読書

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 60年前の古書、平凡社の世界教養全集第3のうち最後の著作、亀井勝一郎の「愛の無常について」を読み終わった。

 「考えることから死ぬことまで」と題された一節のうち、「自分の言葉をもつ」という部分に共感を覚えた。

言葉
者流(しゃりゅう)

 長いこと()みを知らずにいた。20年ほど前に読んだツヴァイクの「マリー・アントワネット」(岩波文庫)の中に「扇動者流」等と言葉が出ていて、読み方がわからなかったのだが、当時調べ当たらず、「扇動者(せんどうしゃ)ども」と訓むものとばかり思い込み、20年が過ぎ去ってしまった。

 今、ネットで改めて検索すると、単純に「しゃりゅう」と訓めば良いと知った次第である。

(『愛の無常について』(亀井勝一郎)から引用。他のBlockquoteも特記しない場合同じ。)

……いや青年のみならず、悠々たる徘徊を事とする壮年者流も、その反面においては「最後の攻撃」をつねに準備しているものです。

熾盛(しじょう)

 「しせい」とも。

「弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。……

国宝・十一面観音菩薩立像(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)

 この著作は著者の該博な西欧文化の理解とキリスト教に関する素養を基礎に人間というものを研究していくが、後半以降に至って、急転直下仏教、とりわけ親鸞の説くところへ傾倒していく。その点で倉田百三にも似る。しかし、倉田百三ほど女々しくなく、さすが壮年以降の著作である。

 その中で、奈良・法華寺の十一面観音菩薩立像に見る信仰と芸術の対比を、キリスト教、とりわけ旧教の信仰とルネッサンスの芸術との対比と並べ論じるところがある。

 十一面観音菩薩立像は、当時天竺の仏師文答が光明皇后に似せて刻んだものであるという。

 引き続き「世界教養全集」を読む。

 次は「第4 三太郎の日記 第一/生活の発見/若き人々のために/愛、愛よりも豊かなるもの」である。

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