天皇誕生日に(ちな)

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天皇誕生日 (かしこ)し、天皇誕生日に(ちな)み、このような話をば……。

○ ホスセリ・ホホデミの兄弟の話~日本書紀より~

 だいぶ前に書いたテキストだが……。

勤労感謝の日

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勤労感謝の日天皇陛下万歳。

 勤労感謝の日である。曇っているが、国旗を掲揚してある。

 本日勤労感謝の日も、もとは「新嘗(にいなめ)祭」と言って、皇室に関連の深い祝日であった。

文化の日

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明治節天皇陛下万歳。

 文化の日である。国旗を掲揚する。

 文化の日は明治節、すなわち明治天皇の天皇誕生日である。現日本国憲法の公布日なのであるが、心ある人によって明治節に日本国憲法が公布されたのである。

https://satotoshio.net/blog/?p=2948

共生大八洲国。然後伊奘諾尊曰

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 漫然とこのブログの検索キーワードを見ていたら突如「共生大八洲国。然後伊奘諾尊曰」なんていうえっらいキーワードで来る人がいるのを見つける。

 エライっ!!

 そういふうでなくちゃイカんよチミィ!!

 近所の稲荷神社へ詣でて、その古社のことを少しばかり深掘りしたことがあるのだが、そこに日本書紀の記述を引用したのだ。そこへ来て下さるのであった。

その意味を

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 終戦記念日には靖国神社へ参拝に行っている。最近──とは言っても、十数年来くらい──の習慣だ。

 その範囲で最も混雑したのは、たしか、大震災の前、民主党政権に代わって1年ほど経った後の、平成22年の8月であったと記憶する。この時には、地下鉄九段下の駅の中まで行列が続いていた。

 あの頃を振り返ると、当時実際の多くの人々の行動はマスコミの論調とは全く逆方向に志向し、精神が沸騰していたのを、生の現場ではひしひしと感じ取れたものであった。だが、あの年、例年より混雑する靖国神社周辺の様子はほとんど報道されることなく、むしろ「靖国神社なんぞに参拝するような変な日本人のことを全アジア諸国の皆さんが残念がり、ないしは激怒しており、靖国神社は低迷している」みたいな報道ぶりだった。

 去年は終戦記念日に仕事をしていたので、仕事が終わってから夕刻に参拝したが、今年は休みなので、朝から出かけた。

 私の家からは、電車1本で直接九段下へ行ける。そうして午前10時半頃に九段下の駅に着いてみて、さあ、今日と言う今日は驚いた。

 九段下の駅構内こそ人が流れてはいたが、地上へ出てみてびっくりである。九段下の駅の入り口は東西にあり、靖国神社側と九段下交差点側があるのだが、大鳥居の入り口にほど近い西側の駅入り口から九段下の交差点まで、延々と人が並んでいるではないか。しかも、単にワン・パスで並んでいるのではない、九段下駅西側入り口から九段下交差点まで反対向きに並び、列はそこから折り返して靖国神社へ向かっているのである。

 こんなことは初めてである。人員整理の仕方を少し変えていたということもあったようだが、それにしても大変な人出だ。

 数字を確かめていないので正確なところはわからないが、あの平成22年の8月よりもまだなお混雑しているように感じられた。

 靖国神社は自分の政治的思想を開陳する場とは違う。英霊へ鎮魂の祈りと誠をささげまつる場である。それを、がなり立てる右翼はまだしも、着用する資格のない軍服など一着に及んで、なにやらコスプレ祭りと勘違いしている若者も出てくる始末で、毎年毎年嘆かわしいことだが、愛の反対は無関心、ということからすれば、それもむべなるかな、とは思う。

 この世情下、これほど多くの人が参拝に来ているわけを、この混雑、その意味を、自分なりに考えてみたい。

 この膨大な人数の参拝客は、あの戦争とそれに参加し死んだ人々を、もう一度評価しなおしたいと考えているように見える。たとえ悪い方向へ批判するのであっても、逆に良い方向へ評価するというのであっても、どちらでも良いから冷静に何かを問いたい、そのための元となる行動を何かしないと、そういう行動をとらないと、もう、議論をただの一歩も先へ進めることが出来ない、何もしないでは議論を深める資格がない、そう考えているのではないだろうか。

 そうすると、靖国の境内を例年の倍にも感じられるほど埋め尽くす人々の姿は、英霊に仮託した自己の求道の姿だということになる。

 そうであるならば、それは政治的なパフォーマンスに近く、英霊の鎮魂のための行為ではない。とても神社ですることとは言えないが、しかし、護国の鬼たちは今や柔和にそれを許し給うと考えたい。

