読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第14巻、「新文章読本(川端康成)/日本文芸入門(西尾実)/世々の歌びと(折口信夫)/俳句読本(高浜虚子)/現代詩概観(三好達治)」のうち、三つ目の「世々の歌びと(折口信夫著)を、帰宅後の自宅で読み終わった。

 自ら歌人として著名な釈迢空折口(しの)()が、万葉以前、文学以前の歌から明治の歌までを一挙に概観するという本である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第14巻「世々の歌びと」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.151より
今はとて影をかくさむゆふべにも 我をば送れ。山の端の月 (玉葉集巻十八、二四九三)

此歌もはっきりしている。はっきりし過ぎている。ただ「影をかくさむ」と言うのが、月の事を言っているのか、自分の事を言っているのか、直接には来ない所があるが、月の縁語――かげを使っただけなのだから、身を隠すということはわかる。此が遁世することなどでなく、死ぬる事を言っていられるのだとすれば、亦もっとはっきりして来る。此以上はっきりしたら、歌の持っている空想がなくなって、この歌としての、又その頃の歌としての表現の特徴をも失うであろう。

p.152より
窓近き竹の葉 すさぶ風の音に、いとど短き うたたねの夢 (新古今集、三、二五六)

此歌には、恋愛の気分が這入っている。

 ……。いや、わからんわー、……と思った。

p.158より

何れにしても、社会において、一流人として女性が認められぬ間は、其文学も、一流の水準にはのぼって来ないのである。

p.209より

子規という人は、健康であったら、可なりうるさい人であったろうと思われる。

p.210より

鉄幹に比べれば短命であった子規、題材の範囲の狭かった子規、彼が佳作を残すことが少かったのが当然であり、其が又、彼の価値を鉄幹より低めなかった理由である。高市黒人の作物は、十数首に過ぎないが、殆、すべて名作であり、この為に傑作の多い人麻呂に比べて、どちらが高い作家だとは定められないのと同じである。

p.219、池田彌三郎による解説より

 日本短歌史とは、ある意味では、日本文学史のバックボーンともいうべき意義を持っている。本書はそのもっとも平明な、具体的な記述であって、折口学説の立論の根拠にある、解釈・鑑賞の具体的なたしかさを ((ママ))読みとるべきものであろう。

言葉
陳套を極める

 「陳ぶ」と書いて「のぶ」の他に「ならぶ」とも()むこと、「套」は「外套(がいとう)」という言葉から想像が付く通り「重なる」という意味があることから、「陳套(ちんとう)」とは平々凡々と決まり切ってつまらないものが重なって並んだ様子、古臭い様子を言う。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.204より

宮内省派の人々も、実は其をしようとしたのだが、古典の教養の乏しさから、其が一々低俗になり、又新しさも卑俗な程度にとどまり、其に附随して奏でる調子も、陳套を極めたものであった。

 次は引き続き第14巻から「俳句読本」(高浜虚子著)を読む。言わずと知れた

遠山に日の(あた)りたる枯野かな

……の、あの高浜虚子による俳句論である。

 私の趣味は俳句を詠むことだが、実は、恥ずかしいことに、こうしたまとまった俳句論を読んだことがない。そのため、読むのが少し楽しみである。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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