祝いまつれ畏みまつれ13日の金曜日

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PHM04_0714 キリスト教が嫌いである。

 であるにもかかわらず、クリスマスにはクリスマスツリーを飾って子供にプレゼントをやるという、思えば私も変ちくりんな仏教徒である。

 さておき、昨日は13日の金曜日であった。ゴルゴダの丘に磔刑(たっけい)のあった日ということで、この日をキリスト教徒は忌み嫌うという。その嫌い方は、日本人が病院の病室番号や車のナンバーに「四」(死)や「九」(苦・柩)を嫌うのと同じくらいに縁起を担ぎ、いろいろな番号に「13」が入るのを避けるのだという。

 しかし、変じゃないか?

 キリストは磔刑にかけられて、確かに母や友の眼前で苦しみ死にしたが、それは人間・ナザレのイエスその人の災難であって、救世主(メシヤ・キリスト)の立場でなら、それは聖なる事象であるはずだ。磔刑あってこそ敬虔なる復活の聖蹟があったわけだし、石抱き十露盤(そろばん)とか獄門台などと同列の拷問道具である「十字架」は、今や陰惨な責め具の位置をはるかに遠く離れ、キリスト教の聖なるシンボルになってさえいるではないか。

 してみれば、キリスト教徒は13日の金曜日を花火を上げて祝ってもいいくらいで、むしろ祝祭日ではいか。なぜ聖人の聖人たるべき所以の日、神の神たるべき聖なる日を忌み嫌うのか。まったく、キリスト教徒ってやつは、意味がわからん。

 まあ、そのまた逆に、こうしてキリスト教が起こったからこそ、いまだにキリスト教徒はイスラム教徒と戦争で殺し合いを続けなければならず、もともとそんなことに無関係であった日本でさえもがそのお先棒を担ぎかかっている昨今の世相を考えれば、確かに、人類にとって不吉な日かもしれないが……。

 ちなみに、Wikipediaにはこれは俗説であると書かれている。

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