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 2時間ほどは並ぶ始末であった。中門鳥居のあたりで正午を迎えることとなったため、千鳥ヶ淵から中継でスピーカー放送されてくる慰霊式の様子に聴き入った。国歌斉唱のおり、靖国神社境内の群衆が誰ともなく歌い始めるのも例年と同じだ。はじめは遠慮がち、恥ずかしげに小さい声で口ずさんでいた人々の歌声が次第に大きな声になっていく。こうべを垂れて天皇陛下のお言葉を謹聴する。ちょうど正午、帽子を脱して黙祷する。

 ともあれ、英霊やすらかにしずみたまえ、と参拝はそれのみ考えつつ済ませ、帰路、あれこれと考えに耽った。

 靖国通りを神田に向かって歩いていたら「藪仙」という蕎麦屋があったので、ひょいと入る。大蒸篭せいろを頼んだら3枚もついてきて、お得。酒を2合。

 せっかく神田あたりに来たなら、蕎麦は名代の「まつや」に寄りたいところだが、籔仙の大蒸篭を手繰り終わってからまつやの前を通りかかると、案の定、炎天下数十人の行列だった。まつや目当てに連雀町へ来て見ても、これではとても並ぼうという気は起きなかったろう。多分今日は例年通り「神田・籔」が盆休みで、その客もまつやが吸収しているものと見える。

 暑かったが秋葉原まで歩いた。九段下から秋葉原までは歩いて30~40分だ。千石電商でフラックスとソルダーウィック、蛇の目基盤を買う。ヨドバシへ行ってHDMIとDVI-Dの変換アダプタをひとつ買う。これはRaspberry Piを今使っているPCのモニタにつなぐため。

 秋葉原のメイド通りは、今日が終戦記念日だということなどまるで知らぬげに、世界各国の老若男女とメイドでごった返していた。

団欒と馬鹿親父

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 今日の晩飯は鉄板焼きだった。団欒の楽しさ、ホットプレートを囲み、肉や野菜を焼いて、家族で喋りながら食べるうち、テレビの話だったかスポーツの話だったか、長女と妻が連想で、

「そういえばさ、ジャパン、ジャパンって言うけど、なんで日本のことを『ジャパン』って言うんだろ?」

と言った。

 ぬぅ、ここだッ!妻子をして愛国者ならしめんとするところ、ここに他ならずッ!、と、4~5センチは体が前に出る私である。

 漢字の呉音読みと漢音読み、日本の「日」は「ニチ」とも「ジツ」とも読むことは「本日(ほんじつ)」などの語からも(うべな)えること、日本の「本」は「ホン」とも「ポン」とも読むのであって、当時の中国、明~清の読み方では「ジツポン」に近い「ジッペン」「ジッポン」と読んだのであり、これは西洋人が発音すれば「ジペ~ン」「ジパーン」となったのは当然、これを伝聞したマルコポーロと東方見聞録、黄金伝説、黄金を狙う欧米白人の邪悪な侵略思想、当時の関白豊臣秀吉の智謀とフェリペ2世の駆け引き、朝鮮半島を泣かせてでも発しようとした秀吉の戦略メッセージと国体護持、神州不滅、話を遡れば二度の元寇、神風、下って帝国の落日……というところまで話が及ぶと、

「さあーってとっ、宿題やんなくちゃ、ごちそうさまぁ~」「後片付けしようかしらねえ」

 ……すぅ~っ、と妻子は退散していくのであった。

 ぬぅ。

登戸稲荷社

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47597487 近所の稲荷社「登戸神社」の縁起や、地域の旧家、関根家、浜野家の来歴なども簡単に知るなど。

 祭神を「倉稲魂命」といい、こう書いて「うかのみたまのみこと」と訓むそうな。

 日本書紀を紐解くと、岩波の「日本書紀(1)」では、40ページあたりに、

(日本書紀〈1〉(岩波文庫)、40ページより、下線太字筆者)

 一書曰、伊弉諾尊與伊弉冉尊、共生大八洲國。然後、伊弉諾尊曰「我所生之國、唯有朝霧而薫滿之哉。」乃吹撥之氣、化爲神、號曰級長戸邊命、亦曰級長津彥命、是風神也。又飢時生兒、號倉稻魂命

 一書(あるふみ)に曰く、イザナギノミコトとイザナミノミコトと、共に大八洲國(おおやしまのくに)を生みたまふ。しかりしてのちに、イザナギノミコトののたまはく、「我が生める国、ただ朝霧のみありて、薫り満てるかな」とのたまひて、すなはち吹きはらふ氣(いき)、神となる。號(みな)をシナトベノミコトとまうす。またはシナツヒコノミコトとまうす。これ風神なり。また飢(やは)しかりし時に生めりし兒(みこ)を、ウカノミタマノミコトとまうす。
()み下し筆者

……と見える。

 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は「稲荷」の神である。稲荷は「稲」「荷」の字にも表れている通り、稲がたくさん集積されたところの神で、豊穣の穀物神である。

 この神が使役するところの手下がすなわち「キツネ」で、そこからオイナリさまと言えばキツネということになったのであった。