おっさんのおしゃぶり

投稿日:

 街中で、いい年こいたおっさんが当節流行の「電子煙草」なるものを吸っている姿が、なんだかもう、「おしゃぶり」をしゃぶっているように見えて、笑ってしまう。品というものがない。

 私はかつて一日100本というヘビースモーカーだったが、十数年前にキッパリとやめた。脱煙者である。100本から0本へ、ハードランディングでゴンっ、とやめた。

 その立場で言うと、マッチなり気の利いたライターなりで火を点じ、煙を(くゆ)らすという行為には、何とも言えぬ風情、情緒というものがあった。パイプなどの喫煙具に意を用い、時によって葉巻を(たの)しむ。あるいは小さな引き出しのついた煙草盆を前に煙管(きせる)で刻みを試す。まさしくあれは「大人の(たしな)み」と言って良かった。

 無論、煙草は百害あって一利なしということは昔から言われていたことであり、現代の医学研究の成果も、煙草は有害であるときっぱり否定している。

 しかし、それを含み置いてもなお、煙草にはゆかしい男の美学があり、ダンディズムがあった。

 だが、電子煙草は、美しくない。

 あんなみっともない姿を人前で晒してまで吸いたいというのは、美学がどうとかいうより、もはや馬鹿げている。しかも、高価なものだ。そんな恥晒しをするくらいなら、煙草なんてやめてしまえ。

 なんだ、やめられないのか。

 意志が弱い連中だな。

一杯

投稿日:

 よく晴れた。風薫る、と言うには少し早いが、初夏らしい初夏である。近所の旧家の柿若葉が照り照りと光る。

 酒を買ってきて冷蔵庫で冷やす。

 北大路魯山人の本2冊を図書館へ返しに行く。

 帰宅して早々と入浴してしまい、涼しい服装に着替えて、良く冷えたところを一杯。肴は昆布醤油。

読書

投稿日:

 読了。とはいうものの、所蔵している平野雅章編の「魯山人味道」や、直前に読んだ「魯山人の美食手帖」所載の評論と重複するものが多く、半分以上は既読の文章だった。

 さて次は、まったく別の一冊。図書館で何となく手に取っただけなので、どんな本だかまったくの謎である。

バナナ

投稿日:

総本家 更科堀井

投稿日:

 今日はひとつ「大エルミタージュ美術館展」を見てやろうと、六本木まで出てきた私である。

 さて、展覧会を見終わって、昼めしはどうしようかな、と思案する。もう14時ほどにもなろうとしている。

 こうなれば、六本木まで出てきたついでだ。やはり麻布十番へ行って、名代の「更科(さらしな)」を手繰(たぐ)るべきである。昼遅い蕎麦屋は空いていて、展覧会の図録をめくりながら一杯やるのにも都合がよい筈だ。

 「総本家 更科堀井」へ歩いていく。六本木ヒルズから麻布十番まで、10分とはかからない。

 「一人ですがかまいませんか」と有名店「更科堀井」の暖簾(のれん)を臆せず(めく)る。

 まずは蕎麦前に「純米・名倉山」の冷や一合と焼海苔。通しものの揚げ蕎麦を交々(こもごも)つまみつつ、ゆっくりと飲む。

 更科の総本家に来たからには名代の更科を手繰るのが本当なのだろうが、今日は気まぐれで、この店の一方の名物である「太打ち」を頼んでみた。

 断面が5ミリ四方はあろうかというごく太打ちの蕎麦で、歯応えがあり、そのため、一見少なめの見た目なのに満足のいく喰い応えがある。蕎麦(つゆ)がよくなじみ、旨い。

 微醺を帯び、秋葉原で少し買い物をして、上機嫌で帰宅した。

大エルミタージュ美術館展

投稿日:

 起床して、梅雨前の晴れた空を見上げる。暑くなりそうだな、などと思う。朝風呂を使う。昨日深酒して、そのまま寝入ってしまったからだ。

 最近、土曜日には何かした方が休日が長く感じられるな、と思うようになり、金のかからないこと、図書館に行くとか、そういう行動をとるようになった。……ただ、そのたびに蕎麦を手繰りたくなり、立ち喰いで済ませておけばよいものを、砂場や籔に足を伸ばすものだから、なんとはなし、小遣いは減る。

 さておき、前から見たいなと思っていた「大エルミタージュ美術館展」に行ってみようと思い立った。

 大エルミタージュ美術館は、人ぞ知る、ロシアの一大美術館である。ロシア帝国時代、エカテリーナ女帝の治世に始まって、ロシア革命でも(こぼ)たれることなく、営々と今日まで、目を見張るようなコレクションを維持充実し続けてきたのである。

