読書

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 私はあまり乱読はしないほうで、入手した本は一冊一冊、直列に読む。

 しかし、このところ、私には珍しく2冊を混交しながら読んでいる。

 ひとつは最近ずっとこのブログにも書いている平凡社の「世界教養全集」全38巻で、今第14巻を読んでいる最中だ。もう一つが左リンクの「存在の耐えられない軽さ l’Insoutenable légèreté de l’être(仏) Nesnesitelná lehkost bytí(捷)」(ミラン・クンデラ Milan Kundera 著、千野栄一訳)である。

 帰宅後の家で読んでいて、今日、夕食後に読み終わった。

 突然、普段読まないヨーロッパの小説なぞなんで読みたくなったのかと言うと、ある尊敬()(あた)わざる知人がこの本の中の興味ある個所を紹介していたことがあって、その箇所が気になっていたからだ。

 実は何年も前から気になっていて、その頃その人は私の職場にいた。私は買いたい本の書名を Google の ToDo に入力して、買ったり読んだりするとチェックしている。ところが、本書だけが何年もチェックされないまま、ずっとリストの上の方に表示されたままになっていて、――なぜそうなったのかというと、単純に他の本を先に読んでいたからだ――、その知人も定年で職場からいなくなり、この本の書名が ToDo のチェックリストの一番上に残り続けた。

 去る3月2日、職場の帰りに本屋へ立ち寄った時、ふっ、とこのことを思い出し、気になって書棚を探したらあったので、買った。

 この本は、カバー裏には「究極の恋愛小説」とカテゴライズが書かれている。読んで見ると、「いや、果たしてそうか?もっと社会的な味付け、人間論的な味付けもされていないか?」とそのカテゴライズに首をひねるところもある。ただ、私が興味を持つきっかけとなった、知人が紹介していたその箇所は、恋愛などとは程遠い、また作品全体の筋書きともあまり関係はない挿話――とはいうものの、テーマには大いに関係があり、考え込まされる挿話――である。

 作者のミラン・クンデラは旧チェコスロバキアないし現チェコの誇る大作家で、代表作と言えば何と言ってもこの「存在の耐えられない軽さ」が筆頭に挙げられるようだ。長いこと亡命生活を送り、この作品も母語チェコ語ではなく、フランス語で(あらわ)されたそうである。本日現在91歳でまだ存命であり、亡命中はチェコの国籍を剥奪されていたが、今はチェコ国籍を回復しているという。

 作品は所謂(いわゆる)「プラハの春」「チェコ事件」の頃のチェコスロバキアとヨーロッパを舞台にしている。

 読んで見て、現代の男女同権、ジェンダーフリー、SDGsの潮流や思想からすると、この小説を不愉快とする人も多くいるのだろうな、とも感じた。なにしろ、昔の小説だ。

気になった箇所
「存在の耐えられない軽さ」
(集英社文庫、平成10年(1998)11月25日初版、ISBN978-4-08-760351-4)より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.7より

 つい最近のことだが私は信じがたい感情にとらわれた。ヒットラーについての本をパラパラやっていたとき、何枚かの写真を見て、感動させられた。私に自分の少年時代を思いおこさせたのである。私が少年時代を過ごしたのは戦時中であった。親戚の何人かはヒットラーの強制収容所で死んだ。でも、ヒットラーの写真が私の失われた時代、すなわち、二度ともどることのない時代を思い出させてくれたのと比べて、あの人たちの死は何だったのであろうか?

 この箇所は、「存在の耐えられない軽さ」という表題の、ある角度からの解説になっていると思う。

p.127より

彼女は共産主義であろうと、ファシズムであろうと、すべての占領や侵略の後ろにはより根本的で、より一般的な悪がかくされており、こぶしを上につき上げ、ユニゾンで区切って同じシラブルを叫ぶ人たちの行進の列が、その悪の姿を写しているといおうと思った。しかし、それを彼らに説明することができないだろうということは分かっていた。そこで困惑のうちに会話を他のテーマへと変えたのである。

p.231より

 しかし、それはただうぬぼれからだけではなかった。それ以上に経験のなさからであった。誰かと向かって座っているとき、相手が感じのいい、敬意を持った礼儀正しい人だと、話していることには本当のことは何もない、本心から考えられたものは何もないとたえず意識することは非常に困難である。(たえず、そして、体系的に、一瞬の逡巡もなしに)信用しないということはものすごい努力と訓練、すなわち、何度も警察の尋問を受けるということが要求される、このトレーニングがトマーシュには欠けていたのである。

p.308より
1

 一九八〇年になってやっと、われわれはサンデー・タイムズ紙上で、スターリンの息子ヤコブがどのようにして死んだのか、読むことができた。彼は第二次大戦中捕虜としてドイツの収容所にイギリスの士官たちと一緒に入れられていた。捕虜は共同の便所を使っていた。スターリンの息子は汚しっぱなしにした。たとえそれが当時世界でもっとも権力を持つ男の息子の糞であるにせよ、汚された便所を眺めるのはイギリス人には気に入らなかった。彼にそのことを注意した。彼は怒った。イギリス人たちは再三文句を言い、便所をきれいにするように強いた。彼は激怒し、論争し、けんかになった。結局最後に彼はキャンプの司令官に聴聞会を要求し、司令官が紛争を裁定するよう望んだ。しかし傲慢なドイツ人は糞について語ることを拒否した。スターリンの息子は屈辱に耐えられなかった。天に向かってロシア語でひどい悪態をつき、収容所の周りに張りめぐらしてあった電流が流れている有刺鉄線に向かって駆けていった。そしてそこに飛び込んだ。もうけっしてイギリス人の便所を汚すことのない彼の身体はそこにぶら下がったままになった。

