃から内心では否定していた。
これは「青洟」も同じだ。人間の肉体から出るものが青いわけはない。洟汁が青く見えたことなんか私にはなく、どれもこれも「黄色だろ」と思えた。しかし、黄洟なんて言葉はない。一方、黄水という言葉はある。黄水というのは、言わずと知れた胃液のことである。
黄水、と聞いて尿を思い浮かべるなら、それは語彙に乏しいと言わざるを得ないが、しかし馬鹿にしてばかりもおれぬ。無知純粋の奥さんが赤ちゃんを授かり、テレビの紙襁褓のコマーシャルを見て、「乳児の尿は青いもの」と思い込み――さもあろう、テレビのCMでは生々しい不潔感を幾分かでもやわらげようとしてか、紙おむつの表面にコップの水をぶちまけ、その吸収力をアピールしようとする際、そのコップの水は鮮やかなコバルトブルーに染められている――、血相を変えて病院へ駆け込み、「お医者さま大変です、ウチの赤ちゃんのオシッコが青くないんです!!」と訴えた例もあるという。
ま、そういう人は多くはあるまいが、「赤」ちゃんに「青」水とは、鬼でもあるまいし、呵々、……と書いては冷た過ぎようか。
さておき、ところが、今日、夕焼けの中に浮かぶ十一夜の霞み月は、本当に青かった。周りが赤いから、何か視覚にバイアスが加わって、それで青く感じたのだろう。
戻ってからの連想で、「月がとっても青いから」を思い出した。
これを唄った菅原都々子氏は、今どうしているのかな、とネットで見ると、90歳を超えてなお意気軒昂であるという。
時々NHKの懐メロ番組で見るが、私が子供の頃でさえ、既に懐メロの大御所であった。
しかしまあ、大御所であるだけに、唄い方も味わいというか、なんというか……。
私などは、青洟、黄水、赤い夕焼け、などと聞くと、どうしても「RGB」という頭文字語を思い浮かべてしまう。Red、Green、Blueの略であるが、ここには「黄」はない。3原色を赤青黄とするか赤緑青とするか、これは光の三原色、色の三原色、加法混色、減法混色、……そのあたりのことであり、そこには特段蘊蓄も論ずるべきものもない。
プリンタのインクを買い込む際には、「CMYK」とて、「Cyan・Magenta・Yellow・Key plate」の4色を買うが、これも3原色とは微妙に異なる。「K」を日本語の「黒」と理解すればわかりやすいが、それなら「CMYB」と言うべきで、ところが「B」はBlueと間違える。まったく英語はややこしい。