引き続き世界教養全集を読む。第25巻に入った。一つ目はジャン・ジャック・ルソー Jean Jacques Rousseau「孤独な散歩者の夢想 Les Rêveries du promeneur solitaire」(太田不二訳)である。
誹謗中傷と失意の底にあって記された本書は、現代のネットでの誹謗中傷への処し方をも示唆しているように思う。
気になった箇所
数年間の動揺のあとで、私はやっとのことで精神を取りもどし、わが身の反省をし始めたときに、私は逆境のために用意しておいた万策の価値を知ったのだった。裁断を下す必要のあるいっさいのものには決断を下し、私の処世訓を自分の境遇と比較してみて、私は、人々の愚劣な批判や、短いこの世の小事件に、それらがもっている意味よりも、はるかに大きな意味を与えていたことがわかったのである。この人生が試練の一状態に過ぎないものであるとすれば、その試練がいかなるものかということは問題ではなく、ただそこから試練が課せられている結果が生まれてくれば十分なのだ。したがって、その試練が大きく、強烈で、増せば増すほど、それに耐えうるということは、それだけわが身のためになる、と悟ったのだ。いかに激しい苦痛も、そこに大きな、そして確かな
償 いがあることを見てとったものに対しては、その力を失ってしまう。そして、この償いに対する確信とは、さきの瞑想からえた重要な成果にほかならぬものなのである。
言葉
Solitaire
文中に出てくる言葉ではない。本書のフランス語の表題「Les Rêveries du promeneur solitaire」にある言葉だ。
フランス語だが、英語にもこの単語は入っており、発音も察しが付く通り「ソリティア sɑ́lətὲər」である。そう、あのWindowsの名作無料添付ゲーム「ソリティア」である。
ところが。以前、「この『ソリティア』って、どういう意味だろう」と、Google翻訳やネットの辞書で検索してみたことがある。しかし、Google翻訳で「ソリティア」を英訳すると「Solitaire」、逆に「Solitaire」を和訳すると「ソリティア」としか出てこず、辞書だと「トランプゲーム」「一つ嵌めの宝石」などと出てくるばかりで皆目さっぱり分からなかった。今、この本の表題、「Les Rêveries du promeneur solitaire」を翻訳してみて、ようやくその意味が「孤独な」であることを知った次第である。
Windowsのソリティアは、要するに「一人トランプ」という程度の意味であったとようやく合点がいった。
ちなみに、この「岩波世界教養全集」第25巻の印刷のままだと、表題が誤植で「SOLIFAIRE」となっている。(右写真、ページ下のほうの黄色マーキング) もしこれで翻訳すると、「サンウォーカーの夢想」というますますワケのわからない翻訳になってしまう。
こういうことがままあるので、私はこうした読書記事を書くとき、できるだけネットなどで原題を調べなおすようにしている。
次
引き続き第25巻を読む。次はアンドレ・ジイド André Gide「一粒の麦もし死なずば Si le grain ne meurt」(堀口大學訳)である。前に記したが、子供の頃、母に薦められて少しだけ