ダリのシュールレアリスム作品映画の傑作「アンダルシアの犬」の登場人物の男が、つげ義春の一時期の漫画に出てきそうな顔そっくりで、ちょっと面白かった。つげ義春はダリに影響を受けたのかも知れんな。
月: 2016年9月
降りてみたら大雨
秋分の日
そりゃまあ、降るわなあ
日本ITストラテジスト協会関東支部オープンフォーラム2016
オリンピック選手を称揚すべし、だが
リオオリンピックにおいて日本の選手たちは多くの勝利を得、自己を証明するとともに人々を力づけ、まさしく「国威を発揚した」と言える。
選手の力戦奮闘、またそれよりも尚、ここまでに至る努力精進の過程を思うと、感動を通り越して崇敬の念をすら覚えるのである。選手たちを称揚せずして、他に何ぞ称揚すべきもののあるや。
だが、今に至って、ずーっと、テレビでオリンピック感動番組をやっているのを見せられ続けていると、
「これは、電通、博報堂による『東京オリンピック乗っかりゲヘヘヘ銭ゲバ戦略』だな」
……と思えて、腹が立つのだ。
オリンピック選手とは直接なんの縁もない、錬金術師みたいなチャラチャラしたテレビ詐欺師連中が、努力精進の聖なる国宝級選手に何百人もぶら下がって金儲けをし、食い物にしている表れがこの延々と続くテレビ番組なのだと思うと腹が立つ。第一、おそらくは、このテレビ番組の連続は、選手たちには一文の得にもなっていないのではなかろうか。
一刻も早く、本来の主役であるオリンピック選手を静謐な環境に戻し、休ませるべきである。電通や博報堂は、いつもの下らないポルノビデオまがいでも撮ってギャーギャー下品に喜んでおればよろしい。
Wikipediaに投げ銭
Wikipediaが寄付しろ寄付しろとうるさいから、300円ほど投げ銭した。
【皮肉】「正しい日本語」論争に突入する際のワン・ポイント
あまり国語が得意でない人を相手に、文法や、漢字、故事成語などをふりかざして「これが正しい日本語だ」論争に入る時には、コツがある。
大抵、相手は議論の途中で、
「言葉は時代と人により変化し、あらたな意味が生まれ、変化していくものなのであるから、もともとの言葉の意味にこだわりすぎるのは文化の発展を妨げ、良くない。そういうのはこの国の文化の悪い癖だ。例えば『だらしがない』という言葉ひとつとってみても、元々は……」
……と言い出す。これは、相手のとっておきの切り札である。
この切り札の行使を避けるには、まず議論の初めのほうで、こちらからこの論を強く振りかざしておくのがよい。「最初に言っておくが、言葉と言うのは時代と人により変化するものなのだよ。文法がどうとかということは二の次だ。例えば……」と宣言してしまうのである。
そうしておいてから、今度は息つく暇も与えず正しい言葉について文法や用例、漢字を中心に浴びせかければ、向うの方で黙ってくれるので、不毛な論争をせずに黙っていてよくなり、お互い不快な思いをそれ以上せずにすむ。
ダウンタウン
ダウンタウン。松本も、浜田も、面白い。不世出のお笑い芸人であると思う。
だが、なんだか最近、アンタッチャブル感を漂わせ、不可触の権力者あつかいになった。何を言っても、「松本が言うなら、浜田が言うなら、これは仕方がない。正しいのだろう」ということになっているようだ。
なんか、そう考えたら嫌いになった。これは、ビートたけしも同じである。
おそらく、なにか、あまり美しくない事情が裏に沢山あるのだろう。排撃される前の島田紳助の感じに似ている。なにかちょっとでもしでかせば、いろいろと噴出してアウトだろう。
CODE GUARDIAN
だいぶ昔の動画なのだが(昔と言っても7~8年前)、もう一回見たくなり、確か、ブログ内のどこかにメモッといたハズ、と思って探したが、どうも出てこない。FBのノートか何かに書いたのかもしれない。FBに書くと、見つけられなくなっちゃうんだよな。
改めて探し直し、まあ、すぐに見つかる。
さておきこの動画、作った人は本当に天才だなと思う。というか、本業が映像作家とか、そういうことなのだろう。Marco Spitoni氏というらしいが、どういう人物か知らないが、8年前でこうだから、更にコンピュータ・リソースの量も質も向上した今など、一体どういうことになっているのだろうか。