自分が詠んだ俳句のことをくどくどと解説するのは、誰が言ったのだったか、「女形が楽屋で
8年前に書いた「月は忌むべきものではない」という記事の中で、
と一句詠んであります。8年前にその場で「小望月」の例句として詠んだものです。
随分独りよがりな句で、まるっきり他人の鑑賞を拒絶しているというか、人様の理解を求めておりません。そのことを恥ずかしいと思っています。自分で読んでみても、「これじゃ意味が分かんないよな」と思います。
ですが、私としては当時、大真面目に吟じ出した句なのです。
なんでこんな句を詠んだのかを8年後の今、ここにメモしておこうと思います。
私は当時、「日本書紀」を味わって読書しており、その世界に酔っておりました。
岩波の「日本書紀」第2巻「景行天皇記」のp.62に次のようなところがあります。
四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸美濃。左右奏言之「茲國有佳人曰弟媛、容姿端正、八坂入彥皇子之女也。」天皇、欲得爲妃、幸弟媛之家。弟媛、聞乘輿車駕、則隱竹林。於是天皇、權令弟媛至而居于泳宮之泳宮、此云區玖利能彌揶、鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊。時弟媛、欲見其鯉魚遊而密來臨池、天皇則留而通之。爰弟媛以爲、夫婦之道古今達則也、然於吾而不便、則請天皇曰「妾、性不欲交接之道、今不勝皇命之威、暫納帷幕之中、然意所不快、亦形姿穢陋、久之不堪陪於掖庭。唯有妾姉、名曰八坂入媛、容姿麗美、志亦貞潔。宜納後宮。」
上を現代語訳しますと、大略、次のようになります。
景行天皇が即位して4年、2月11日のこと、天皇は美濃に行幸された。周囲の家来たちが「この地方には美女がおります。妹娘で、美しいそうです。陛下の親戚のヤサカノイリビコの皇子の娘だそうです」と言った。天皇はぜひその美女を妃にしたいと思い、彼女の家を訪ねた。しかし、娘は天皇一行の乗り物がおいでになったと聞いて驚き、竹林に逃げ隠れてしまった。天皇は思案して、娘を誘い出そうとククリノ宮と言うところに腰を落ち着けた。庭の池に鯉を飼って、朝夕、その鯉を見て楽しんで見せた。妹娘はその珍しい鯉を見たくなり、こっそり池のそばまで来て眺めた。天皇は妹娘を呼び留め、結局わがものにした。妹娘は次のように考えた。男女と言うものは、今も昔も、夫が妻のところへ「通い婚」をするものと決まっている。それなのに、私の身の上に起こったことなんて、これでは恥ずかしくてまるでお話にもならない。そこで妹娘は天皇にこう申し上げた。「私には、エッチなことやセックスなどは、思いもよらないことでした。今、陛下の力強さに負けてしまい、おそばに召されましたが、私としては不本意です。それに、私は自分が醜い女だと思っています。長い間陛下のおそばで仕えるのに向いていると思えません。ただ、私には姉がいます。名前はヤサカノイリビメといいます。美人ですし、心も美しい人です。どうか姉を妃にしてください。」
上の現代語訳で、「これでは恥ずかしくてまるでお話にもならない」としたところは、原文の白文では「然於吾而不便」、これを書記の
「もやもやあらず」を「話にもなりゃあしない」と訳したのは、それが私の原文の理解の仕方だということです。
当時、私には、この弟媛の身も世もないような恥ずかしがり方や気持ちが実にいじらしく思え、それやこれやを含めた「話にならない」という表現がこの「もやもやあらず」に込められていると理解しました。
で、拙吟、
……となったわけです。
おわかりいただけますでしょうか。……って、ワカランですよね、これじゃ。ひとりよがり決定版、……ってヤツですね。