時事漫観

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円安

 日本の輸出製造業がほぼ全滅状態みたいになってから円安になっても、なア……。

 昔、私などが子供の頃は、今からは想像もつかないが、1ドル360円に決められた固定相場だった。戦前は「1ドル1円」の固定相場で、日本円はドルと対等な価値を持っていた。ところが、戦後いわゆる「ドッジ・ライン」によって円は1ドルの360分の1の価値しかないゴミ通貨であると決めつけられたのである。しかもその数字は、米国の軍人官僚が「円は360度、だから1ドル360円でよかろう」などと面白半分に決めた屈辱の数値だという。

 この結果、日本人は戦後30年近くにもわたって、高価な米国製品を無理に買わされる屈辱を受け続けることに甘んじなければならなかった。

 しかし、当時の政治家や実業家、官僚たちは、米国への敵愾心を決して身内(みぬち)から去らせることはなかった。目にもの見せてくれようと策を練ったのだ。脱することのできない円安を逆手に取って「途上国から安い原料を輸入し、それを高品質な製品に加工して米国に輸出し、見かけ360分の1の激安の値付けで米国人に買いまくらせる」というモデルを開発して挑戦したのだ。戦前の日本を構成していた農民や軍人は田畑や銃を放り出し、皆サラリーマンになってその戦いに身を投じた。

 かくて、米国に次ぐ第2位の経済大国日本が現出した。米国人から膨大なカネをむしり取ることに日本は成功したのだ。だが、それがほの見えだしてくると、米国は「固定相場は卑怯だ」などと言いがかりをつけ、ドルを2度にわたって切り下げてきた。それでも足りずについに変動相場制を強要してきたのだ。これは、私が小学生の頃のことだ。

 米国人は負けそうになると「待った」などと言ってルールを変える。欧米人はスポーツなどのルールも有色人種が勝ちだすと変える。経済だってそうだ。卑怯なのは米国だ。「フェア」だのスポーツマンシップだのと言うが、そんなものは彼ら自身には全然ない。所詮は無辜の市民の頭上に核兵器を炸裂させるような、そういう国だ。何、真珠湾?アホかい。山本大将や南雲中将がやっつけたのは日本に恫喝の牙を向けていた軍艦や軍人だろ。淵田中佐は無辜の米国市民を大量殺戮したり狙い撃ちにしたりしたか? ノーだ。

 さておき、変動相場に移行して、円は瞬く間に数字を減らし、高くなっていった。今から11年前には対ドル約75円にもなった。今の倍の値打ちである。しかしこれでは、ものを日本で作ってどんどん輸出したところで儲けは知れている。日本の家電製品などはどんどん見向きもされなくなっていき、韓国製や中国製に馬乗りにされてしまった。大きな家電メーカーや自動車会社が東証2部落ちするやら中国企業のグループになるやらヨーロッパの会社と合弁するやら、高度成長期に少年時代を過ごした私などにはとても本当のこととも思えなかった。

 今、1ドル150円と言うこの円安を逆手にとって世界中からカネをかっぱいでやろうなどという舵取りのできる政治家や実業家や官僚は、もはやおるまい。残念である。

仲本工事氏死去

 なんと不幸な亡くなり方。

 祈冥福(めいふくをいのる)

よくやった!偉い

 今度も落っこちてたら、もう、どうしよう、という感じだったが。

 これで生活も安定し、元皇族である眞子氏の品位も保たれようというもの。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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