 最近よく巡回展示があり、数年前にも関西で展示があったようだが、東京方面にはこの春から回ってきていた。ゴールデンウィーク中、行きたいな、と思わないではなかったのだが、混雑に辟易していたのだ。

 それで今日ようやく行ってみた。

 そりゃもう、眼福というのはこういうことだろう。

 展示の説明で初めて知ったが、フランス革命の頃のロシア女帝として知られるエカテリーナ2世は、ドイツからロシア帝室に嫁入りしたのだという。私は生粋のロシア王女だとばかり思い込んでいた。ところが、このエカテリーナ2世と言うのは、亭主のピョートル3世からクーデターによって帝権を奪い、皇帝になったというスゲェ女なのだそうな。知らなんだ。

 で、そのエカテリーナ2世は、自分の出身地であるドイツ(プロイセン)と戦争をしていたのだが、そのゴタゴタで、ロシア帝室から借金を負うハメになった大商人があった。その大商人から貸金のカタに巻き上げた超一級品の絵画の数々を収蔵したのが、この「大エルミタージュ美術館」の始まりだそうである。

 恥ずかしながら、展示品に関する予備知識は「ゼロ」で見に行った。だが、洋画はキリスト教関係の題材が多いので、キリスト教嫌いのくせによく聖書を読む私には、含まれる情報を理解できる絵が多いのであった。

 幼少の頃のイエスとバプテスト(洗礼者)のヨハネを描いたスペインからの蒐集(しゅうしゅう)品、「幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ」(バルトロメ・エステバン・ムリーリョ画)という絵に興味を覚えた。イエスが子供の頃にバプテストのヨハネと友達だったという話は聖書には存在しないが、これは当時よくスペインの絵画に取り上げられた題材なのだそうだ。

聖母マリアの少女時代
(フランシスコ・デ・スルバラン)

 また、聖母マリアの想像画もよく描かれるが、その中に幼少時のマリアを描いたものも多いらしく、「お前、ソレ、見たんかい!」というほど写実的である。その一つがこれだ。

 どれもこれも、ヨーロッパが最もヨーロッパらしかった時代の絵であり、見るべきものであった。

 図録と、お土産に絵葉書、本の栞(ブックマーク)など買う。

 さて、森美術館のある森ビルは、500円払うと屋上に行ける。もとより、高いところが大好きな私。「アホと煙は高いところにのぼる」なぞというが、高いところは楽しい。折から、今日は光化学スモッグが発生していたということを後から知り、その通り眺めはあまりよくはなかったが、それでも、都内が一望の下であった。

 東京タワーが真正面だ。

 清々とした気持ちで六本木ヒルズを後にしたことであった。

ほ、ホンマかいな

投稿日:

 もし本当だとすると、老獪と言うか、なかなかの策士かもよ、金ちゃん。ミサイルなんかブッ放しながら、日本の譲歩、ひいては本当に怖い米国への、日本からの働きかけをも引き出そうかという。

 言ってみりゃ、柔道の寝技みたいに、グダグダに長試合に持ち込み、漁夫の利をさらおうというところも見え隠れする。

 しかしねえ、金ちゃん。長試合に持ち込めるような体力、アンタんところには、もはや、ないと思うんだよねえ。ほどほどにしときなさいよ、ええ? そのまんまだと、国民がもたないよ。……まあ、俺にとってはどうだっていいですけどね、外国のことだから。

読書

投稿日:

 凝りもせず稀代の美食家・北大路魯山人の著作集で、まだ読んでいないものの入った文庫本を一冊読了。

 但し、収載の文章のうち、ざっと1/3くらいは著作権切れのため既に青空文庫で公開されており、以前に読んだことのある文章である。

 巻の一番最後に、当時在世の評論家や茶人を名指しでボロカスにこき下ろしている論評があって、魯山人伝説に残る通り、これでは嫌われたであろうなあ、と思う。

 次いで、先の本と一緒に図書館で借りたもの。これも、既読の評論も収載されているが、未読のものもあるので、ともかく一読。

著作権侵害申し立てが撤回された

投稿日:

 先日、「むっちゃ腹の立った調子で」この動画に対する著作権侵害申し立てへの抗議をブチまけた件だが、どうせまた1カ月近く放置されるんだろうと思っていたら、案外に早く処理された。

 ま、「迷惑料よこせ」という私の要求には何も答えちゃいないが、ネ……(笑)。