読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第15巻、「空想から科学へ(F.エンゲルス著、宮川実訳)/共産党宣言(K.マルクス・F.エンゲルス著、宮川実訳)/職業としての政治(M.ヴェーバー著、清水幾太郎・清水礼子訳)/矛盾論(毛沢東著、竹内好訳)/第二貧乏物語(川上肇著)」のうち、五つ目、「第二貧乏物語」(河上肇著)を()きの通勤電車の中で読み終わった。本巻の(ほぼ)半分を占める大著であった。

 著者は戦前の筋金入りの共産主義者である。当時「赤旗」の編集などしていたため、刑務所(ムショ)で5年も臭い物相(モッソウ)(めし)を喰らい込んだ古強者だ。

 その著者が「貧乏とは何か。なにゆえ我々はかくも貧困にあえぐのか」というところから共産主義を説くのが本書である。

 今本書を読むと、批判、非難や弾圧にも屈せず切々と共産主義の正しさを説き続けている著者の筆致が、誠実を尽くしているだけに、むしろ悲しくさえある。

 刊行当時は検閲が厳しく、多くの部分が伏字で出され、それを戦後発見された原稿によって修復した旨が序や解説に記されてある。当時伏字であった部分には亀甲括弧〔〕や二重山括弧《》が付され、それと判るようになっている。だが、今日(こんにち)本書を読んでみると、そうした当時の伏字部分には大した単語は書かれておらず、逆にそれしきの単語に過敏に反応した当時の検閲がどれほど厳しく馬鹿らしいものであったかが想像される。

 この本が書かれておよそ40年が経った後、高度経済成長期後の、一億総中流社会と言われた日本の、程よく共産主義的味付けの効いた日本流修正資本主義の隆盛ぶりを著者が見たら一体何と言っただろうか。随喜の涙を流して満足したろうか、それとも「そうじゃない」と、毛沢東の言う「矛盾による成長、止揚、揚棄(アウフヘーベン)」のようなことを資本主義と共産主義との間に見出し、修正資本主義と市場社会主義は相互作用による成長の結果であるとして、目標を先へ延伸したろうか。

 そうした点で今は本書が共産主義の古典的理解になってしまっているという見方もやむを得ない。末川博による解説にも、ブハーリンの「史的唯物論」の偏向と誤謬を取り入れている点などで、昭和5年(1930)に出された本書は一時代前のものとなっている、という意味のことが書かれている。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第15巻「第二貧乏物語」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.300より

 人間の頭のなかから地球や日月星辰やが生まれ出るのではない。人間はもちろんのこと、いっさいの生物がまだこの地球上に発生しない以前から、地球そのものは存在しておる。それからずっと後になって、この地球の上に、はじめて人間が発生し、そしてその人間の頭脳へ地球や日月星辰やが反映して、それが人間の意識となり観念となるのである。これは極めて理解しやすいことだ。

 著者河上肇はマルクスとエンゲルスにそれこそ逆に宗教的とすらいえるほどに帰依し、徹底して弁証法的唯物論の正しさを唱え、形而上学を排撃している。そんな著者による上の一文には、本書の過半が代表されているように思う。著者の弁証法的唯物論は、デカルトの「我思う故に我あり」など吹き飛ばさんばかりの勢いで、堂々とその対極にある。

言葉
六合(りくごう)括嚢(かつのう)する

 「括」には「(くく)る」、「嚢」には「(おさ)める」との()み方がある。一方、「六合(りくごう)」とは上下と左右前後を合せた6方向のすべてをいい、世界や宇宙のことを言うものと思ってよい。そうすると「六合を括嚢する」とは、「世界をすべてひとまとめにする」という意味となる。

下線太字は佐藤俊夫による。p.247より
(引用者注 以下は著者河上肇による江戸時代の書『混同秘策』(佐藤信淵(のぶひろ)著)の引用である。)

()深く()(いく)の大恩に感じ、ひそかに六合を括嚢するの意あり、しかれどもいかんせん家貧にして年の老いたることを、ここにおいてこの書を筆記し、題して混同秘策と名づけ、いささか以って晩遠の鬱憤を写し、固封して児孫に遺す、云々」

喣育

 上の「六合を括嚢する」の引用文中、「()(いく)の大恩に感じ」という句が出て来る。この「喣育」の「喣」には「色を出す、あらわし、しめす」という意味がある。そうすると「喣育」とは、「形になるよう育てる」という意味となる。

老残羸弱

 「老残(ろうざん)(るい)(じゃく)」と読む。「羸」は疲れ弱ることで、「羸弱」で著しく疲れ衰えることを言う。

p.366より

 今まではだいたい気持ちのうえだけで嵐のなかに立っていたが、今年からはいよいよ奮発して、老残(るい)(じゃく)のこの身を現実に嵐にさらすつもりだ。

 さて、第15巻を読み終わった。さながら「共産主義まつり」のおもむきすらあり、辟易したりウンザリしたりこそしなかったものの、論の数々は右翼の私には腹の底から(うべな)えるものではなかった。

 次は第16巻。収載作品は「人間の歴史」(M.イリーン著・八住利雄訳)「世界文化小史」(H.G.ウェルズ著・藤本良造訳)「歴史とは何か」(G.チャイルド著・ねず まさし訳)だ。今度は人間そのものの歴史を俯瞰するものとなる。

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