珍しく、かつ殊勝にも死生観なんぞということを考えていて、ふと、若い頃気になった「メメント・モリ」という言葉を思い出した。いつ頃だったか定かに思い出せないが、その「メメント・モリ」という題の本が書店に置かれているのを見つけたことがあったのだ。
それは画集のような本で、捲ってみると、「メメント・モリ」というラテン語の題名とは裏腹に、中身は日本の中世の頃の、ある主題の掛図などを集めたものだった。美しい女が死に、野にその骸が放置される。醜く腐乱死体となりはて、禽獣に喰われ、ついには白骨が散乱するという様子を描き、彩色を施したものが集められていた。
その図画は宗教的なもので、生死にとらわれぬ解脱の境地を得るため、僧侶などが修行で見るものであったかとおぼろげに記憶する。しかし、ああいう図画の事をなんと言うのだったか、今はもう忘れてしまっている。
改めてGoogleで少し検索するとわかった。あの種類の図画は「九相図」と言うそうで、中世頃によく取り上げられた画題だそうである。この図を使って宗教的な思惟を行うことを「九相観」と言うそうな。
中世では、死体が脹相・壊相・血塗相・膿爛相・青瘀相・噉相・散相・骨相・焼相という9段階を経てついに無に帰するとされていた。これが九相図の「九相」である。
- 脹相 死体が腐敗ガスで膨張する。
- 壊相 腐敗が始まり、死体が崩れはじめる。
- 血塗相 死体の崩れ目から血があふれ、これに塗れる。
- 膿爛相 膿のような汁液で爛れ、腐乱する。
- 青瘀相 青黒く変色し、ミイラ化する。
- 噉相 禽獣が寄ってきて、食い散らかされる。
- 散相 バラバラになる。
- 骨相 白骨化する。
- 焼相 骨片が焼かれるなどして、ついに消えてしまう。
最初の「脹相」などというのを見ると、古人も死体をよく観察していたものだな、と思う。死後しばらく経った死体を見たことがある人ならわかることだが、腐乱し始める直前の死体は膨れ上がるのだ。顔も同様で、眼庇のあたりが膨れ、巨人症の人のような顔つきになる。監察医など、法医学に携わる人々はこれを「巨人様顔貌」などと言うようだ。このようになる理由は、濃い塩酸である胃液により胃腸が溶解し、そこからガスが発生して腹部をはじめとした死体の各部を膨満させるからである。
「九相図資料集成―死体の美術と文学」という本があったから、見てみた。これでもかというほど、何度も何度も、美しい女が腐乱死体に、そして白骨となって散乱し、消滅してしまうありさまが描かれる。
ラテン語の「メメント・モリ」は「死を想え」という意味だそうだ。そうしてみると、九相図をもってする九相観は、まさしくメメント・モリ以外の何物でもあるまい。但し、「メメント・モリ」は、明示されてはいないけれども、死を思うことによってより生を高めようとする現世利益的でポジティブな感じもする。他方、「九相観」は、死にすらとらわれない境地を得るためにひたすら死を直視する。死への傾斜、死ぬことへの耽溺、更に言えば死への鈍磨や病性のようなものが感じられ、少し不健康な気がする。