「ルバイヤート」というアラビアの詩集を愛している。オマル・ハイヤームという四行詩の極北が詠んだものだ。岩波から文庫で出ているほか、著作権切れのため青空文庫でも読める。
岩波のものは口語訳だが、矢野峰人という文学者によって格調高い文語訳が出ている。その一節に……
人のはらばひ生き死ぬる
上なる空は伏せし碗、
その大空も人のごと
非力のままにめぐれるを。
あの強力な律動の大空だって、自分が巡りたいから巡っているわけではない、というのだ。
自分の今の境遇を顧みて、よくよく諦めなければならないと思う。多くの日本人と同じく私も宗教観は薄いが、宗教観が薄いがために諦念というものが弱い。鍛えなければならないのは諦念であろう。悲しみを受け入れる、苦しみを受け入れる、病気を受け入れる、死を受け入れる。その諦観あってこそ、また、喜びは己が手の間にきたるもの。