「
昔は受検対象も今より狭く、大昔は36歳まで、私が若い頃は40歳で受検しなくてよくなった。ところが、私が40歳になる前に40歳以降も受験しなければならない新制度へ改正されてしまい、結局、私は定年まで毎年のように体力検定を受検する羽目になった。
さておき、土嚢運搬と走幅跳は怪我人が出やすい種目だった。特に土嚢運搬では腰を傷める人が多かった。
土嚢の重さは50kgだったが、教育隊などではまだ体力錬成の途上ということで40kgに減らす場合もあった。
米俵を担いだことのある人はあまりいないと思うが、米一俵というのはだいたい60kgで、大人ひとりが1年間食うだけの米の重さだと言われている。昔の人は今とは違って「男は男らしく、女は女らしく」と、多様性もヘッタクレもない価値観だったから、この米一俵をヨイショッと担ぎ上げられないような男は「そんな惰弱な野郎は男じゃない」などとバカにされたものだそうだ。
しかし、それに比べれば陸自の土嚢運搬は10kgばかり軽かったわけだから、まだ穏やかなほうだったと言ってよかろう。
もっとも、その「穏やかな」はずの50kg土嚢が、とんでもない化け物に変じたことがある。
かれこれ34年前、私は平成4年(1992)の部内幹候の一次試験に合格し、9月の二次試験を受けに富士学校へ行った。二次試験は面接、教育法、各人の特技職に応じた実員指揮、そして体力検定だった。
折から台風が近づき、天候が思わしくなかったが、体力検定の日の朝はまだ降り出してはいなかった。しかし空模様は次第に崩れはじめ、土嚢運搬に入る頃には沛然たる豪雨、土砂降りになった。
名にし負う御殿場の、あの山の雨である。
土砂降りの中、体力検定は中止されることなく続けられた。試験だからである。つまり、最低基準に満たない「級外」は別として、点数の多寡そのものではなく、相対評価で低い者を落とすための試験なのだから、条件が同じなら試験に差し支えはあるまい、という理屈だ。
理屈としてはわかる。受験者全員が同じ風雨に打たれ、走り、跳び、投げ、担ぐのであるから、公平ではある。しかし、公平であることと、まともであることは、必ずしも同じではない。
土嚢は当時、転用品の古い衣嚢に土砂を詰め、麻ロープをきつく巻き付けたものが使われていたが、土砂降りの雨がこれに容赦なくしみ込んだ。
タップリと水を吸った土嚢は規定の50kgを超過し、量ったわけではないが、横殴りに叩きつける土砂降りの雨とプレッシャーの中で担ぐそれは、私などには100kgにも感じられた。実際は60kg程度だったろうか。
受験者たちは、しかし、眦を決して土嚢運搬に取り組んだ。ここで幹部になるのをあきらめてたまるものか! うおおおおおお! 叫びながら疾走する奴もいた。
ところが、全種目を終えてから、あまりにも条件の悪い試験であったことが考慮され、日程ギリギリの最終日に、場所を他の駐屯地に移して、体力検定はやり直されることになった。
今度は穏やかな条件下で、体力検定は何事もなく終わった。
私は二次試験にも合格し、3等陸曹から陸曹長に飛び級となり、両襟に座金付きの金バッジを着けたあと、やがて久留米の幹部候補生学校を出て幹部になった。
あれからもう30年以上が過ぎ去り、体力検定の要領もその間に3度ほど改正され、今は当時とはまったく違うものになった。私は数年前に定年で自衛隊を辞めたが、あの土砂降りの体力検定と、腰も砕けよというほどの殺人的な「水吸い土嚢」のことは今でもたまに思い出す。
この記事は、Threadsに書いた記事の転載です。