レンチ

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 腹切場(はらきりば)の温情がわからない、恥を知らん奴が増えたな、と思う。

 私の前任者もそうだったし、後任者もそうだ。

 先月の舛添何某にしても、自民党が「辞任までは求めない」と伝えた時点で意図を明察して自斉すべきであった。結局手足を押さえつけられて他人に十字腹を切られたようなものだ。

 甘やかされ、チヤホヤされてきたエリートにはそこのところがわからない。恥を知らぬことが責任を取ることだと(うそぶ)いて、他人に切られるまで地位にしがみつくのだ。

 今、この文章に「廉恥(れんち)」という表題をつけようと思って入力しようとすると、「レンチ」だのと出てきて、まったく変換候補が出てこない。このこと一事からも、もはや「恥を知る」ということは前時代的な感覚で、古臭く、それを信じることは許されないことなのだという何者かの意志が伝わってくる。

 恥を知ることを捨てよというわけだ。こんな受け入れがたいことでも受け入れなければならない、恥を知る弱者の悲哀というのは、なんなのだろう。

 恥を知らぬ輩を認めて称揚しないと、もはや普通に暮らしていくことも許されないのだ。恥を知らぬ者を受け入れよ、許せよとは。

 昔の人は恥というものを知っていた。

 恥を知らない。醜いことだと思う。小奇麗に身辺をとりつくろい、洒落たようなことだけ言って、とりすまして行動し、薄汚れた現実と向き合おうとしない。

 ああ、嫌だ。嫌な世の中になった。

平和国家の高速意志反映システム

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 平和国家の銃弾は意見発表の機会だ、などというと、大嫌いな新聞やテレビを持ち上げてしまっているようなことになるから、それは言いたくない。

 それは、「政府をひっくり返す暴力を人々に渡しておくべきだ」という、アメリカの、憲法の例のアレでもって、乱射事件が頻発してしまっていることからの連想である。

 銃による仕組みは、日本ではムリだ。日本人には銃なんか配れない。そんなことをすれば、不慣れな日本人はあらぬ失敗をしでかす。慣れたアメリカ人だって、毎日毎日失敗ばかりしている。

 では、その代わりに、日本人の大多数一般が容認するような国を、人々がどうやって直接形作るか、一部の扇動者に左右されず、一人一人が自分で考えた国の姿が、多数決で採られるという、そういう余地を、何によって保証するかということである。

 選挙と言うのはシンプルでこなれたシステムだけれど、もう老朽化していて、スピード感に欠けるから、嫌だ。

 アメリカみたいに銃を渡しておく、というのではダメなことは、先述のとおりだ。

 と言って、アメリカの管理下にあるインターネットによって、というのも、アメリカの恣意が入り込む恐れがあり、容認できない。

 日本人大多数の意志の反映が、何によってか出来て、力を持つ、そういうシステムや仕組みが、なんとか作れないものか。

韜晦(とうかい)

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 まんしゅうきつことか辛酸なめ子とかろくでなし子とか、「なんとか子」という変な名前の有名人がいる。……この中で「辛酸なめ子」はちょっと違う組なような気もするが。

 で、この人たち、名前とは違って、なんというか、知性があるんだよな……。

 それで、こういう組の人を「韜晦(とうかい)子」「韜晦ッ子」と心の中で呼んでみている。変人韜晦、無能韜晦、である。

舌を巻くほどの見事な大嘘

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 大嘘のセンスが素晴らし過ぎて、感心してしまった。

 このベストアンサーの答え書いた人、素人とは思えない。

ほ、ほほぉ~……

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 ほほぉ~、こりゃめでたい。

 ……というか、クーデター騒ぎで200人以上死人が出ているトルコのイスタンブールでやっとったんかい、という、そこんところがやっぱり、ツッコミどころになるわけだね。
 

そろそろ

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 湿度が高く、光の散る晴れ方の朝だ。このところ、近所の家々の紫陽花(あじさい)はすっかり(しお)れたが、いれかわりに百日紅(さるすべり)の花が鮮やかに咲きはじめた。