2

 スターリンの息子は楽な生涯を送ったわけではない。彼の父親はある女との間に彼をもうけたが、後にあらゆる証拠が伝えるところによれば、その女をスターリンは射殺した。すなわちスターリンの息子は神の子(なぜなら彼の父親は神としてあがめられた)であると同時にまたその神によって却下されたのである。人びとは彼のことを二重に恐れた。自分の権力で(何はともあれスターリンの息子だった)害を与ええたし、自分の好意によっても(父は却下された息子を罰するかわりにその友達を罰するかもしれなかった)害を与ええた。

 拒否と特権、幸福と不幸と言う両極が交換可能であり、人間の存在の一方の極から他方の極までがたったの一歩であることをこれほど具体的に感じさせたのはスターリンの息子以外にはいない。

 やがて、戦争が始まるとすぐ彼はドイツの捕虜となり、彼は理解不可能でよそよそしい国、本質的に気にくわない民族に属している他の捕虜たちから汚いと文句をいわれた。考えられる最高のドラマを両肩に背負っている彼は(神の子であると同時に、堕ちた天使であった)今や高貴な事柄(神や天使に関する)のためにではなく、糞のため裁かれることになったのであろうか? すなわち、最高のドラマから最低のドラマまではこんなに目がくらむほど近いのであろうか?

 目がくらむほど近いだって? 近さはめまいを引きおこせるのであろうか?

 できる。もし北極が南極に触れる程度に近づいたなら、地球は姿を消し、人間は虚空の中にいることになり、虚空は人間の頭をぐるぐる回して、落下へと誘うのである。

 もし、拒絶と特権が同じもので、高貴と低級さの間に差異がなく、神の子が糞のために裁かれることもありうるのであれば、人間の存在はその大きさを失い、耐えがたく軽いものとなる。スターリンの息子が電流の流れている有刺鉄線に向かって駆けていき、自分の身体を秤の皿に投げ出すようにすると、秤の皿は悲しげに、大きさを失った世界の際限のない軽さに持ち上げられて、天に向かって突き出すのである。

 スターリンの息子は命を糞のために捧げた。しかし、糞のための死は無意味な死ではない。自分たちの帝国の国土が広がるように命を捧げたドイツ人たちや、自分の祖国の権力がさらに西へ達するようにと死んでいったロシア人たちは、そう、ばかげたことのために死んだので、その人たちの死には意味も一般的有効性もない。スターリンの息子の死はそれに反して、戦争の一般的なばかばかしさの中でただ一つの形而上的死として際立ったものとなっている。

 冒頭記した「尊敬するある人が紹介していた箇所」というのは、上の箇所である。

p.328より

 飛行機はバンコクに着陸した。四百七十人の医師、知識人、それに、ジャーナリストが国際ホテルの大きな広間へ行くと、そこにはもう他の医師、俳優、歌手、言語研究者、それにさらに何百人かのジャーナリストが、メモノートや、テープレコーダーや、カメラや、映画のカメラを持って待っていた。広間の正面には雛壇があり、そこには細長いテーブルがあって、二十人ほどのアメリカ人が座って、もう会議を始めていた。

 フランツと一緒に入ったフランスの知識人たちは押しのけられ、恥をかかされたように感じた。カンボジア行進は彼らが考え出したものなのに、その場にいたのはアメリカ人だった。彼らは会議の進行を自明の理のようにすすめているばかりか、そのうえ英語を話して、フランス人なりデンマーク人の誰かが英語を理解しないなんてまったく思いもしなかった。デンマーク人はかつて一つの民族を作っていたことをとっくに忘れていたので、すべてのヨーロッパ人のうちただフランス人たちだけが抗議をした。彼らはひどく原則的であったので、英語で抗議することを拒否し、壇上のアメリカ人に向かって母語で話しかけた。アメリカ人たちは彼らのことばに友好的で同意を示すような微笑で答えたが、これはフランス語が一語も分からないからであった。結局フランス人たちは自分らの抗議を英語でいってみせるより道がなかった。「なぜこの集会ではフランス人もいるのに、英語でだけ話すのか?」

 アメリカ人はとても奇妙な反対理由にびっくりしたが、微笑むのを止めず、すべての演説を訳すことに同意した。会議を続行できるまで、長いことかかって通訳が探し求められた。それからは一つ一つの文が英語とフランス語でいわれ、会議は二倍、いや二倍以上長くなった。というのはフランス人は全員英語ができ、通訳をさえぎり、訂正させ、通訳と一語一語論争したからである。

引き続き

 読書を元に戻す。引き続き平凡社の世界教養全集第14巻、「新文章読本(川端康成)/日本文芸入門(西尾実)/世々の歌びと(折口信夫)/俳句読本(高浜虚子)/現代詩概観(三好達治)」のうち、「俳句読本」(高浜虚子著)を読み進める。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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