自衛隊の戦い

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 私は自衛隊にいた40年もの間、ミもフタもない端的な言いかたをすれば、人殺しの仕方を一貫して鍛え続けていたわけであるが、どの自衛官もそうであるように、それによって人を殺したことはない。

 だがしかし、そうやって対人戦を鍛え続ける一方で、自衛隊は常に人ではない他の何かと戦っていて、今もそれは続いている。

 思いつくまま挙げれば「ウイルスとの戦い」「牛との戦い」「鶏との戦い」「トドとの戦い」「鹿との戦い」などがある。

 こうした人外のものどもとの戦いの中には、珍しいところでは「貝との戦い」などというわけのわからない戦いもあった。これらについては「自衛隊 災害派遣 鶏」とか、「自衛隊 火炎放射器 貝」などのキーワードで検索して下さればたちどころに内容を知ることができると思うので、ここでは述べるまい。

 人外のものどもとの戦いの他に、「現象」との戦いもあって、これはわかりやすいから一般の方々もよく知っている。「巨大台風との戦い」「巨大地震との戦い」などは実際のところ今までにもよくあり、私も数多く作戦に投入された。関連して、現象というより「物」であるが「堤防との戦い」という珍しい戦いがかつてあった。この戦いについては「自衛隊 多摩川 堤防 爆破」などのキーワードで検索するとわかる。残念ながらへっぽこな負け戦であった。

 「物」との戦いでは、珍しいところだと海上自衛隊が昭和40年代の終わりに東京湾で繰り広げた「無人巨大タンカーとの戦い」というのがあり、ここではこれを簡単に述べたい。なお検索したい向きは「第十雄洋丸事件」で検索すればその全容を知ることができるだろう。

 あらまし、この戦いは、東京湾で巨大タンカーが他のタンカーとの衝突事故のため爆発、炎上を始めたことに端を発する。

 乗組員たちは焦熱地獄と化したタンカーに留まることなどできず総員退艦、無人となったタンカーは爆発炎上しながら東京湾を漂流し始めた。もちろん海上保安庁その他の司直も手をこまねいていたわけではなかったが、火災と爆発の規模が大きすぎ、消火船が近寄ることも難しく、このままでは川崎市のあたりに接岸し、街が火の海に飲み込まれてしまう恐れがあった。

 そこで、防衛庁長官(当時)の命一下、敢然、海上自衛隊・自衛艦隊が麾下の護衛艦隊を出動させた。すなわち、「炎上して手の付けられぬ巨大タンカーを撃沈せよ」というのである。

 護衛艦隊は水も漏らさぬ陣容を整えて会敵、砲撃・雷撃はもとより、航空機による爆撃やロケットによる射撃までまじえ、日夜鍛えた手練の各種火力をこれでもかと巨大タンカーに叩き込んだ。

 しかし。

 そもそも火力というものは目標を爆発炎上させるためにできている。海上自衛隊の必中火力を次々に喰らった巨大タンカーは、ますます火勢を強めて爆発炎上しはじめたばかりか、中途半端にあちこちに破孔が開いたためにそこから積荷の油が漏れて軽くなり、沈むどころか喫水が上がって更に猛烈に燃え上がってしまったのだ。

「かっ、艦長おーっ、敵艦は更に炎上、炎の高さ100メートルに達しましたっ!!……どっ、どどどどうするンスかこれぇえええ!!」

「当たり前だバカー!こうなることははじめからわかっとったろうがー!!」

「だって艦長だって何も言わなかったじゃねいっスかあああ!!」

「やかましい、抗命する気かアホー!!ヤケクソだ左舷砲戦、砲斉射、あげて全門撃ち方はじめえええ!」

「ひぃいいい!か、かかか艦長ッ、おお、落ち着いてくださいぃいいい!!」

 現場はもはや阿鼻叫喚のるつぼ、指揮官・上層幕僚は無論のこと、自衛艦隊司令官の苦悩いかばかりか。

 こうして海上自衛隊あげての攻撃もものかは、火勢を強めたまま海辺の人里近くに接岸し大被害をもたらすかに思われた巨大タンカーだったが、さすがに20日間も燃え盛り続けた挙げ句可燃物が尽き、ついに太平洋の底に沈んだのであった。

 以上が「巨大タンカーとの戦い」である。私は話を誇張したり、適当に書いたりしているので、より正確な情報を知りたい向きは、ぜひ防衛省の公式情報やWikipediaの記事などをお読みになって頂きたい。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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