 旧暦六月十五日。十五夜だが天文観測上の望月は明後日だという。新暦7月の和名は文月(ふみづき)だが、本来の旧暦なら名前ばかりの水無月(みなづき)である。実際は梅雨の最中で、「水あり月」だ。

 そろそろ梅雨明けかな、という雰囲気もあるが、あらためて天気図を見ると、列島はまだまだ長く伸びた梅雨前線の水蛇にとりまかれており、もう少し我慢というところか。

 関東に住んでいると、今年は(から)梅雨なのかな、という感じがするが、さにあらず、先日は千葉で冠水騒ぎだったし、関西・東北ではむしろよく降っているという。

 梅雨(つゆ)は「ばいう」とも読むが、この音読で「黴雨(ばいう)」の字を当てる場合もある。高い湿度で(カビ)臭くなるというほどの意味だ。

 思いついて手元の歳時記を繰ると、見出し・傍題含めて、雨に関してはたくさんの季語がある。試みに書き出してみよう。

 夏の雨 緑雨 卯の花(くた)し 卯の花くだし 梅雨 黴雨(ばいう) 荒梅雨(あらづゆ) 男梅雨(おとこづゆ) 長梅雨 梅雨湿(じめ)り 走り梅雨 迎へ(むかえ)梅雨 送り梅雨 戻り梅雨 青梅雨 梅雨の月 梅雨の星 梅雨雲 梅雨の(らい) 梅雨曇り 梅雨夕焼け 空梅雨 (ひでり)梅雨 五月雨(さみだれ) 五月雨(さつきあめ) 虎が雨 虎が涙雨 夕立 ゆだち 白雨 驟雨(しゅうう) 夕立雲 夕立風 喜雨(きう) 雨喜(あまよろこ)

 日本は高温多湿、雨が多く、四季のはっきりした風土なのだなあと改めて感じるのである。とりわけ、梅雨に関する言葉の多さときたら。

 また、「雨喜び」などという季語には、本当に農民の心が表れているな、と思う。

 「驟雨」という言葉には品と格があり、心に響く。それに比べて、最近「ゲリラ豪雨」という言葉が報道などで使われるが、これはまったく品もへったくれもない言葉だ。「ゲリラ」で「豪雨」だよ?いや、勿論、人的被害が出ているようなときに驟雨などと言って澄まし返っているわけにはいかないが、場面場面にちょうどよい言葉を使ってもらいたいものだ。

 テレビで美しいアナウンサーが、その美しさとはうらはらに「凄いゲリラ豪雨になる可能性がアリマス!」などと言い放つと、本当にがっかりする。「凄い」もどうかと思う。まあ、被害が出るような場面での「ゲリラ豪雨」は仕方がないが、「可能性」という言葉をここで選んではいけない。せめて「強い雨が降る恐れがあります」と言うべきだ。

 可能という漢語は「(あと)()く…」する時、つまり積極的な方向性があるときに用いるもので、被害が出るような場面で使ってはいけない。しかし、例えばゲストの大学の先生あたりが学術的な語として「梅雨前線の停滞で豪雨被害が出る可能性もある」というふうな使い方をするのは、これは学究の言葉であるから、まず構わないだろう。

 こう書いて来るとまるで爺ィの繰り言だ。オッサンから爺ィになってきた。

 言葉は時と人により変化していくものなのだから、あまり偏屈な繰り言は言うまい。

 何か雨の面白いものは、と検索すると、Youtubeにジーン・ケリーの「雨に唄えば」があった。

 名作だなあ。これでも見て、繰り言は休題にしよう。

海の日

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天皇陛下万歳。

海の日

 祝日「海の日」である。国旗を掲揚し、拝礼する。

 法律には「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」とある。